第2話 神様からの贈り物
争いが終わった草原は目も当てられない光景が広がっていた。
あちらこちらに飛び散った血液に両手では数えきれない程のゴブリンの死体。
只でさえ身体がバキバキに折られているのに、眼球が跳び出していたり、脳漿が溢れ出ていたりと、平和な現代社会で生きて来た俺にとっては衝撃的な景色が広がっていた。
短時間で惨劇の現場を作り上げたシスターは狂気を潜めて、負傷した自らの身体を治療する事無く棺を逆さに立てて跪いている。
どうやらお祈りをしているらしい。
きっと物理的に天に召したゴブリン共々、この俺の供養してくれているのだろう。
『少年よ。仇は獲ったぞ』
俺はただ振り回されていただけだったけど、少年の悲惨な最期を見届けていた俺はそう思わずにはいられなかった。
しばらくしてお祈りを終えるとシスターは俺を大事に抱えて歩き出した。
大きさもあって時折地面を引き摺られる事はあるが、何故かこれもシスターからの攻撃を受けている判定になっているらしく、俺に痛みは伝わってこない。
『あの、シスターちゃん。折り入って頼みがあるんだけど』
戦いを間近で見た高揚と、草原から離れられる事への興奮で有頂天となっていた俺はシスターに声を掛ける。
だがしかし彼女からの返事はない。
『やっぱり何時もと同じか』
俺の声は届いてはいなかった。
自分の視界を彼女の前に持って来ても同じこと。
どれだけ鬱陶しく動き続けても深紅の瞳が俺の姿を捉える事はなかった。
有頂天から早くも意気消沈。俺はこの先どうなるのだろう。
『……でも、一歩前進だよな』
不安に駆られていた俺は一先ずこの件について考える事をやめた。
出口の見えないトンネルの奥を覗き見るほど今の俺は暇ではない。
少なくとも新たな場所へ運んでもらう事が出来るのだ。
それは新たな可能性に出会えるということ。その中に棺から解放してくれるものが見つかるはずだ。そう信じるしかない。
見慣れた倒木が遠退いてく事に若干の寂しさを覚えながらも、俺は俺にこの世界の事を教えてくれた少年に二度目の別れを告げて振り返る事をやめた。
今は新しい変化の中で知らなくてはならない事が沢山ある。
その手始めとしてシスターを観察する事にした。
背丈は百四十あるかと言うぐらいの小柄で髪は白銀色。前も後ろも長い髪は額で分けられているが片目を覆い隠してしまっている。その下に隠れている顔は小さく、美少女と言っても差し支えない程に整っているように見える。服装はゆったりとした聖職者のローブで肩の下がり方を見ても細身である事が分かる。その一方で、彼女は大の男を軽々と振り回せるだけの怪力を持っているらしい。
そうでなければ自身より大きな俺を持ち運ぶ事はおろか、振り回せるはずがない。
漫画やアニメの世界では岩や地面を砕いてしまう凄い力を見せるキャラクターがいるが、彼女は正にそんな感じなのだろう。
『これがスキルの影響なのか?』
この世界には、地球では考えられない付加能力と言う物がある。
態々基礎能力と分けて書かれていたのだから、それ固有で能力の変動を起こしている事だろう。
『だとすれば、やっぱり凄いな異世界』
人は見た目だけじゃない。
地球では技能や心の在り方を問う物であったが、この世界では文字通り、見た目だけで肉体能力を測れないという事でもある。
それでもやっぱり、小柄な彼女が高校男児の入った棺を持って歩く姿は重々しいものだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……んん」
