番外編 イレーネとラニエロ3

 階段から落下した私は、足をひねってねん挫をしたのと身体に軽い打ち身を作った程度で、痛かった割には大した怪我はなかった。

 さすがヒロイン。怪我耐性高い、と妙なところで感心した。

 怪我を理由に婚約とかになったら洒落にならない。大したことなくてほんとによかった。

 怪我から一か月の今、私はふかふかのベッドと、おいしいお料理と、メイドさんたちの至れり尽くせりの介護生活を満喫している。

 正直極楽である。

 実のところ怪我は治っている。ただ、メイドさんたちにもう少しもう少しと引き留められ、居心地がよくなってしまい、なんとなくダラダラしていたらいつの間にか時がたっていたのである。


 そう、私がぐうたら過ごしているこの場所はなんと、ラニエロが、この国に構える別邸なのだ。怪我をさせてしまった責任をとるとか何とかで、私は、痛がっている隙にいつの間にかこの屋敷に運び込まれていた。

 もちろん、彼の屋敷なのでラニエロも毎日帰ってくる。王子とは学園の中でだけ一緒にいればいいだけで、その後は自由なのだそうだ。

 こいつもメイドさんと一緒に私を構い倒す。


『目が覚めましたね。朝のお茶をいかがですか?』

『何か食べたいものがありますか?』

『今日は、私が勉強を見ますよ』

『天気が良いので、日光浴をしましょう』

 私が足を痛めているのをいいことに、暇さえあれば、私を抱き上げて運びたがるし、食べ物を口に運びたがる。手は怪我していないと何度言ってもいうことをきかない。

 彼のホーム、私にとってはアウェーのこの場所で怪我で身動きが取れない今、私には逃げることができなかった。必然的に、彼のかいがいしい甘やかしを一心に受けることになる。


 彼が心を傾けてくれているのがわかる。

 スペックの高いイケメン隠れキャラにここまでされて、ドキドキしない方が嘘だ。

 気持ちがなびかない方が嘘だ。

 私は、殺人鬼の狂った横顔を思い出して最初の頃こそびくびくしていたが、次第に彼の優しい行動に、怖かった記憶が上書きされていってしまった。


 当初嫁入り前の娘に怪我をさせられた(私が勝手に落ちたような気もするのだがそこは沈黙)と怒り心頭だった父母も、見舞に来ても最近何も言わない。それどころか、非常ににこやかで愛想がいいし、いつまでもいてもいいなどと滞在を勧めてくる。


 というわけで、あまりの居心地の良さに思考も麻痺していて、ラニエロに攻略されるのもありかもしれない、などとふんわりと思い始めてい気が付くと、私は一か月もこのお屋敷で過ごしていた。


 しかし、最近私は、お腹の周りの脂肪と共に、ふと、恐ろしい事実に気づいた。


「あれえ? ひょっとして私、監禁されてる?」


 もしかして、もしかしてだよ。

 ラニエロは、私を監禁するために、怪我をさせたの?


  ◇◇◇◇◇◇


 私は、しばらく休んでいたため、卒業に必要な単位の心配も出てきてしまい監禁生活は1カ月半で終了した。

 監禁かもしれないと気づいてからは、もう、なんだかよくわからなくなってしまった。

 ラニエロは殺人鬼で、怖い。

 この世界のラニエロも、人を殺している。

 この世界のラニエロは、私にはとんでもなく優しい。

 この世界のラニエロは、私を監禁するために、怪我をさせることもいとわない。


 彼自身がよくわからない。

 そして、そんな彼に、私は恐怖と同時に……もう、ある想いを抱いてしまっている――。


 どうすればいい?

 やっと家に帰してもらい、学園に通うようになってから、私は真剣に考えた。

 昔から考えるのは苦手で、すぐに妹のみいちゃんに頼っていた。困ったことがあって相談するとみいちゃんはいつも解決策を一緒に考えてくれて、それで乗り越えてきたのだ。

 今回、みいちゃんはいないけれど、転生者と思われる1のヒロインアシュリーがいる。乙女ゲームもよく知っている彼女ならば、よい解決策を一緒に考えてくれるのではないかと思われた。


 私は、残り少ない学園生活、彼女に相談しようと思って、学園の帰りに、彼女を待ち伏せしようと、校門の側の木の陰に身を潜めた。

「イレーネ、具合はどうですか?」

「ひっ」

 しかしどこからともなくラニエロが現れる。

「ここで何を? あなたが心配です。授業以外はご自宅で静かに療養されるというから帰したのに」

「ちょ、ちょっと友達に会いに……」

「わざわざ、待ち伏せしてまでして?」

 ラニエロは近づくと、私の髪を一房救う。それに口づけるように体をかがめると、仄暗い瞳でこちらを見上げる。胸のジャケットの内側に収まるナイフの柄がちらりと見えた。

 これ、あれだ。

 マフィア映画でよくある、拳銃を胸元からちらつかせて脅かすあれだ!

 私は、真っ青になる。

「私は心配でたまりません。やはり、学園へは私の家から通いましょう。明日からは、私が送り迎えします」

 私は、こくこくと首を縦に振ることしかできなかった。

 私は、アシュリーへの相談を断念した。

 そして私は、再度ラニエロ邸へと連行される……。


 私は、再びラニエロの屋敷へ戻った。必要な単位取得のために学園へ通ったが、その送迎もラニエロが行ってくれた。

 やがて、学園も自由登校になり、ほとんど通う必要がなくなってしまい、私はラニエロの屋敷で日々を過ごす。

 屋敷での彼は、優しく、私を最愛の恋人のように、甘やかす。

 私は、その度にドキドキして、彼を思い、胸が締め付けられる。

 でも、決して私を外に自由に出してくれなくなった。

 ――いや、懐から覗くナイフが怖くて、私が出たいと言えなくなってしまったのだ。


 こんな歪んだ関係が正しいわけがない。 

 このまま流されていいわけない。

 それに、何よりも、私は死にたくない。


  ◇◇◇◇◇◇


 私は、こっそり屋敷を出て、ゲームのエンディングである卒業パーティーが終わるまで行方をくらますことを決意した。その後なら、きっと大丈夫に違いない。それにかける。


 結論。

 ……あっさりつかまりました。


「何をやってるんですか、あなたは! あんな夜更けに出て行って! 心配させないでください」

 真剣な瞳で私を見つめる彼は、いつもと違ってぼさぼさの髪で、身なりも全く整っていなくて、寝ていないとわかるほど目も真っ赤で。

 私を抱きしめて背中をなでる手がとてもあたたかくて。


「……ごめんなさい」


 もう、本当にどうしたらよいかわからなくなってしまった。

 彼を傷つけたいわけでも、心配させたいわけでもない。

 彼を思う気持ちもある。

 でも、彼を信じきれない。


 そして、私はただ、死にたくないのだ。


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