7 温かな瞳

 外出していた座間さんも帰ってきて四人で昼食にする。七輪と炭火でパリパリに焼いた魚はおいしくて、あっという間にお腹の中に消えた。味付けは塩しかないはずなのに、なんでこんなに香ばしいんだろう?

「魚を焼くにあたって重要なのは赤外線だ。炭火は強力な赤外線を発し、また七輪に使われるセラミックスも加熱すれば赤外線を発する。こうした作用で一気に魚の表面を焼くことにより、旨味を逃さずかつ中身もふっくらと仕上がるそうだ」

「ご丁寧な解説ありがとうございます」

 そこは〝皆で食べるから〟とかそういう結論になるんじゃないんだな。情緒ってもんがないのか、このオッサンには。なかったわ。

「慎司さんは本当に博識なのねぇ」

 だけどスミレさんはニコニコと聞き入っている。

「こんなお兄さんがいると頼もしいわね。だから景清君もまっすぐないい子に育ったに違いないわ」

「いえ、えっと……」

「あら、照れないでいいのよ。本当のことだもの」

「ええ、私にとっても景清は自慢の弟です」

 二人分の全肯定にあわあわしてしまったけど、スミレさんの柔らかな眼差しにこれ以上否定するのも失礼な気がして黙らざるを得なかった。目のやり場に困って、なんとはなしにチラッと座間さんを見る。彼は、僕らのやり取りに目を細めて、穏やかにインスタントコーヒーを飲んでいた。

 そんな座間さんに、また僕は胸がぎゅっと詰まる感覚がした。

「……夫から聞いたわ。景清君達は幼い頃にご両親を亡くして、それ以来ずっと兄弟で力を合わせて生きてきたって」

 お腹も心も満ちる食事を堪能しきった頃。食後のお茶が入った小さなカップを僕に手渡して、スミレさんは言った。

「そうと知った時、もっと早く景清君と出会っていたかったと思ったの。ああ、私達が育てたかったって意味じゃないのよ。今のあなたも素敵な人だけど、幼いあなたはきっととてもかわいらしかったでしょうねと思ったの。そんなあなたと同じ時間を過ごしてみたかったって……。あ、ごめんなさい。困らせちゃったかしら」

「いいえ! 困るなんて、そんな」

「そう。よかったわ」

「はい。むしろ……」

 嬉しかったです、と言おうとした。けれどどうしても喉が開かなくて、まごまごした挙げ句ごまかすみたいに僕はうつむいてしまった。

「ところで、家ができあがったら慎司さんは一人で暮らすのかな?」

 沈黙が訪れるのを避けてくれたのだろう。座間さんが曽根崎さんに疑問を向けた。それに曽根崎さんの低い声が答える。

「はい。そのつもりです」

「そうか。知ってのとおり、この島には大切な人と共に過ごす人ばかりだからね。君のような独り者は、正直珍しいよ」

「承知しています。しかし寂しくはありません。私の人生における最上位には揺るぎなく弟がおり、彼らが生きる場所に共に在れたらそれだけで十分なのです」

「あらあら、景清君は本当に愛されてるのね」

「そ、そうでしょうか」

「そうよ。素敵なお兄さんだわ。――そうだ!」

 スミレさんは、パンと手を打った。

「ねぇ慎司さん、もしよかったらあなたも私達の養子にならない?」

「私も?」

「ええ!」驚いたように目を大きくする曽根崎さんに、スミレさんは喜々として続けた。「景清君だけじゃなく、あなただって優しくて賢い立派な人だわ。あなたさえいいならぜひこちらからお願いしたいぐらい!」

「……私が、あなた方の家族に」

 曽根崎さんは、ゆっくりと噛み締めるように繰り返した。少しびっくりした。この人がそんな風な言い方をするのを僕は初めて聞いたかもしれない。

「……そうですね。それも、いいかもしれません」

 わかるかわからないかぐらいに微笑んで、曽根崎さんは答えた。

「また自分は景清と家族でいられるのだと思うと、嬉しいです。無論、あなた達ご夫婦の負担でなければですが」

「負担なんてとんでもないわ! ねぇ、あなた!」

「ああ。息子が二人もできるなんて喜ばしい限りだよ」

「戸籍が変わっただけで家族じゃなくなる……ってことはないけど、名実ともに家族でいられるのは幸せなことだわ。景清君も慎司さんも、正真正銘私達のこどもだって言えるのが誇らしいの」

 スミレさんは僕に目を向けた。優しくて、暖かくて、僕の胸をぎゅっとさせる目を。

「だから、いつか心の準備ができた時でいいの。私達のことを、お父さんお母さんって呼んでちょうだいね」

「……ッ」

 そう言われて、いよいよ僕は泣き出しそうになっていた。本当の僕の幼い頃の思い出が蘇る。両親から向けられる冷たい視線と棘ついた言葉。そして、友達の家に遊びに行った時に知った、自分の親とは全く違った言葉を発する人達の存在。心底衝撃を受けて、すぐに忘れてしまおうと何も考えないようにした。

 ――僕のお父さんとお母さんもそうだったら良かったのに。けれどそう気づいてしまえば、僕の中の何かが壊れてしまう気がした。

 けれど今の僕の前には、あの時喉から手が出るほど欲しかった光景がある。確かに、スミレさんは人間じゃないのかもしれない。でも僕の人生の中で、彼女ほど温かい人がどれほどいるだろう。こんなに僕に優しくしてくれる人は。

 「お母さんと呼んでいい」と、言ってくれる人は。

「……」

 しかし、僕が衝動的な言葉を口にしようとした時である。

 外から、男の喚く声がした。

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