第8話 魔物

 地震が起きてから丸一日。私達はまだ森の中を彷徨さまよっていた。

 時間が無くて碌な準備もできなかったので、持ってきた食糧はとうに尽きている。それでも持ち前の知識とカーヤの天才的勘で、なんとか飢えと渇きはしのげていた。


「川があって助かったな!」

「良い感じに乾いた枯葉と枝があったのも嬉しいね」


 森があるということは、雨や川といった水分に富んでいる証左でもある。何しろ、水の無いところに木は生えないからね。だから野生動物との遭遇率は上がるけど、まず水を確保するためにも必死で川を探したのは正解だった。

 透き通った綺麗な沢。ちょろちょろと水が流れている程度だけど、こんなのでもあるのと無いのでは全然違う。

 一応、寄生虫やら雑菌やらが心配だったので、水は必ず煮沸してから飲むようにはしている。見た目には綺麗でも決して安心できないのは、北海道の事情を耳にしたことがある元日本人なら当たり前の心構えだ。片手に収まるくらい小さいけど、魔法ギルドから鍋を持ってきたのは正解だったね。


「リゼットちゃん。魔物の糞だ」

「本当だ。近くにいるのかな」

「まだ新しいからな。いると思うぞ」


 フラグを立てるのはやめてほしい。とはいえカーヤのことだ。風下や遮蔽物の陰といったように、上手い具合に魔物を避けるルートを(半ば無意識に)選んでいるのは流石だと感心する。実際、ここに来るまでに一度も魔物には遭遇していないわけだし。


「正直、ここまで接近しちゃうと魔物を避けるのは難しいかもだぞ」

「えっ」

「魔の森とかじゃない限り、森の中ってのは意外と魔物の密度が低いんだよな。あたしは魔物の痕跡を避けてたから、ここまで遭遇しないで済んだんだ。でもこんな新しい痕跡を見つけちゃったから、ここから先は運に頼るしかないぞ」

「ま、マジですか……」

「マジだぞ」


 カーヤは基本的にはお馬鹿さんなんだけど、こと、命が懸かったサバイバルとかでは凄いセンスを発揮する。そのカーヤが「あとは運」と言っているのだ。昨日は「吊り橋が落ちてラッキー」くらいにしか思ってなかったけど、地震が収まった以上は魔物の活動が活発になることくらい予想して然るべきで。……完全に失念していた。


「とりあえず、急いだほうがいいよね」

「うん。一応武器になる石とか探しとく」


 ただの石ころでも、カーヤが投げれば立派な兵器になる。現役のプロ野球選手が思いっきり投げるくらいの威力、といえば伝わると思う。

 私? 小学生の草野球が関の山じゃないかな……。


「行こっか」

「うん」


 自虐がメンタルに刺さって勝手に自滅した私だけど、そこはまあ(中身は)大人なので気を取り直して一歩を踏み出した次の瞬間。


 ――――ガサッ


「グルルル……」


 狼型の魔物が茂みから姿を現したのだった。


「ああああああああ見事にフラグ回収しちゃったぁああ!」

森狼フォレストウルフだ!」


 森狼フォレストウルフ。全長は地球に生息するハイイロオオカミくらいで、一二歳の少女である私達に比べたらかなり大きい。目がどす黒い赤に染まっていて、普通の動物よりも大きく鋭い牙を持ち、ありえないくらい獰猛な性格をしているのが特徴だ。集団を好まず一匹だけで生活しているという、一般的に群れを作ることが多いウルフ種にしては珍しい生態の持ち主でもある。

 まあだからといってなんとかなるかというと、そんなことは全然ないんだけど。一匹でも脅威であることに違いはない。


「に、逃げ……」

「無理だリゼットちゃん! こいつは足が速いんだ!」


 そうだった。冒険者や旅人向けに書かれた本で読んだことがある。こいつに背を向けたら最後、食われる未来しか残っていないのだ。


「た、倒すしかないのか」


 魔物なんて見たことも無い。運動神経も壊滅してる。唯一の取り柄は魔力が人よりも多いことだけ。しかも魔法は使えないときた。普通に考えれば、勝てる要素はまったく無い。

 ――――でも一つはっきりしてるのは、ここで諦めたら絶対に未来は無いってことだ。


「これでも喰らえええっ! えいっ」


 ――――ブォンッッ……という風切り音を立てて、カーヤがメジャーリーガーばりの豪速球を投擲とうてきする。流石はカーヤだ。拳大の石は見事に森狼フォレストウルフを捉えた。


