21 か細い声
「……妙な期待はするなよ?」
だが、混乱とじれったさの為か、曽根崎さんはとても怖い顔をしていた。
「確かに骨格を観察する限り、コイツはかつて人だったのかもしれん。だが見てみろ。既に手の施しようが無いほど変異しており、今や知性の一欠片も感じられない。加えて、我々に対する行動から人を食っていたのは明白だ。
そして、消えた犯人とて私の忠告を無視し、望んで呪文を唱えたんだ。消滅から救った所で、また同じ事を繰り返すかもしれない。
それでも君は、犯人を救おうと言うのか?」
「う、それは、その……」
畳み掛けられて、口をつぐむ。……そうなのか? 曽根崎さんの言う通り、僕は目の前で消えた犯人を救いたいだけなのか?
いや、違う。僕にあるのは、そんないかにも立派な正義感じゃない。だって流石にそれは虫がいい話だし、僕如きが助けた所で犯人の心は変わらないだろうというのは分かっているからだ。
じゃあ、なんで? どうして、僕は止めたんだ?
「――犯人にしか知り得ない情報が、あると思ったからです」
だが今は時間が無い。未解決の疑問を腹の奥底に押し込み、僕はもっともらしい理屈を口にした。
「呪文を手に入れた経緯、この人を匿おうとした理由……この事件には、まだ不明な点が多々あります。そしてそれらを知るのは犯人のみです。知ろうと思えば、直接尋ねるのが手っ取り早い」
「ふむ、それは一理あるな。……ならば」
少し思案した後、曽根崎さんは黙って場所を譲ってくれる。僕は頷き、“彼”の前に行って目線を合わせた。
生臭く、思わず顔を背けたくなるような悪臭。なんとか堪えて、その犬にも似た骨格の恐ろしい顔にゆっくりと話しかけた。
「……手荒なことをしてすいません。僕の名は、竹田といいます」
「ウゥ……」
「僕の言うこと、分かりますか? 喋ることってできたりします?」
「ウゥ……ウ……」
「実は今、あなたと暮らしていた人が消えそうになってるんです。多分まだ部屋にいると思うんですが、もし見ることができるなら彼女に声をかけてあげてくれませんか? そうしたら、あの人は助かるかもしれません」
「……ウ……」
……目の焦点は、合わない。唸り声も、少しずつ弱々しくなっていく。これほど失血しているのだ、当然だろう。
そして、やっぱり……。
「もういいだろう、景清君」ポンと僕の肩に骨張った手が乗った。
「君の質問に対応した受け答えもできていないし、伝えた事実に動揺する素振りもない。この者は、君の言葉を理解していないんだ」
「……」
「これ以上の問いかけは無意味だろう。忠助、そろそろとどめを――いや?」
ここで、ふと曽根崎さんが何かに気づいた。安全な距離を保ちつつ、顎に手をあて身をかがめ、しげしげとその異形を凝視する。
「なんだ、これは? 髪の生え際に外科手術の跡がある。しかも……かなり最近のものだ」
「え、ほんとですか?」
言われて見てみると、おでこの上の方に痛々しい縫い跡が走っていた。……かなり、大きい。後ろの方は見えないけど、ぐるっと頭部を一周してるんじゃないだろうか。
「大手術ですね。大きな怪我でもしたんでしょうか」
「どうだろう。病気の可能性もあるが」
「病気……? あ、もしかしてそのせいでこんな姿になったとか?」
「そりゃ姿形の変わってしまう脳の病気はいくつかあるがな。しかし、ここまで大きく変わるものだろうか」
そうやって話しているうちに、手足を失ったそれは何の声も発さなくなっていた。薄汚れた色の体液はどんどん床に広がっていって、体も動かなくなり、そして――。
「……死んだ」
ぽつりと、曽根崎さんが呟いた。
――人だったかもしれないモノが。人を殺してまで犯人が匿っていた何かが。消えた犯人に、一番近かった存在が。
死んだ。
……その事実は、僕の体温を根こそぎ奪い去るのに十分だった。
「さあて、これで一応事件は解決といった所かな」けれど呆然とする僕の隣で、曽根崎さんは平気な顔して阿蘇さんを振り返る。
「しかし景清君の言った通り、まだいくつか謎が残っている。忠助、至急ツクヨミ財団に連絡し、これを烏丸先生に解剖してもらうよう手配してくれ。もし人だったとしたら、かの者に何が起こったのかを知る必要がある」
「分かった」
「現場検証の方は、死体を撤収した後だな。行方不明者の殺害現場はここだろう。調べれば、何かしらの痕跡が見つけられると思う」
