13 ハリボテの船
驚いて後ろに飛びのこうとする。だけど慌てたせいで甲板に乗せたほうの足に重心を置いてしまい、僕の体はますます船に沈んだ。
「そねざきさっ……!」
「はいよ」
咄嗟に伸ばした手が強く掴まれる。黒い腕が伸びてきて僕の体を掴み、引っ張られると同時にずぼっと足が抜ける感覚があった。
「よっと」
曽根崎さんが器用に誘導してくれたおかげで、僕の足は硬い桟橋に戻ってきた。全身の力が抜けて、「ありがとうございます……」とへたりこむ。急いで船を振り返った。
しかし僕の足を飲み込んだはずの甲板は、平然とした顔で真っ平らな床に戻っていた。
「……!?」
「おい、大丈夫か? 何が起こった?」
「あ、えっと……!」
まだ足には重たく濡れた感触が残っている。加えて、まるで生ゴミを集めたみたいな妙な悪臭も漂っていた。
「……船に乗ったと思ったら、足が沈んだんです。でも、今見たらもとに戻ってて……」
「……」
「な、なんだったんでしょう」
「ふむ」
曽根崎さんは顎に手を当てると、ツクヨミ財団との連絡手段である通信機器を取り出す。記録でもするつもりだろうかと思って見守っていると、おもむろにそれをゴンゴンと船体に叩きつけ始めた。
「ちょっと何してんですか!! 人様の船ですよ!?」
「君の言うとおり強度には問題ないな。材質も鉄で間違いなさそうだ」ギギ、と金属が削れる嫌な音がする。
「特におかしな点は無い」
「アンタ今傷もつけました!? 怒られますよ!!」
「涙の一つでも見せたら押し勝てるだろ」
「島の人達舐め過ぎだ!!」
「いいから君も自分の状態を確認しておけ。足、どうなってる?」
言われて覗き込んでみた。まとわりついていたのは、緑色のぬとぬとした液体と汚らしい生ゴミ。正直すぐにでも海の中に足を突っ込んで洗い流してしまいたい気持ちだったが、今は耐えた。
「……なんだか、汚いです。緑色のべたべたと生ゴミがくっついてます」
「そうか。じゃあそれらをこのビニール袋に入れて回収しておいてくれ。後で見る」
「え、でも僕これに触りたくないんですが」
「私も触りたくないから君に頼んでいるんだ」
「アンタこの島に来てから加速度的に人間性が終わってません?」
「島の住民の善性が相対的にそう見せているのかもしれない」
「ああ言えばこう言う……」
困ったものだが、ひとまず指示に従うことにした。そして少し時間を置けば、不思議と腹を括れるものである。僕は立ち上がると、再び船に目をやった。
「曽根崎さん、船体のチェックが終わったら僕の補助をお願いしてもいいですか? もう一度船を調べてみようと思います」
「ほう、勇気のあることだ。別にいいが慎重にな。君がこの船の船首像になってはかなわん」
「嫌な冗談を言わないでください」
曽根崎さんの手が差し出される。それを借りつつ、こわごわと桟橋から甲板に足を下ろして少しずつ体重をかけていった。今度は沈み込んだりせず、何の苦もなく船は僕を乗せてしまった。
そうしてやっと船の中を確認できたのである。ざっと見た限りでは、来た時とまったく変わっていない。けれど、僕を飲み込もうとしたあの感触は幻ではない。曽根崎さんの手を離した僕は、足元に細心の注意を払いつつ詳しく調べていった。
そこでわかったことがある。ひとつは、この船は狭くてどこにも隠れられそうなスペースはないということ。もうひとつは――。
「曽根崎さん。燃料タンクがカラです」
「なんだと?」
燃料計の針は、Eの文字でぴったり止まっていたのである。この一言で曽根崎さんも船に乗り込んできた。だいぶ遅いなと思ったけど、根は結構ビビりな人だし仕方ないか。
彼は迷わず燃料タンクの元へ行きごそごそと調べていたが、やがて首を傾げた。
「こっちも妙だな。燃料タンクが開けられない」
「燃料タンクが? そりゃそうですよ、そういうのって誰でも開けられないよう鍵がかかってるはずですし」
「いや、それ以前の問題だ。〝そもそも開けられない〟」
妙な発言に僕も眉をひそめる。だけど見に行ってみると、理由はすぐにわかった。燃料タンクが入っているだろう白い容器は、上下に開きそうな割れ目はあるものの、鍵や取っ手などが一切なかったのである。まるで、家具屋に置かれてある、紙で作ったイミテーションの本やテレビのようだ。あたかも最初からそういう置物として作られ設置されたものに見える。
「……この船に乗って来たのでなければ、ガワだけ似せて作られたハリボテだと説明されても疑わなかったろうな」
曽根崎さんの言葉に頷く。船は間違いなく僕らが乗ってきたものだ。だけど、燃料は空っぽで燃料タンクも飾りみたいなものだった。
「教会に行こう」
ふらりと曽根崎さんが立ち上がる。その目は、教会の方向を見据えていた。
「宇津木氏にもシスターにも聞いておかねばならないことがある。景清君、君にも協力してもらうぞ」
「わ、わかりました」
「よし、ならまずはその辺の海で足を洗ってきてくれ。そんな臭いであの住民達の前を歩こうものなら、秒でとっ捕まえられて全身を洗われるぞ」
こうして僕らは、教会を訪れることにしたのである。しかしそこで僕らを待っていたのは、衝撃的な光景だった。
「もう、お父さんったら早く!」
教会から飛び出してきたのは、僕と同じ年ぐらいの女性。だけど驚愕の原因は彼女じゃない。次に教会から現れた人だった。
「待って。待ってくれ、知沙菜」
その男性の姿に、僕と曽根崎さんの心臓は大きく跳ねた。泣き腫らした目で笑い、娘を追いかけていったのは――亡くなった娘を生き返らせるよう懇願していた、あの宇津木さんだったのである。
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