仲間に置き去りにされ、ゴブリンに袋叩きにされ、必死に逃げて戦ったシスターの表情には疲労の色が濃く見える。
それでも持ち直して運び続ける彼女は俺を手放す気はないらしい。
――生き返る事が出来たら俺は彼女に恩返しをしよう。
そう思いながら俺は彼女を見下ろしていた。
◇◇◇
空を彩る茜色が藍色の空に覆われた頃。
草原から見えていたミルネという町の門が見えて来た。
そこには夜の闇を照らす松明の灯りと鋼に身を包む人の姿が多くあって、薄暗い道を歩く俺達からもよく見える。
更に目を凝らしていると、鋼の鎧に身を包んだ男達の先頭で馬に跨った大柄な男に、俺を抱えるシスターと類似した衣装を着る女性が祈る様に手を組んで何かを話している姿があった。
男はそれに応えて頷き、女性が一歩後ろに下がると松明を手に馬を走らせる。
その後すぐ、少し離れていた俺達の横を通り過ぎたところで馬の速度を抑えて戻って来た。
「無事だったか」
武骨な一言に疲労で下を向いていたシスターが小さく頷いた。
「彼女は無事だ!」
話し掛けて来た大柄な男の後ろで兵士が声を上げている。
彼等に囲まれながら進んで行くと、エステルと同じ衣に身を包んだ金髪琥珀眼の美人なお姉さんが、これでもかと女性を主張する豊かな実りを弾ませながら走って来ていた。
「エステル!」
どうやら俺を運んでくれたシスターの名前はエステルと言うらしい。
感動の再会だ。この世界に来て初めて役に立てたのではないだろうかとさえ思う。
「酷い怪我。今治療をしますね」
エステルの前で屈んだ女性が手を翳すと、エステルが魔法を扱った時の様に女性の手に黄金の光の線が浮かび上がった。
「ヒーリングライト」
掌から溢れる優しい光が、ボコボコに殴られて腫れ上がったエステルの顔をあっという間に癒してしまう。こういう事もあるだろうとは思っていたが、いざ目の当たりにすると物凄くて、その光景に驚く余り俺は言葉が出て来なかった。
「エステル、他に痛いところはありませんか?」
「ニコル様。エステルが心配なのはわかりますが、まずは町の中に戻りましょう。この辺りは比較的安全とはいえ、夜闇の中に何が潜んでいるか分かりません」
「……そうですね。ところで、その大盾はどうされたのですか?」
『大盾?』
しかし、何やらおかしな単語が聞えて来て正気に戻る。
「……神様のお導きです。神はエステルを導き、この大盾を授けて下さいました」
高笑いを上げながらゴブリン達を挽肉に変えていた少女とは思えないボソボソとした声を発しているエステルは、手にする棺を誰にも渡さないと言わんばかりに手に力を込めて抱え込んでしまった。
何を言っているのだろうかこの子は……。
大柄な男とニコルと呼ばれたお姉さんもポカンとしている。
「……とにかく家まで送ろう。今日はしっかりと休みなさい。後日何があったのかを聞かせてもらう」
大柄な男に手を差し伸べられたエステルは嫌々と首を振るう。
「その大きさの盾だ。重いだろう」
流石に三人が同じ事を言うとなると、やはり聞き間違いではなかったらしい。
『ちょっとお兄さん、お姉さん?こんな時にまで冗談を言わなくてもいいんだよ?何処からどう見ても棺桶だからね!死んだ人を入れるあれだからね!』
俺の動揺は膨れ上がるばかりだ。
「この重さを感じる事がエステルに与えた試練なのです」
「だがしかし」
「試練なのです」
頑なに抵抗するエステルに、大柄な男は固く閉じられた口元に手を置いて困り顔を見せていた。