「ああ」
……そうだ。ここでは、たくさんの人が殺されてきたのだ。自分が今から死ぬなんて思いもしない無実の人たちが何人も誘い込まれて、恐怖に突き落とされて、理不尽に命を奪われて。
そうして今、僕らが犯人を殺して事件は終わった。
……じわじわと、自分のしたことが実感に変わっていく。自らの身を守る為とはいえ、ワイヤートラップを仕掛けたこと。命を助けるのを放棄し、失血死させたこと。勿論、野放しにしていたら犠牲者は増えていた。僕らだって殺される所だったし、生きているからこそ悩める話だとは分かってる。
でも、彼が人だったとしたら。僕らのしたことは、手放しで肯定されて良いものなんだろうか。
「景清君」
声をかけられて顔を上げる。……微妙に。微妙に心配そうな表情をした曽根崎さんと、目が合った。
「あまり気に病むんじゃないぞ。かつて人だった可能性はあれど、少なくとも今は人を殺してその肉を食らうバケモノなんだ。誰かが止めなければ、被害は更に広がっていた」
「……」
「とはいえ」
ぎこちなく、手が差し出される。バケモノに振り払われたもう片方の手からは、皮膚が破けて血が滲んでいた。
「慣れようとも、しなくていい」
……そう付け足された言葉は、いつも尊大な男にしては珍しい、優しいものに聞こえた。それで少しだけ慰められて、僕はその手を取って立ち上がったのである。
「そうだよ、気にすんなよ景清君。ぶっちゃけ殺したのは、作戦立てたコイツと斧振るった俺だ。君は悩まなくていい」
「阿蘇さん……。ありがとうございます」
「ちょ、私は戦ってないみたいな言い方するな。ほら見ろここ、目ぇ抉れてるだろ。これ私がやったんだぞ」
「うわほんとだ。へぇ、よくこんなピンポイントで狙えたな」
「だろ?」
「でも俺ならもっと上手くやれた」
「なんだと」
……負けず嫌いな人達である。なんだかこの二人見てると、自分の方がズレてるんじゃないかと思えてくるな。
「よし、それでは後始末に動こう。忠助は財団に連絡、私は現場の調査、景清君はワイヤーの処理。特に景清君、このままだと現場に来た警察諸君の足が吹っ飛ぶからな。しっかり頼むぞ」
「そ、そうですね。片付けてきます」
曽根崎さんの指示に、急いで部屋へと向かう。まだ全然気持ちは落ち着いていなかったが、それはそれとしてワイヤートラップは危な過ぎるのでちゃんと片付けておかねばならない。
死体を乗り越え、部屋を覗き込む。だけど罠の場所を確認する前に、ぐるりとライトで室内を照らしてみた。
当然だけど、誰の姿も無かった。
「……」
やるせない気持ちで胸がいっぱいになる。束の間目を閉じ、必死で“消えた誰か”を思い出そうとしてみたけど、やはり何も浮かばずに終わった。
死んだわけじゃない。殺されたわけじゃない。ただ、誰からも見えない存在になってしまっただけで。
(……嫌だ)
でもそれは僕にとって、心臓を凍りつかせるような現実だったのである。
人は、こんなにもあっさりいなくなる。こんなにも不安定なものなのだと、眼前に突きつけられてしまって。
名を呼べば大丈夫だと思っていた。手を伸ばせば掴めると信じきっていた。けれど、いつか僕にさえ呼び戻せない日が来るかもしれないのである。
――狂気の淵に立つ、あの人を。
「あなたの匿ってた彼は、死にました」
気づくと、僕は部屋の中に向かって声を張り上げていた。
「もう二度とここへは戻ってきません。あなたの名を呼んでくれることも、無い。……だから、出てきてくださいよ。帰りましょう」
……何故、顔も名前も思い出せない相手に呼びかけたのか。意味があったかすら分からない。せめて彼の死を伝えたかったのかもしれないし、いつか我が身に訪れる恐怖から目を逸らしたかっただけかもしれない。
けれどこの時、僕は間違いなく聞いたのである。
――“まひるさん”。
そう呟いた、か細い女性の声を。
辺りを見回す。……誰もいない。いるはずがないのだ。僕は、一人でこの部屋に入ってきたのに。
ぶわっと全身から冷や汗が噴き出す。……とにかく、早く罠を解除してここを出てしまおう。そう思い、視線を下に落とした時である。
僕は、小さなカードが落ちているのに気がついた。
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