第一章 異世界の少女

第1話 五年後の世界で異世界少女と出会う

 草原に放置されてからどれだけの刻を待っただろう。

 季節の移ろいを眺め、異世界の春を迎えるのも一度や二度の事ではない。

 多分、もう五年目になる。

 足を挫いて転倒したあの日から俺の置かれた状況は何一つ変わっていない。

 以前神様を名乗る爺さんとの連絡が取れないまま、風化する事のない棺だけがそこに置かれている。相変わらず身動きも取れない。苦痛な思いをしていないというのは唯一の救いと言えるのではないだろうか。

 それでも時間の流れと言うのは残酷な物で、始めは良い景色だと思って見ていた風景も今となってはすっかり退屈な物へと変わってしまっていた。

 しかし悪い事ばかりでもない。

 当時見えていた小さな村は、四季が変わるに連れて急激な発展と共に拡張されて町へと姿を変えていた。その過程を眺めているのは面白かったし、ああやって町が出来上がっていくのかと、生前では実感も興味もなかった土地の開発という物を知ったのだ。

 変化があったのはそれだけではない。

 町が出来上がった事で、俺がいるこの辺りに以前よりも人が現れるようになってきたのだ。

 そこで知ったのが魔物と戦う”冒険者”と呼ばれる傭兵に近い職業の存在。

 この世界がゲームに近いのであれば俺の状況も理解出来る。

 彼等に気付いてもらえれば俺はきっと教会で蘇生を行って貰えるはずだと、当時は少なくともそう思っていた。この世界の住民は瀕死に陥ったら、神様の加護的な何かの力が働いて俺の様になるのだと思っていたのだ。

 だから俺は人が通るたびに必死に呼びかけた。

 だけど残念な事に俺の声は彼等に届かないらしい。

 それどころか彼等は魔物にやられると普通に死ぬ事が分かってしまった。

 何故それを知っているのかって?

 見ていたからだ。

 緑色の肌をした醜悪な小人“ゴブリン”。ゲームでは定番の魔物に跳び付かれ、袋叩きにされて殺される少年の一部始終を俺は眺めているしか出来なかった。

 少年に加勢して助けてやろうにも俺の意志はそこまで行けない。

 それどころか物に干渉する事が出来ない。

 身体は相変わらず棺から伸びる思念体のままで、此処から動く事が出来ない。

 俺は結局何もしてやれないまま俺は少年の死を見届けた。

 生身の肉体があればきっとゲロゲロと吐いていた事だろう。人が目の前で食われる姿をリアルで見せられたのだから当然だ。

 それでも、残酷な事だが俺は彼に感謝している。

 この世界の言葉も、ある程度の文字も、最低限の常識も、浮遊霊となって彷徨っていた彼に教えてもらったのだ。

 もちろん言葉で教えてもらったわけではない。

 今の俺は中々に面白い状態で、物体に干渉する事が出来なくても幽霊と触れ合う事で知識を共有する事が出来るらしいのだ。

 そして今現在、俺にこの世界の事を教えてくれた彼は此処には居ない。

 俺としばらく過ごしていて満足したのか、初めて笑顔を見せくれた翌日の朝に忽然と姿を消していた。

 あの時君は俺に何を伝えてくれたのだろう。

 そして俺は一体何時まで此処に取り残されるのだろう。


 ◇◇◇


 転機が訪れたその日はやけに騒がしかった。

 森から出て来たゴブリンの奴等がまた人を襲っていたのだ。

 素人である俺から見ても未熟だと分かる男三人と女一人の四人と、それなりに戦い慣れしたリーダーらしき男の五人組。必死に抗っている姿が見えるが、次から次へと森から出てくるゴブリンの群れにあっという間に囲まれてしまっていた。

 彼等も死んでしまうのだろうか?

 どうかあの少年のようにはならないで欲しい。


『頑張れ、負けるなよ』


 応援しながら眺めていると、後方のゴブリンを倒した彼等はあろう事か仲間の少女を突き飛ばして我先にと逃げ出してしまった。


『おい、待てよ!何で仲間を置いて逃げるんだ!』


 その光景に思わず俺は驚愕の声を荒げた。

 弱い者を囮として逃げる。

 ゲームやアニメなどでもよく見た光景ではあったが、現実で見るそれは余りにも心が痛む光景だった。


『お前達は男だろう!何で四人も男が居ながら女の子一人を護ってやらないんだ!』


 動けない俺は立ち尽くすしかなかった。

 ギャアギャアと嬉々とした声を上げて喚くゴブリンどもが少女に襲い掛かる。

 俺と奴らの間には距離があるため、組み敷かれた少女がどうなっているのか分からない。精々わかる事は、ゴブリンどもが抵抗する少女を殴りつけて押さえ付けようとしていている事だ。


