04 駆け込んだ先
走った。とにかく走った。息はもう切れている。足も重い。でも走らなくちゃ。飛び交う銃声が、僕の体を撃ち抜く前に。
彼女が逃げ込んだ先は、街外れにある質屋だった。木造の家屋は古びていて、中では小太りの老人が座って店番をしている。ロウソクで照らされた店内は、昼間の割にとても暗かった。
店に入るなり、扉に鍵をかけ、彼女は老人に声を掛けた。
「なあ、おっちゃん」荒ぶる呼吸のせいで、彼女の言葉は途切れ途切れだ。「こいつは王子だ。王子パル・メルトンだ……いや、今はもう王なのかもしれない」
そう言って彼女は僕を老人に突き出した。カウンターを挟んだ先で、ひとり座っている老人。彼は腰を下ろしたままに、僕を真っすぐ睨んでいる。「それは本当か?」
「ああ、間違いない。軍人から確認も取れた」
「どうやってそんなことを?」
「話すと長くなる。でも、こいつはとにかく王子だ」
「それで?」
「……こいつは約束した、私たちに金をくれると。本当ならギロチンにかけられるべきだ。けれども私がそこから救ってやった」
「しかしだ、セリア」老人が一度咳払いをして言う。セリアというのは彼女の名前に違いない。「ギロチンにかけられるべきなら、そうするべきだ。大人しく軍部に差し出せ」
「でも私たちには金がいる。生きていくための金が」
「それは確かにそうだ。けれども、こいつをかくまうのは無理だ。危険すぎる」
「じゃあ大人しく手放せって言うのか?」
「そうだ」老人は深く頷いた。
「でもおっちゃん、私たちは金がないんだろう? 今日の飯さえ、満足に食えるか分からない。でも、これはまたとないチャンスだ。みすみす逃すわけにはいかない。違うか?」
彼女の言葉を聞いて、老人は何やら考え込んでいる。顎に手を当てて、僕の目をじっと見つめた。彫り込まれた皺は深く、髪には白髪が混じっている。その目には威厳があって、僕の父さんに勝負を挑めそうなくらいだった。
「かくまうとしても、だ」老人は言う。「そのうち捜索が始まる。こんな場所はすぐにバレるだろう。そうしたら一巻の終わりだ。俺たちだってタダでは済まない。王子をかくまった罪で牢屋行き……最悪処刑もありうる」
老人がそう言って手をカウンターに乗せた時、この家の扉を何者かがノックした。部屋に緊張が走る。
「誰だい!?」老人は立ち上がって声を上げた。「悪いが今立て込んでる! 先に要件を言ってくれ!」
「質に入れにきた!」声からして、恐らく若い男だろう。「おいおっちゃん! 中に入れてくれよ! 金がねえんだ! 頼む!」
「どうするの?」少女が言った。
「開けてくれ、セリア」
彼女は言われた通り扉を開けた。キイイっと軋む音がして、部屋に陽光が差し込むと、痩せた体躯の男が一人、部屋にのそのそと押し入って来る。
「頼むって、おっちゃん」彼はそう言うとカウンターに手をついて前のめりになった。「なあ、本当に金がねえんだ。これ、おやじの形見だよ。宝石さ。すごいだろ? たぶんルビーだ。見てくれよ、この、眩しいまでの赤を」
「偽物だ」宝石を手に取るなり老人は言った「どう見ても作り物だ」
「本当かい? そう言って安く買い取るつもりじゃないだろうな?」
「本当だよ。ほら、ここに本物のルビーがある」
老人はそう言って、カウンターの引き出しから別の宝石を取り出した。右手に偽物、左手にルビー。こうして見ると、確かに輝き方が違う。
「じゃあ、いくらで買い取ってくれるんだい……」急に元気を失くした男は、老人に向かって祈るように言った。「なるべく高く頼むよ。なあ、俺にとっておっちゃんは生命線なんだよ! 今日の夜飯の金が欲しいんだ、頼む」
「十ヘントだ」
「そこを何とか、十二で頼む」
「いいや、十だ。それ以上文句を言うなら、九にするぞ」
「……分かったよ」
男はそう言うと、溜め息をついて手のひらを差し出した。老人がその手に小銭を十枚乗せる。
「さあ、大人しく帰るんだ」
「……ところでそのガキは誰なんだい?」男がそう言って僕に目を向けた。「見ない顔だ」
僕は老人の方を見た。老人もこっちを見ている。
「この子は……」老人は僕を見たまま、言葉を探しているのか瞬きを繰り返した。
「養子」そう言ったのはセリアだ。「おっちゃんの養子。今日引き取ったんだ」
「へえ、養子ねえ」男はそう言うと、つまらなそうな顔をして店を去る。扉を開けて外に出る瞬間、彼はこう言い残した。「あんたらだって金が無いんだろう? それなのに養子を取るってのは、馬鹿げた決断としか思えないな」
