第12話 旅立ち

 今日は、私が隣国へと旅立つ日だ。

 私が父母と弟と別れの挨拶を交わし、迎えの馬車が来るのを待っていると、家の前に馬車が止まった。

 四頭立ての細かい装飾が施された黒塗りの豪華な馬車だ。まるで王族でも乗っていそうな。


「やあ、アシュリー。久しぶりだね」

 本当に乗っていた。

「王子殿下。ご無沙汰いたしております」

 ひょっとして見送りに来てくれたのだろうか?

 やばい、また泣いてしまいそうだ。

 あの後、もう涙が出ないくらい泣きまくったのに、私の涙腺は馬鹿になってしまったのかもしれない。

 エルネスト殿下は、私に小さく耳打ちする。

「契約終了のサインをしていないよ。終了時にはきちんとサインを貰わないと、契約不履行で訴えられた時、不利だよ」

 う。そんな可愛らしい理由ではありませんでした!

 涙はすぐにひっこんだ。


 父が慌てて我が家の応接室へご案内し、お茶をお出しすると、殿下はさっそく契約書を机の上に提示する。

 ……ええ!? 父の前で出す!?

 物議を醸しだしそうな予感がして、私は父の方をちらりと見るが、父は特に何も言わない。後が怖い。

 もう、終わった契約だもの、時効だよね、時効!

「さあ、僕は契約終了のサインをしたよ。君も」

「はい」

 私も、殿下の名前の下へと並んでサインをする。


「じゃあ、次の書類」

 殿下は、侍従に合図をして、次の書類を出させる。

 はて、何だろう?

 私は、それを見て固まってしまった。

 それは、私がこれから訪れる隣国の商会の雇用契約書だった。

「あの、殿下がなぜこれを」

 殿下は楽し気に雇用契約書の商会長の欄へ署名する。

 アルバロ=リバデネイラ。

 私は目を丸くする。

 さっきと別の名前だ。

 そして、その名前は、商会長の名前で。

 私にはその筆跡に見覚えがあった。

「まあ、こういうことだよ。我が商会へようこそ、アシュリー=ダルトン。君の手紙は、なかなか面白かったよ?」

 なんと。

 殿下こそが、あの商会のトップ――私の、文通相手だったのだ。


 私は、半分動転しながら、何とか、中身を確認し(お給料が聞いてたのより多かった!)、父と一緒にサインした。

 それが終わると、殿下が合図をして、部屋には、私と殿下だけが残された。

 父はどうも知っていたらしい。してやったり、という顔をして部屋を出て行った。悔しい。

 殿下が、商会長だった。私がずっと、憧れて、尊敬してやまなかったあのお方。

 おひげを生やしたナイスミドルのちょっとワイルドな海賊の衣装がよく似合う(想像では)商会長。

 殿下に頭の中で商会長仕様のちょびひげをつけてみたが、とんでもなく似合わなかった。

「君、どうせろくな事考えてないでしょう」

「いいえ、私はまじめな事しか考えておりません」

 きっと世の中にはちょびひげが似合わない商会長もいるだろうし、殿下に似合うちょび髭も絶対あるはずだ。


「今なら答えられることなら答えてあげるよ」

「殿下が、商会でご自分の名前をお使いにならないのはなぜですか?」

「舐められるから。金持ちの道楽だと思われたくなかったから。雇用契約書に書いてある通り、アルバロが僕だというのは、機密情報だ」

 きっと在学中は雇用契約を結んでいなかったから、機密は話せなかったということだ。

「はい、他言いたしません」

「他には?」

「お伝えしたいことが一つだけ」

「何?」


「私は、客でも文通相手でもなく、今日からは部下になりました。お手紙を書くのは、今後やめることにいたします。いただいた手紙は、私に夢を与えてくれ、世界を感じさせてくれました。とても感謝しています。ありがとうございました」


 私は、商会長に会ったら告げようと思っていたことを、しっかりと告げた。

 口に出してはっきりわかる。


 私は殿下だけではなく、心の支えだった商会長アルバロ様まで失ってしまったのだ。


 私は、殿下に見えない場所で両手をぎゅっと握り締めて、精一杯胸を張って、凛とした声で告げる。

「本日は、拙宅まで契約の件でお運び頂きありがとうございました。お見送りいたします」

「僕と一緒に行かないの?」

 とんでもない! これ以上殿下の顔を見ていたらまた泣きたくなってしまう。

「迎えの馬車は頼んでありますので、お気遣いいただかなくても大丈夫です」

「その迎えの馬車って、僕の馬車なんだけど」

「え?」

 また父にやられた!

 あれだけ泣いて、苦しんでやっと心の整理をしたのだ。正直放っておいてほしい。

 でも、殿下と父で決めたことに、私が逆らえるわけがない。私は、自分の情けない顔を見られるのが嫌で、下を向いた。


「そんなにいや?」


 殿下の声が、低くなった。私の態度は褒められたものではないので、仕方ない。


「契約が終わったら即座に縁を切りたいほどに? 僕が商会長だったのが、そんなに気に入らなかった? 君は商会長の話をするときは、目をキラキラさせてさ。まるで、恋してるみたいだった。僕が、彼でがっかりしたってとこかな?」


 静かな口調だったが、明らかに怒りを含んでいることがわかる、投げ出すような言葉だった。

「そ、そういうことでは……」

 がっかりしたとかそういうことではないのに。でも、それを伝えるには、自分の気持ちをさらけ出すことを避けては通れない。私は仕方なく言葉を濁す。


「もういいや。やっぱり君は手に入らないんだ。――これを書いてさえくれればいいよ」


 殿下は、別の紙を取り出した。

 先頭の「婚約」の文字を見て、肩が大きく震えてしまった。

 また、契約書だ。恋人の次は、婚約?

 また? 今度はいつまで?

 恋人契約の甘く切ない五か月間が走馬灯のように駆け巡って、そして、最後の泣いて過ごした一週間の記憶が胸をえぐる。


「もう、殿下との契約は嫌です」

 その言葉は考える前に、口から飛び出してしまっていた。口を押えたけれどもう遅い。とんでもなく不敬なことを口走ってしまった。

 さらにお怒りになるかも、と思って肩をすくませたが殿下は何も言わない。私は恐る恐る顔を上げて、殿下の顔を見上げた。

 殿下の顔に浮かぶのは怒りではなかった。傷つき、泣き出しそうなほどに歪んだその表情に、私は胸を突かれる。


「ふ、ふふ、はは、はは」

 殿下は、ゆらりと立ち上がると、歪んだ表情を笑みに変えながら、告げた。


「そう、これも拒否するの。いいよ。でも、手放してあげない。君が嫌がっても、抵抗しても、無駄だよ。絶対に連れ帰る。僕の側に置くよ」


 殿下は、甘く微笑み、私の側に近づき、覆いかぶさるようにして、私の頬を撫で、私の髪を一束すくい、口づける。

 彼の瞳の奥が、昏く濁った何かに埋め尽くされていく。


「これから、君のために居心地のいい鳥籠を用意するよ。他の誰も触れない、僕と君だけの鳥籠。君を僕の物だって知らしめるための首輪も用意しよう。それから、君が離れていけないように、君を繋ぐ鎖も用意しよう」


 私は、忘れていた事実を思い出した。


 ――彼は、ヤンデレだらけの乙女ゲーム「囚われヒロインは自由を求める籠の鳥2」の隠れキャラだったのだ。

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