『死ぬなぁ!』


 頑張ってくれ。そう思いながら俺は叫んだ。

 しかし楽しげに喚くゴブリン共の声はますます大きくなっていく。

 もう駄目なのかと、呆然としていたその時――少女に跨って棍棒で殴りつけていたゴブリンが頭から血が噴き出して吹き飛んでいった。


『は?』


 少女の拳が空に伸びていた。

 新たなゴブリンが少女に覆い被さる様に圧し掛かるが、同じように吹き飛ばされていく。

 それが二度三度と続いた事でようやく理解した。

 殴られながらも必死に抵抗を続けていた少女の拳がゴブリンの頭を砕き、細く小さな身体を薙ぎ払っているのだ。

 特殊な力を使ったのか、それとも火事場の馬鹿力という奴なのか。僅かな時間でも上体を起こせるようになった少女が新たに跳び掛かって来るブリンを殴りつける。

 平で叩く様な如何にも女の子な攻撃。一見弱そうに見える攻撃でも、腹部に受けたゴブリンは苦痛に表情を歪ませて悶絶しながら横に転がり落ちていく。

 そこからは早かった。

 身体を転がして片腕を抑えるゴブリンを突き飛ばしたその少女は、ゴブリンどもが躊躇を見せた隙に立ち上がって俺がいる方向に走り出していた。

 そこでようやく俺は、取り残された少女が白銀色の長い髪と深紅の瞳を持つ小柄なシスターである事を知ったのだ。元の世界のシスターとはだいぶ異なる衣を纏っているが、それに違和感を覚えないのはきっと少年が残してくれた記憶のおかげだろう。


「はぁはぁはぁ」


『走れ!諦めるな!』


 袋叩きにされていたダメージと一部破かれた衣装で足を縺れさせながらも懸命に走るシスターを俺は応援する。次第に近づいて来た彼女は俺が死ぬ原因となった倒木を跳び越えた後直ぐに、棺に躓いて転がってしまった。

 ゴンと響く音に俺は驚愕の余りに唖然とする。


『な、何をしているんだ俺!何でそんなところに寝ているんだよ俺!』


 もちろん自分がそこで死んでしまったからなのだが、幾ら何でも障害物が過ぎる。

 久しぶり感じる重みと温かみと柔らかさ。可愛い子が俺の上に乗ってると喜んでいる場合ではない。

 俺はがむしゃらな気持ちで彼女に向かって声を荒げた。


『シスター!俺を使え!』


 何を馬鹿な事を言っているのかと自分でも思う。

 成人間際の男が一人入る棺桶など、小柄な小娘が持ち上げられるわけがないのだ。それでもその時の俺はそれしか方法はないと思い込んでいた。

 猿に似た、でも違う、そんな濁った声を上げるゴブリンどもが、シスターを倒木の上から見降ろしてニタニタと厭らしい目を向けて笑っている。

 非常に不快なその視線は彼女を雌として見ている証だと気付くのにそう時間は掛からなかった。

 彼女が酷い目に合うのを見たくない俺は、どうにか伝わって欲しいと願いを込めて必死に何度も魂を震わせた。


「…………いや」


 振り返ったシスターが棺の上で呟きながら後退さる。


「あっ」

「ギィィ!」


 棺桶から落ちて横転した直後、ゴブリンどもが彼女に飛び掛かった。


「フラッシュライト!」


 それでもシスターは諦めなかった。

 空に向けて白い宝石の付いた指輪を着けた手を突き出して必死に声を張り上げた。

 途端、シスターの色白な素肌に赤黒い線が走った。それは腕から掌に伝って白い宝石の付いた指輪に到達すると、掌の前に出現した小さな光が激しく発光する。


「ギャァ!」


 世界を真っ白に染める光に悲鳴を上げて着地に失敗するゴブリン達。

 これがこの世界の魔法。

 少年の記憶によれば、彼女の手を走った光は魔力の流れを表す”聖痕”と呼ばれる輝きで、魔力を練ると自然に身体から浮かび上がるのだという。そして身体に浮かび上がる聖痕の広がりが多い程、その人物が魔力を持っている証になるそうだ。


