11 もしも、愛する人が
スミレさんと一緒に、座間さんのトタン小屋に帰ってきた時である。急に曽根崎さんが、ドアの前で立ち止まった。
「弟二号のことが心配だ」
弟二号とは藤田さんのことである。
「ちょっと家に行って確認してくる。景清君も来い」
「えー、せっかく帰ってきたのに。僕はスミレさんちで待ってますよ」
「つれないことを言うな。私と一緒に暮らせるのもあと数日なんだし」
「それは、まあ」
そういうことになってるけど。だけどなんとか、後半の言葉は飲み込んだ。
「もー、わかりましたよ。自由な長男ですね」
とりあえず、曽根崎さんの誘いに乗ることにした。僕も一度、藤田さんや阿蘇さんと考えを共有したかったのである。ナイフを持った男と、彼の要求した内容、加えてここから先どう行動するのかも――。
「スミレさん、すいません」ドアを開けて首を突っ込み、既に家の中に戻っていた彼女に声をかける。彼女は小さな木片とやすりを用意していたところだった。
「僕、慎司兄さんと一緒に直和兄さんの様子を見に行ってきます。構いませんか?」
「ええ、もちろん」
スミレさんはにっこりと笑うと、片手を振った。
「でも、夕飯までには帰ってきてね。今日も腕によりをかけて、美味しいごはん作って待ってるから」
「はい、わかりました」
そんな返事に、また胸がぎゅっと詰まるあの感覚を覚える。やっとのことで振り払い、彼女に微笑み返してゆっくりとドアを閉めた。
「絆されるなよ」
そして、背後に立っていた曽根崎からの一言である。
「繰り返すが、彼女は人じゃない。油断するな。何を企んでいるかわかったもんじゃないんだぞ」
「……言われなくても」
そう、わかってはいるのだ。僕だって、この島の人々には違和感がある。まるで、全員が示し合わせて〝大切な人と過ごす幸福な毎日〟を作っているかのような都合の良すぎる場所。新参者である僕にはまだ見えていないだけなのかもしれないけど、それにしたって不自然なほどにみんなが善人過ぎた。
(でも……)
痛んだ胸のあたりを握りしめる。頭では理解していても、心が追いつかない。だって、僕の胸のうちにいる幼い僕が、ずっと喚いているのだ。
欲しかったものが、向こうから両手を広げて待ってくれている。永遠にとは言わない。だけどもう少しだけ、僕もこの島の住人の一員でいさせてくれと、幼い僕が腕を振り回してそう叫んでいた。
「……難儀なヤツだな」
そんな僕を見て、曽根崎さんはうんざりした声で言った。
「人じゃないものに人の役割を期待している。自分の思う理想を叶えてくれる存在であれば、君はたとえ人でなくても妥協するのか?」
「……」
「困ったものだ。少しは君の叔父を見習うといい」
「それはちょっと」
「贅沢言うな」
「贅沢とかそういう問題じゃない気が」
だけど、正論を言っているのは間違いなく曽根崎さんなのである。僕は阿蘇さんの自宅に向かう曽根崎さんの背中に向かって、最後の質問を投げかけた。
「曽根崎さんは、違うんですか?」
「何が」
「たとえば、愛してる人がいたとして……いや、アンタにそういう対象がいないのは百も承知なんですが、もしいたとしてですよ。相当な想像力を駆使して答えてもらえればなって」
「前置きをごちゃごちゃとうるせぇな。早く本題に入れよ」
「曽根崎さんは、もし過去に失った大事な人が目の前に現れて、『また一緒に暮らそう』って言ったらどうします? その人は人間じゃないとわかっているけれど、姿も言動も仕草も全部その人のままだとしたら……」
「殺すよ」
さらりと飛び出した暴力性極まる発言に、僕はびくっと肩を跳ねさせた。曽根崎さんの表情は、こっちを見ないのでわからない。
「存在させておく意味がない。その人を愛して残された者として、私はその人の生きた尊厳を踏み躙る何かを許すことはできない」
「……そう、ですか」
「君はどうだ? 違うのか?」
「僕は……」
懸命にイメージしようとした。僕にとっての大切な誰かが、闇に呑まれてこの世界のどこからもいなくなってしまう未来を。だけど何かが頭の中でストップをかけていて、ある部分から前に進まなかった。
「……ついていって、しまうかもしれません」
ようやく口から出てきたのは、どうにも情けない一言だった。だけどこれ以上曽根崎さんに呆れられたくなくて、急いで続ける。
「わかんないんですけど、僕にとってすごく大事な人がいるんですよね。その人を失った時点で……僕は、生きていけない気がします」
うつむき、かろうじて曽根崎さんに届く声量で言う。理由はわからないけど、僕の背には気持ちの悪い汗が伝っていた。
「そんな時にその人そっくりの人が現れたら……もう、どうでもよくなると思います。本物じゃないとわかってても、抗えないです。そのあとどんな酷い目に遭っても、その人を取り上げられることだけは抵抗すると思います」
「……ふぅん」
「僕が、曽根崎さんみたいに強かったらよかったんですが」
聞こえてきた賑やかな笑い声に、束の間言葉を区切る。それは朗らかな挨拶とともに僕らの横を通り過ぎ、角を曲がって見えなくなった。
仲睦まじい若い恋人だった。きっと、あの人達もどちらかが人じゃないんだろう。
「……少なくとも、僕にはその人を、殺せません」
意外にも、曽根崎さんは何も言わなかった。
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