ゴースト・アイデンティティ

諸星モヨヨ

第1話

 やろうとしていることは単純だった。 


 妹の死体から腕を奪う、ただそれだけ。


 問題はどうやってやるか、だ。


 トラツグミの鳴く声だけが聞こえる、とても静かな夜だった。

 クルミは巨大な門の前に立ち、右後ろのポケットに入ったアンチ電子ロックについて考えながら、門の中央にぶら下がった南京錠を見つめた。


 今どき、こんな鉄の塊のような鍵を使うだろうか? 何かを阻むのであれば、もっと有用で効果的なものがごまんとある中、あえてこの旧時代的な閉鎖機構を使う意味がクルミには分からなかった。だが、それが墓地というものだろう。


 結局、必要だったのは数万かけて手に入れた高速演算処理装置ではなく、武骨な鉄バサミだったのだ。

 ため息を吐いて、クルミは門をよじ登り始めた。登りながら、はたから見れば自分は幽霊じゃないか、とそんな考えが過った。が、すぐに「いや、どうせ自分は幽霊みたいなもんでしょ? だから、こんなことしてるんじゃない」と思い直した。


 三m近くある門の頂上へたどり着くと、木立の向こうに爛々と輝く街の明かりが見えた。

 絵具をぶちまけた様な暗さと現代ではもはや嫌悪されるべき静寂が、街との距離を忘れさせる。そうだ、ここは街からたった数十キロしか離れていないのだ。


 心理的な距離を作り出しているのは紛れもなく、というこの空間だった。

 門から飛び降り、墓地の中を足早に進む。ろくに管理されていない墓地は荒れ放題でとても整備されているとは言えない有様だった。


 死、というイメージが人々を遠ざけるのはたとえ、脳にコンピュータを埋め込む時代になっても変わらないのだろう。むしろ、そう言うものを尊ぶ感覚は薄れて来てさえいる。


 目的の霊廟は墓地の一番奥にあった。鍵はかかっていない。

 埃とナフタレンの匂いに塗れた室内は天窓から差し込む月明かりで、薄明るい。壁には長方形の枠が等間隔で並び、その上に金色のプレートで名前、没年が刻まれていた。まるでタグ付けされた商品。どんなに偉くとも、死んでしまえば一つの物となってここで眠る。陳列された合成肉のホワイトパッケージを思い、クルミはそんな彼らを憐れんだ。


 BMIブレインマシンインターフェースを起動し音楽をかけようかと思ったがやめた。生憎マッチする曲がない。バルトーク?いいや、却下。


 妹の棺はすぐにそれと分かった。

 わずかな取っ掛かりを掴んで引くと、長方形の箱がレールと共に引き出てきた。固着した蓋を開けるのには少し手間取ったが、この後の事を考えれば何のことはない。

 蓋が開くと、妹の亡骸が姿を現した。さすがのエンバーミングだった。肌や髪の艶にまだ瑞々しさがある。じっと見つめていると、まるで自分がそこに眠っているような気になってクルミはすぐさま次の作業に取り掛かり始めた。


 目的は右腕。胸元から折り畳み式のノコギリを取り出し、棺桶の縁に置くと持ち上げるために右腕の下へ手を入れた。腕は恐ろしい重さだった。不快なのはその重さよりも死体が持つ硬さだった。

 奪われまいと抵抗しているかのように腕は中々持ち上がらず、予想以上の苦戦を強いられた。

 が、所詮、世界は生きている人間で回っている。死者が生者に抵抗することは出来ない。


 腕が完全に持ち上がるとそこへ刃を滑り込ませた。感触は肉というよりもゴム。そう、これは本物の皮膚ではない。樹脂で出来た疑似表皮だ。

 と生身の境を曖昧にするトリックだった。

 刃先を手繰らせ、指で継ぎ目を探した。二の腕の上部にそれを見つけ、クルミは慎重にそして大胆に作業を進める。皮膚と樹脂で出来た人工筋肉を一周クルっと切り取り、生身と義手の境を見つけ、それを引き抜いた。


 精工にできた妹の義手、それは果たしてクルミの手中に収まった。

 心臓が強く脈打っている。緊張が切れ、クルミはへたり込むようにして壁へ寄り掛かった。

 ポケットからブルーラグーンと書かれたタバコを取り出し咥える。だがそれに火を付けるものを持っていなかった。


「こうなったら、お互いざまあないわよね? ユキ?」


舌打ちをして、彼女はタバコをしがみながら呟く。

彼女が指で撫でたプレートには【ユキ=アマサワ 2073~2092】と刻みつけられていた。



つづく

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