「ローレン、一先ずのところはエステルの自由にさせてあげてください。但し、少しでもふらつく様でしたらローレンに持って頂きます。エステルもそれでいいですね?」
「…………」
少し長い沈黙の後、エステルは渋々頷いて歩き出した。
『待ってお願い!誰か俺の話を聞いて!』
この声が届かなくとも俺は必死に訴える。
このままでは教会に連れて行ってもらえても蘇生が行われない可能性が高い気がしてならない。
俺は必死に訴え続けたが、やはり実る事は無かった。
◇◇◇
嫌な予感はものの見事に的中した。
俺を拾ったシスター・エステルは棺の事を完全に盾だと思い込んでいて、周囲も同様にそう認識していたのだ。
初めの内は『此処に十字架があるだろう!』と叫んでいた俺だが、治安兵と呼ばれる町のお巡りさん達と別れた後に彼女が暮らしている教会まで運ばれて、この訴えが意味の無いものであると知る。
この世界では、秩序と統治を司る空の神ユグルス。
だからと言って十字架が無い訳では無い。
この世界での十字架は空の神ユグルスが持つとされている裁きの剣の象徴。過ちを正し、悪を裁き、世界に仇成す魔を滅する。という物騒な意味が込められているのだ。要するに俺こと平たい棺は、裁きの象徴を付けた聖なる鈍器という事になる。
そして辿り着いたこの教会は女神ヴィネストリアを強く信仰する教会。
他の神像も置かれていて疎かにされている訳ではないが、管理人がどの神に心を置いているかによって、その土地の教会の在り方が変わるのだという。
その為、場所によっては教会が三つある町もあるらしい。
それがこの世界の宗教の形。
この事を教えてくれたのは、教会の遺体安置所に肉体を置く幽霊の婆女である。
擦れ違いざまに見させてもらった彼女に残る記録によれば、この国には棺を使う文化はなく、遺体は基本的に近場の教会や神殿にて灯されている聖火と呼ばれる特別な炎によって火葬され、骨壺に入れて埋葬されるか、山や海に灰を撒かれるらしい。
そのまま蘇生の魔法に付いて知りたいところではあったが、途中で引き剥がされてしまっただけでなく、祭壇に灯されている聖火に近付いた婆さんは強制成仏してしまったため何一つ分からなった。
その後俺も聖火に近づく機会が一度あったのだが、近付いても何も起こる事は無かった事を此処に記しておこう。
『最悪だぁ‼あり得ないだろマジで‼‼』
俺は不安の余り叫んでいた。
このまま彼女に気付いてもらえなかったらと思うと恐ろしくてたまらない。
一生このままなど御免だ。神様の爺さんには永久の命など欲しくないと言ったのに、それよりも更に酷い状態で置き去りにされている。
だけど希望がない訳ではない。
そう、俺を拾ってくれたエステルだ。
この女の子だけが俺の命綱で頼みの綱と言う事になる。
そのエステルはと言うと今は眠っている。
部屋に入るなり気を失って倒れてしまったため、絶対安静の状態だ。
『落ち着け俺。落ち着くんだ。エステルを休ませてやらなきゃな』
エステルを心配そうに見ていたニコルが部屋を後にした今、『さぁ此処からは俺の時間だ』とは流石にならず、ゆっくり寝させてあげようと思うのだ。例え俺の声が届いていない事が分っていても、騒ぐ事は忍びない。
先程不安で爆発してしまった俺だが、流石にそのぐらいの気遣いは持っている。
そこで俺はなるべく彼女の方を向かないようにしながら先の事を考えていた。
成仏する事も許されていない以上、最終目標はただ一つ“この身体からの解放”。
理想は生き返れる事だが、最悪生き返れなくてもいいからこの棺から解放して貰いたい。
ならばどうすればよいのか?
