第2話

 街の西区画はよっぽどのことがあっても、普通の人はまず立ち寄らない。不法滞在者、違法就労者、反政府組織、薬物の密売人、そしてその中毒患者。

 打ち捨てられた無数のスプロールは彼らの恰好の隠れ蓑となっていた。

 その一角、ビルの一室にその店はあった。


窓に掛けられた安っぽいネオンサインには

『サイバネ手術うけたまわります』

の文字。


 体の一部を機械で代用するいわゆるサイバネティクス手術には医師免許、その他諸々の資格が必要なはずだが、どうやらこの区画に限っては不要のようであった。


 事のあらましを伝え終えたクルミはソファに座り直し、もう一度オーナーの男をじっくりと観察した。カブラギと名乗ったその男は丸眼鏡でドレッドヘア。右の側頭部はLANのコネクタを刺すため、無毛だった。歳も自分と2つ、3つ程度しか変わらないのではないだろうか。


 胡散臭さを塗りたくった様な見た目。だが、それでいい。こんな男でないと仕事を頼むのは無理だ。


「つまり、この手をあんたの腕とそげ変えてほしいってことか?」

 カブラギの視線は二人を挟むテーブルの上に置かれた義手を見た。

「いくらでやってくれる?」

「まて、まだやると決めたわけじゃない」

「金ならあるわ。それも物理で」

 クルミは裸の札束を机の上へ置いた。


「金は問題じゃない。俺が気になってるのはあんたがどう見ても富裕層っぽいってところだ」

 クルミはそれを聞いて苦笑し、頭を振った。

「金持ちのごたごたにかかわるのは御免こうむりたいね」

 ガラス製の灰皿を一瞥したクルミはぼりぼりと頭をかいた。

「……事情を話せば、やってくれるの?」

「内容による」


 クルミはポケットから取り出したタバコを口に咥えると、身を乗り出した。

「火ならそこにある。灰皿の右」

 クルミは動かず、「客よ?」


 舌打ちをしたカブラギのライターが明かりを灯すと、クルミは名一杯ニコチンを肺へ送り込んだ。頭がスッとして、すべてが上手くいくような気がした。これから自分がしようとしていることも、あながち愚行ではないように思えた。


「ユキ=アマサワって知ってる?」

 眉をひそめるカブラギを見て、まあ無理もないかと笑った。

「有名な、まあ、そこそこ有名なピアニストなんだけど?」

 カブラギの目に一瞬、カラフルな文様が浮かび、消えた。BMIで検索したのだろう。


「ユキ=アマサワ、義手のピアニスト、2073年生まれ………2092年、没……」

 男の顔が上がり、クルミを見つめた。その顔がみるみるうちに戸惑いと驚きに変わっていく。

「瓜二つだからびっくりした?」

「あ、あんた、おばけか………」


 笑って、タバコの灰を落とす。

「もうちょっとマシな思考が出来ないわけ? ユキは私の妹。私はその姉。姉妹っていうよりは、双子って言った方がいい?」

「そっくりじゃないか」


 妹とは気持ちが悪いくらい似ていた。体つき、声、仕草、趣味や趣向も生き写し。全てがコピーされたように同じだった。たった一つ、その才能除いて。


 幼い頃、自分だけの価値を見つけろ、とよく言われた。

 年を重ねるにつれ、その意味は何となく分かり始めてきた。自分が普通の家に生まれたわけではないという事。地位を守るためには何か、秀でたものが必要だという事。

 クルミにとって自分の価値とはピアノだった。半ばインテリアとして置かれていたピアノに興味を持ったのがそのきっかけ。そう、誰でもない自分が、自分が最初に始めたのだ。


「ピアノを弾くのは楽しかった。頭で考えなくても、体で分かった。やればやるだけ上達したし、父と母も喜んでくれた。だから、私にはピアノしかないって思った」

 程なくして、妹がピアノをやりたいと言い出した。

「あの子の演奏はたどたどしかったし、とても才能なんて、なかった」

 最初の頃は連弾で、ベースラインをリードしてあげなければ、満足に曲を最後まで弾く事すらままならなかった。

「月の光、ドビュッシーの。あんな曲すら、私が横で引っ張らないと弾けなかった。なのに」


 ユキの上達するスピードには目覚ましいものがあった。同時に彼女もまた、ピアノにのめり込み、その才を開花させていった。

 妹がコンクールに入賞するようになるとその差は決定的なものになった。両親の興味が明らかに自分から離れていく様がありありと分かった。


「だが、妹さんは義手だったんだろ?」

「生まれた時からじゃない。あれは……七歳の時。ちょっとした、事故で……」

 言いながらクルミはブラインドが閉まった窓を見た。


「右腕の手首から上、そして結局腕ごと切断することになった。思えば、それが私に与えられた最後のチャンスだったのかもしれない。ピアノの演奏ってのいうのはパターンと慣れの集積なの。ただ楽譜を見て弾けばいいってものでもない。何千、何万の経験が手に染みついているから出来る。手を失うっていうのはそう言う事。だから、義手になったあの子にはもう二度とピアノは弾けない、はずだった」

 だが、妹はやり切った。義手の内蔵メモリに彼女は自分の癖やパターンを徹底的に教え込んでいったのだ。


「私は死んでるのよ」


 価値を失ったクルミには誰も見向きしなくなった。存在しないも同然。自分の未来も、価値も、そして両親も全てユキが奪い去った。

「私はあの子の影に隠れて生きてきた。だから、あなたの言った通り、私は幽霊……空っぽで中身のない」


 クルミは紫煙を吹き出し、虚空を見た。


「病気で妹が死んだとき、嬉しいなんて気持ちは湧かなかった。だって、それで何かが変わるわけじゃないから。でも、一つだけ、置き土産をしてくれた」

 咳ばらいをし、クルミはもう一度タバコを咥え直した。


「葬儀屋がある提案をしたの。義手のメモリを利用すれば、葬式の時、あの子の演奏を再現できるって。両親は反対したけど、私には希望の光だった」

「内蔵しているメモリを使って、妹そっくりのピアノを演奏するってわけか…………でも何のために?」

「週末、パレスホールで公開オーディションがある。私ももういい年。ここでパトロンを見つけておかないと、後がない」


 カブラギは深いため息を吐いて、顎をかいた。

「危険だぞ。義手の中には妹さんのデータが残ってる。それを残したまま、義手とあんたの頭を神経接続したらどんな誤作動があるか。それは覚悟の上なのか?」

「ええ。もう私には捨てるものもない。それに………あの子の手を使って奪われた物を取り返す。こんな背徳的なことってないと思わない? これは復讐。あの子に対する復讐なの」




つづく


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