そう言って男は質屋を出た。
「勝手なことを言うな」老人がセリアに向かって言う。「これでまた事態が難しくなった」
「でも、本当のことを言うわけにはいかないじゃないか」
「それは確かにそうだが……まったくお前って奴は、いつもそうやって俺を困らせる」
「悪いね。でも私だっておっちゃんの養子だ。困ったときには助けてもらわないと」
「……いいさ、じゃあ、一日だ。一日だけこの王子をかくまう。ただし一日だ。それ以上は無理だろう。そのあいだに金を巻き上げるんだな」
「分かったよ」セリアはそう言うと、僕を引っ張って階段を登って行った。
壊れかけた木の階段の先に、彼女の部屋があった。これまた木の床の上――歩くたびに軋んだ――には、木の机と木のベッドがある。部屋の窓からは陽光が差し込み、埃たちの躍りを浮かび上がらせていた。
「座れ」彼女はそう言って椅子を差し出した。
大人しく座る。彼女の方はベッドのふちに座った。セリアはそのまま腕と足を組み、僕のことをじっと睨む。
「金持ちってのは、私が一番嫌っている連中だ」彼女は不機嫌そうに言った。「特に王族となれば、金持ちの三倍は嫌いだ。その王族が、今私の目の前にいる」
彼女が立ち上がった。そして僕の膝の上に座る。僕は怖くてうつむいたが、彼女は僕の顎をつかみ、無理やり顔を上げさせた。そのせいでバッチリ目が合った。
――黒い瞳だ。肌は荒れていて、髪はボサボサだが、顔立ちは整っている。
「なんだよ」僕はぶっきらぼうに吐き捨てた。
「どうやってお前から金をとるか、それを考えてるんだ。もう宮殿には引き返せない。よくよく考えてみれば、お前はもう平民同然、いや、それ以下だ」
「まあそうだな」
「ということは、確かにおっちゃんの言う通り、お前をかくまうのは単なるリスクでしかない。けれども私は金が欲しい」
「早く結論を言えよ」
「結論が出ないからこうやって口に出して考えてるんじゃないか」
彼女はそう言うと、膝の上に乗ったまま、僕にぐっと顔を近づけた。走って来たせいで火照った彼女の体の熱が、僕の方にふわりと漂ってくる。
「そもそも私は革命を支持してるんだ。あんたらメルトン家の圧制にはうんざりだったから」
「その話は聞き飽きた」
「いいや、またとない機会だ。この際、貧民を代表して恨みをぶちまけてやるよ。いいか、お前らは毎月役人をよこして来て、ムチを片手に税を取り立てた。払うことの出来ないやつは牢屋に押し込んで、そうして得た金を、あの金ぴかの宮殿を改装するのに使ったんだ」
「でも僕が決めたことじゃない。決めたのは父さんだ」
「それで? なんのために改装なんかを?」
「知らないね」
「ふうん」セリアが天井を見上げた。「お前に家族はいるか?」
「姉なら、隣国の貴族に嫁いだから、まだ生きてると思う。ただ、そのうち彼女にも革命の余波が行くかもしれない」
「なるほど……なら、その姉さんの所に逃げるってのはどうだ?」
「それでどうする?」
「成功したら、金をもらう」
「姉さんから金を取るのか?」
「誰でもいいが、とにかく金だ。金さえくれれば、それでいい」
「じゃあやってみろよ。こんな状況で僕を隣国に逃がすなんて、不可能に決まってる」
「どうだろうな……やってみないと分からない」
彼女はそう言って顎を指でこすった。すると突然、一階からさっきの老人が駆け上がって来る。
「おいセリア!」老人は部屋に来てすぐ顔面蒼白で言った。「軍人が来た。奴ら、もう捜索を開始してるらしい」
老人がそう言った途端、一階から激しいノックの音が聞こえた。続いて、怒号にも似た軍人の叫び声が、家屋をつんざいてこの部屋まで届いてくる。
「さっさと開けろ! 開けないなら突入するぞ!」
「僕が居るって、バレてるのか?」僕は老人に訊いた。
「いいや、違う。しらみつぶしに家々を当たってるだけだ。にしても奴ら、行動が早いな。セリア、この子を部屋のどこかに隠すんだ」
「そんなことしたって、どうせすぐにバレ――」
「いいから早くしろ! 俺は軍人を家に入れる……」老人はそう言うと、座っている僕に迫真の声で忠告した。「いいかガキ……絶対に声を出すんじゃないぞ……絶対にだ……もし声を出したらどうなるか……きっとギロチンよりひどい目に遭うだろうな……」
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