その答えだけは一向に見いたせなかった。
とにかく今は希望が出来たという事を胸に情報収集に努める他ない。
どれだけ不安でも慌ててはいけない。
『となったらまずは、身の回りの情報収集からだな』
そこで俺は今の状況から考えてみる事にした。
今までであれば月や雲を眺めていたり、時折見掛ける夜行性の獣を観察したり、虫を探してみたりと、今にして思うと結構見ていられるものが多かったが今回は違う。
此処は異世界の教会で、その中の一室。
女の子の部屋をじろじろと見る物ではないと分かってはいるが、エステルの部屋は驚くほど何もなく、あるのは衣装棚と寝具だけで見て面白いと思う物は何もない。外の景色を見ようにも、窓にはカーテンが掛けられていて外を見る事も出来ない。
唯一変化がありそうなのは彼女の寝顔だが、変態紳士足るものそのような不埒な真似はしない。そもそも覗き込む度胸すらない。きっとドギマギして直ぐに視線を外してしまう。異性に対してシャイな童貞を舐めて貰っては困るのだ。
後々慣れてきたら『蘇生をお願いしたいのですが』と、耳元で囁いてみようとか考えているが、流石に今日は無理。シャイな俺の心情とか関係なく、ボコボコにされていたのだから休ませてあげたい。
もう一度言うがそのぐらいの節度は弁えている。
『さてと』
色々と連ねたが、考えなければならない事はそんな事ではない。
もっと重要なやるべき事がある。
その内の一つが行動制限の再確認だ。
今の俺の視界はゲームの画面のようなものだ。カメラを操作してこの世界を眺めていると表現できるような状態。範囲は俺の本体である棺から約二メートル前後。その範囲は自由に移動できる。但し、地面には潜れない。それと同じ理由なのか人や壁を抜ける事は出来なかった。それなのに物には触れられない。
理不尽である。
今の俺を例えるなら、赤帽子の小父さんを追いかけるカメラマンだ。
続いて棺の確認に移行する。
本当に今更な事なのだが、おかしな事に気付いたのもつい先ほど。床に転がる棺をニコルが動かそうと奮闘していた時だ。
あの時は持ち上げられずに悪戦苦闘する美人お姉さんの揺れるおっぱいに目を奪われてそれどころではなかったが、冷静になった今は違う。
真実を知る事がやや怖かったが、生き返るためにも放って置ける問題でもないので思い切って視界を棺の側面に回り込ませた。
部屋の中が暗くても夜目が効くのがこの視界カメラの良いところ。
『……アリエナイ』
確認して思わずカタコトな言葉が飛び出した。
結論から言うと俺の感じた違和感は正しかったのだ。
この棺には蓋と桶の境が無い。
こいつはマジ物の不良品で、人を入れる事を想定して作られていないただの置物である。
『設計がガバガバ過ぎるだろ爺。俺の身体は何処に行ったんだ』
あわよくば蓋が外れて此処から解放してくれるのではないかと望んでいただけに、流石にこれは落ち込んだ。
本当に俺はどうすればいいのだろう。
このまま考える事をやめればいいのだろうか。
眠る事が出来ない俺が思考を停止してぼーっとしていると、ふとリモコンのピッという音が聞えた気がした。
常に映り続けるこの視界。
退屈な夜の間だけでもテレビのように画面を落とせないだろうかと考えた俺は、意識の中のリモコンを思い浮かべてボタンを押すイメージを強く思い描く。
その瞬間、視界が暗転してまったく違う世界が映り込んだ。
『何処だ此処?』
爺がいた真っ白な空間とは対照的な真っ黒な世界。
その中で一点だけ照らされた光の中で誰かが背を向けてしゃがんでいる。
俺がその光に近付くにつれて光を浴びる人物は徐々に幼くなっていた。
『君は?』
余りにも異質で寂しい世界に一人でいる女の子に俺は思わず声を掛けてしまった。
すると、誰にも届かないはずの声に反応した幼い少女が振り返った。
途端、世界が急に遠退いて行く。
一瞬だけ映り込んだその女の子はエステルとよく似ていた気がした。
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おまけ○○紹介
・ヒーリングライト
光で照らされた部位を癒す光の下級魔法。術者の熟練度によって効力に差が出る。
・童貞モンキーの聖なる棺
主人公の身体。あらゆる攻撃を無効化する。備考:なまもの。
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