「ギャウンッ」


 巧いこと目に直撃したみたいだ。でも安心していられたのはほんの数秒程度だった。ジュクジュクと気持ちの悪い音を立てて、森狼フォレストウルフの怪我が治っていく。

 ……ダメだ。ただの石じゃ効果が薄い! 何か他に、もっと威力の高い攻撃手段は――――。


「……あれだ」


 その時、私の脳裏をよぎったのは、数年前、まだ私が魔石に魔力を注ぐ作業に慣れてなかった頃の出来事だった。

 魔石というのは基本的に、注げる魔力の絶対量が決まっている。ゴブリンみたいな低ランクの魔物の魔石なら大した量は篭められないし、逆にドラゴンみたいな伝説級の魔物なら馬鹿みたいな量の魔力が注げたりする。

 私は昔から人よりも魔力が多かったから、最初の頃は加減がわからなくて低ランクの魔石に魔力を注ぎすぎてしまうことも何回かあったのだ。

 そして魔力を限界以上に篭めた魔石は状態が不安定になって、僅かな刺激を与えるだけで魔力爆発を引き起こす。キャパオーバーの魔力を篭めてしまった結果、何度か危ない思いをしたことがあったことを、追い詰められた今、土壇場で思い出した。

 魔石が引き起こす魔力爆発の威力はなかなかに高い。――――それこそ、すぐに回復する魔物相手に充分なダメージを与えられるくらいには。


「んんんっ、カーヤ!」


 私は鞄から既に魔力を注入済みの魔石を取り出して、更に魔力を篭めてからカーヤに放り投げる。

 本当なら魔道具がないと魔石に魔力を注ぎ込むのは難しい。でも、暴発を気にしなくても済むという特殊な事情と、火事場の驚異的な集中力が奇跡的にそれをなすことを可能にした。

 一歩間違えれば危ない行為ではあるけど、運動神経抜群のカーヤなら必ずキャッチすると信じていた私は、少しも躊躇ためらうことなく彼女に魔石を投げていた。


「っ! これは……魔石?」


 案の定、何の問題もなくしっかりとキャッチするカーヤ。私はカーヤに向かって声を張り上げる。


「それを投げて! それがあればきっと倒せる!」

「? ……わかった! 任せろ!」


 少しも疑うことなく頷いたカーヤは、魔力を限界以上に含んで崩壊寸前の魔石を思いっきり森狼フォレストウルフに向かって投擲する。

 さっきの石ころよりもよっぽど速いスピードで空気を切り裂きながら飛んでいく魔石。そして魔力の爆弾は森狼を正確に貫いた。


「伏せて!」

「っ!」


 ――――ドォオオオオオンッッ!!!!


 次の瞬間、閃光と轟音が、昼でも暗い森の中を真っ白に染める。煙と爆風が周囲の空気を吹き飛ばして、視界をすっかり覆い尽くす。


「……どうなったの?」

「わ、わかんないぞ」


 咄嗟に伏せたおかげで私達は二人とも無傷だ。森狼フォレストウルフのいた辺りはまだ煙が充満していて、どうなっているのかは確認できない。

 今までに無いくらい長く感じる数十秒が過ぎて、周囲に元の静かな空気が戻ってきた。風に流されて、煙がようやく晴れていく。


「リゼットちゃん。やったよ」

「……倒した、んだ」


 そこには頭部を爆散させて、ピクリとも動かなくなった森狼フォレストウルフの死骸が転がっていた。


「た、助かったぁぁー……」


 へなへなとその場にへたり込む私。カーヤは一応警戒しながら森狼フォレストウルフが死んでいるのを確認して、それから私のところへと戻ってきた。


「あたしたち、魔物に勝ったぞ!」

「うん、勝ったね」


 生まれて初めての命の奪い合い。正直、死ぬかと思ったけど……諦めなければ、案外なんとかなるもんだね。


森狼フォレストウルフは、この辺の森だと一番強い魔物なんだ。それを倒せるってわかったら、なんだか希望が見えてきたぞ!」

「なんだか、この森に限らずさ。私達ならもっと高いところまでいける。そんな気がするよ」


 私達の第二の人生はまだ始まったばかりだけど。それでも未来は決して暗くないと、運命の女神が微笑んでくれているような気がした私だった。




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