「ギイィィアァァァ‼ァァ!ァァァ」


 転げたゴブリンが足を捻ったのか傷みに悶え、他のゴブリン達は目を追い隠して身を護っている。

 その間にシスターは起き上がり、初めて足元の棺を見下ろした。


「はぁはぁはぁ……」


 光が消えてハッと我に返るシスターは逃げられない事を悟ったのか、グッと奥歯を噛み締めて棺に手を伸ばす。


「……っぬぅぁ!」


 少しだけ持ち上がった棺の下に細い指が滑り込んだ瞬間、勢いよく立ち上がるシスターと共に棺が持ち上がり、怒りの形相で飛び掛かって来たゴブリンを押し潰した。


『うお、マジか!』


 小鬼を殴り潰した時と同じ馬鹿力を発揮したシスターに驚いていると、何だか不思議な感触が伝わって来る。

 この感触を例えるなら前髪が少し動く程度の空気砲。痛みは全くと言っていいほどない。どうやらそう感じているのは俺だけのようで、俺の身体に激突して押し潰されたゴブリンは血反吐を吐いて痙攣している。

 棺の重さは見た目通りと考えても良いのだろう。

 どうやら死んだ今も尚、俺の身体はチートスキルを発動させているらしい。


『いける!いけるぞシスター!俺を使って戦え!』


 武器を持っていないシスターに俺が魂を振るわせて声を上げていると、ゴブリンが遠くから放った礫が彼女の頭に当たった。

 ゴッと鈍い音を上げてシスターの身体が横に倒れていく。


『シスター!』


 もう駄目なのか。

 悔しさで一杯になりながら眺めていると、小さく開けられていた彼女の口元がぐにゃりと歪んだ。力強く地を踏みしめて身体を支えたシスターは、止めを刺しに飛び掛かって来たゴブリンの棍棒を細腕で受け止めて、天を貫くような鋭い拳でゴブリンの胸を貫く。


『は?』


 ドクンドクンと揺れる心臓を握る手が血でべっとり染まっている。

 思いもせぬ豹変ぶりに驚いたのは俺だけじゃない。

 仲間をやられて怒り狂っていたゴブリン達も、腕に引っ掛かったゴブリンを払い捨てて肩を震わせるシスターの姿に動揺している。


「……ふふ、ふふふふ、アハハハハハハ!届いた。届いた届いた!これは、これが神のお導き、神の試練!……どうか我が信仰をご覧下さい。必ずやこの試練を乗り越えて見せましょう!」


 とにかく目がヤバかった。

 瞳のハイライトが失われて暗く濁り、何処の誰を見ているのか分からない程に遠くを見ている。とても正気の人間が出来る目ではない。


『わかった。この子はあれだ。きっと自分の血を見ると変わるタイプの子だ』


 狂気を醸し出すシスターの姿に動揺する俺が自分に言い聞かせようとしている間にも、高笑いをしていたシスターは裏返った棺を蹴り起し、両手で棺を掴んで横に薙いだ。

 バットを振り回すかのように軽々しく、巨大な棺が振り回されて風を切る。

 異様な変貌を遂げたシスターを前に戸惑って逃げ遅れた二体のゴブリンが、ゴシャッと鈍い音を上げて宙に舞い、青々とした雑草の上を転がっていく。

 踏み締めた地面がズンと沈み、そのまま反対側にもう一振り。

 慌てて身を屈めたゴブリンは避けきれず、棺の角を頭で受けて絶命し。飛び掛かってきたゴブリンは打ち付けられた衝撃で身体を折り曲げながら回転して頭から地面に落下した。


「アハハハハ!」


 可愛い顔がお見せ出来ないレベルで歪んでいたが、同時にその恍惚とした表情は何処かエロティックな物を感じさせていた。

 戸惑いに呑まれてそんな馬鹿な事を真剣に考えていると


 ペレペレ、ペレペレ、ペレ、ペペン……

【シスターに呪われてしまった】


 聞き覚えのあるBGM とは少し違う間の抜けた音と共に、可笑しなテロップが俺の目の前に現れた。


『え?なに?俺じゃなくてあの子が呪いのアイテム扱いなの⁉︎』


 俺がテロップ相手にツッコミを入れている間にもゴブリン共が悲鳴を上げている。


「ギイィィィ」

「ギャアァァァ」

「フギュァ」


 薙ぎ払われ、殴り付けられ、叩き付けられ、跳ね上がって回転する棺に巻き込まれて、様々な方法で殴りつけられて絶命する。

 今の彼女は竜巻のようだった。

 二十体ほどいたはずのゴブリンが瞬く間に残りわずかとなっている。


「アハハハハハハ!」


 形勢は逆転した。

 我先にと逃げだすゴブリンどもに狂気に満ちたシスターが容赦なく襲い掛かる。

 その姿を間近で眺めている内に、先ほどのテロップはおかしくはなかったのではないかと俺は思い始めていた。


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おまけ○○紹介


・フラッシュライト

 眩い光を放つ光の下級魔法。


・白光の指輪

 光の下級魔法フラッシュライトの術式が刻まれた魔法の指輪。魔力を通せば誰でも扱えるが、普通に魔法で唱えるよりも効力が低い。

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