12 死んでいないだけの日々

 微妙な空気のなか、阿蘇さんと藤田さんの家をノックする。が、返事はなかった。

「イベントの準備をしてるのかもしれませんね。あの二人、男手の中でも特に頼りにされるほうでしょうから」

「我々は声すらかけられなかったが」

「それは人相が……いえ、スミレさんとお話していたからかもしれません」

「ごまかしたいなら手遅れな程度には本音が出てたぞ」

 二人を待っていたかったけれど、時間は有限である。五分程度した頃、「よし」とやおら曽根崎さんが立ち上がった。

「ツクヨミ財団からの連絡も途絶えたままだし、じっとしていても仕方ない。この奇っ怪な島と人々に探りを入れてみるか」

「探り?」

「ああ。差橋という名の女性に話を聞いてみたい」

 その名前には聞き覚えがあった。確か、ナイフを持った男が叫んでいたはずである。

 ――『そいつも旦那を亡くしてたのに、シスターが生き返らせて連れてきて、この島に移り住んだんだ!』

「……差橋さんの居場所に心当たりはあるんです?」

「無い。とはいえ、幸いここは絵に描いたような親切島だ」

 曽根崎さんの口元に意地悪な笑みが浮かぶ。

「すぐに教えてもらえるだろう。なんせ鍵をかけている家が一軒も無いぐらいだ」

「なんで知ってんだよ」

「そりゃ通りすがりにドアを、こう」

「犯罪ですよ!」

 絵に描いたような親切島に一番呼んじゃいけないタイプの人である。けれど彼の言うとおり、僕らは聞き込みだけで何の苦もなく差橋さんのご自宅を突き止めることができた。

「え、妻と話したいんですか?」

 開いたドアから現れたたくましい男性を前に、曽根崎さんは丁寧な仕草で「ええ」と頷く。

「祭りの準備を手伝いと相談したところ、差橋さんの奥さんを訪ねるといいと言われたもので。少々お時間をいただけませんか?」

「なるほど、わかりました。サユリー」

「はぁい」

 男性に呼ばれて出てきたのは、長い髪を一つにまとめた女性である。虫が入ってはいけないからとドアを閉め、僕らは外で立ち話をすることにした。

 サユリと呼ばれた女性は、僕と曽根崎さんを交互に見て頭を傾けた。

「えっと……お祭りについてでしたっけ?」

「いいえ、蘇ったというあなたのご主人について伺いたいことがあります」

 あまりにも曽根崎さんが単刀直入すぎてギョッとした。サユリさんも同様で、目に見えて戸惑っている。

 だからといって手心は加えず、逆にチャンスだと思うのが曽根崎慎司である。ここぞとばかりに口調を強めた。

「先程起きた教会前での騒動はご存知ですか? ナイフを持った男がシスターに会わせるよう要求したのですが、その際にあなたの名前を出したのです。差橋サユリさん。あなたは、あの男性を知っていますね?」

「あ、はい……で、でも」勢いに流されたのだろう。つい肯定してしまったサユリさんは、慌ててフォローを入れた。

「でも、宇津木さんとは同じ職場だったってだけです。別にそんな親しいわけじゃ……」

「あの男性は宇津木さんというのですね。しかし彼は、あなたのご主人が亡くなったことを知っていた。かつ、シスターの手により生き返った者だと知っていました」

「それは……調子に乗った私が、職場で他の人にも伝えたからです。本当は話すべきじゃなかったのに……」

「ほう、口止めでもされていました?」

「いえ。ただ……普通はありえない話ですよね。だって漁師だった主人は、海の真ん中で嵐に遭って帰らぬ人となったんですから」

 サユリさんの目が沈む。

「死体は上がりませんでした。それは同乗していた他の三人も同様です。でも、もしかしたらって……私はずっと……」

「……」

「そうして、気づけば七年の月日が経っていました」

 確か、座間スミレさんのほうは行方不明になってから八年経っていたんだっけか。……時期が近いのは偶然だろうか。

 うつむいたサユリさんの手が、ぎゅっと拳を作る。

「……シスターに連れられて夫が帰ってきたのを見た時は、目を疑いました。だって、事故に遭ったあの日のままの姿だったんですから。でも構わなかったんです。ジョウジさんがいないこの七年間、私はずっと死んでいないだけの日々でした。自死した人と不慮の事故で亡くなった人は同じ場所にいけないというでしょう? 車や電車が行き交うのを見ながら、誰でもいいから殺したいなんて思う人が私を選んでくれないかなんて、そんなことばかり思っていました」

 ――だけど、ジョウジさんはサユリさんのもとに帰ってきた。それも七年前と全く同じ姿で。

「怪しいとは思わなかったんですか?」

 曽根崎さんの鋭い問いが飛ぶ。これにはサユリさんは怯まず「思いました」と返した。

「容姿だけじゃありません。服まで漁に出ていった時と同じだったんです。……七年もの間記憶を失っていたと主人は言っていましたが、私は今でもこれだけは疑っています」

「では、なぜあなたはそんな存在とこうして生活を営んでいるのです?」

「……同じだったからです」

 サユリさんの顔が泣きそうに歪む。それでもその目は曽根崎さんを見据えていた。

「私が覚えているジョウジさんと、彼は……まったく同じだったんです」




 サユリさんによると、ナイフの男性――宇津木さんは、妻を早くに失い男手一つで一人娘を育てていたそうだ。サユリさんが職場にいた頃は、何の問題もなく見えたそうだけど……。

「あの取り乱しっぷりから推測すると、娘は死んだな」

 隣を歩く曽根崎さんの何の配慮もない一言に僕は大いに顔をしかめる。そうだろうけど、言い方ってもんがあるだろ!

「宇津木氏に話を聞きたい」

 けれど曽根崎さんは顎に手を当て、僕の批判などどこ吹く風である。

「シスターとやらがサユリさんの夫を蘇らせたとの情報を得るまではいい。問題はそこからだ。どうやってシスターの存在を突き止めた? どうやってこの島まで来た?」

「こっそり船に乗り込んでいたとかじゃないですか?」

「船に隠れられるスペースなんざほぼ無いし、荷物に紛れるにしてもお人好し集団がこぞって荷下ろしに来るんだぞ。まずもって不可能だ」

「まああとで宇津木さんに聞けばわかる話ですよ。到着したことですし、先にこっちを調べてみましょう」

 足を止める。僕らは浜辺に来ていた。目の前には穏やかな波に揺られる船。

「……いざとなれば、脱出手段になる船です」

 僕は少し緊張した声で言った。

「曽根崎さん、調査途中で壊さないよう気をつけてくださいね」

「それはいいが、君、船の運転はできるのか?」

「いいえ。でも車の運転はできますから」

「オートマ車限定だろうが」

「最悪浮き輪つけてバタ足で逃げましょう」

「それ陸地が見える前に我々の体がふやけるぞ」

 そうして僕らは、浮かぶ船に乗り込み調査を始めようとしたのである。けれど踵を船の床板に乗せようとした瞬間――

「うわっ!?」

 僕の足は、ズボッと泥のような何かに飲まれた。

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