15 景清の観察力

 呪文とは、この世界に人知れず存在する不気味な音の羅列を指す。ひとたび唱えれば人智を超えた力を行使できるが、一方で決して小さくない代償を支払わなければならない。

 かくいう曽根崎さんも、それを操ることができる一人だった。

「僕が夕菊さんに背を向けた際、彼女が何かぼそぼそと呟くのが聞こえました。あれは、いつも曽根崎さんが使う呪文と音が似ていたように思います」

「ふむ。具体的にはどんなものだった?」

「すいません、そこまでは聞き取れていません」

「そうか。いや、構わない。彼女が呪文所持者と考えれば、全てに説明がつく」

 曽根崎さんはうんうんと頭を揺らしていた。その背中を見ながら、僕は彼にバレないよう息を吐く。

 ……やっぱり、これは曽根崎さん向けの案件だったのだ。けれどそうなると、彼女の背後には更なる恐ろしい存在が牙を剥いている可能性が出てくる。

 だって、夕菊さんはどうやってその呪文を手に入れたんだ? もし誰かから教えてもらったとして、僕の知る限りそんなことができる奴は一人しかいない。……いや、アイツに一“人”という呼び方は不適切か。

 加えて、未だ彼女が何の目的で肉を集めていたかも分かっていないのだ。曽根崎さんが言ったように誰かに食べさせる為か? でも、そんなまさかそんなわけ――。


『ああ、いいこと。これだけあれば、あの人も数週間はもつはず』


「……あ」

 心臓が、ドクンと音を立てた。

「どうした、景清君。いきなり立ち止まって」

「……思い出しました」

「何を?」

「夕菊さんが、言っていたこと」

 声が震える。なんで忘れていたのか分からないほど、それは重要な情報だった。

「彼女、『これだけあればあの人も数週間はもつはず』って言ってたんです。僕は、確かにそう聞きました」

「……どこで?」

「カートに頭を突っ込まれた時です」

「……つまり、彼女が君と烏丸先生二人分の肉を持って帰ることができると確信した時か。そうか、そうなれば……」

 それを最後に、曽根崎さんはブツブツ呟き始めた。今、彼の頭の中では、たくさんの考察がひしめき合っているのだ。

「……“あの人”、“人”? ……人、なのか? 人の為に肉を持って帰っているのか? だがただ大量に肉を得たいだけであれば人肉である必要は無い。豚肉や鶏肉などを狙った方が遥かに効率的で安全だ。もしくは金がなかったから病院で手に入る肉を狙った? いや、あの呪文を得ているのならわざわざ人を狙うリスクを冒すメリットは無いはず。

 ――人肉でなければ、ならなかった? 人肉でなければ“もたせられない”理由が、あるのか?」

 彼の自問に、ぞくりと背筋が冷える。けれどそれを悟られたくなくて、僕はしっかり顔を上げて彼の言葉を聞いていた。

「……これは、有益な情報だ」

 再び歩き出した曽根崎さんは、言う。

「ありがとう、景清君。烏丸先生を助けられたこともそうだが、君の行動は意義のあるものだった」

「そ、そうですか。良かったです」

「だがあまり無茶はするなよ。君のその癖は心臓がいくつあっても足りな……」

「そうだ、僕まだ疑問に思っていることがあるんですけど」

「露骨に話題を変えるんじゃない。何だ?」

 呆れられたように言われたが、気にしない。……本心では、自分と烏丸先生が食べられかけたかもしれない恐怖にビビってたけども。全然足の震えは収まってなかったけども。

「なんで僕だけ夕菊さんを認識できたんでしょう。他の人は夕菊さんに気づかなかったのに、何故か僕だけは最初から彼女に気づいていました。別に知り合いってわけでもないのに」

「それは」

 束の間、曽根崎さんの言葉が途切れる。だけど、すぐに何事も無かったかのように彼は続けた。

「それは恐らく、景清君の観察力が人より優れているからだろう。君は自身の意識の範囲内に入ってきた者に注意を払い、記憶する傾向にある。だからいくら夕菊麗が取るに足らない通行人を演じようと、君だけは“見る”ことができたんだ」

「僕の観察力が、高い……?」

「そうだ。今日の昼、私が食堂で試しただろう。ただそこそこ近くにいたというだけの男性を、君は詳細まで覚えていた。観察力は平均以上だと思う」

「あ、ありがとうございます」

「無論それだけでは、烏丸先生を運ぶ為に呪文を唱えた彼女を認識することはできなかった。しかし、君は捜査資料で夕菊麗と同じ高校出身だという情報を得て、親近感を抱いていた。故に、君にとって夕菊麗の存在感は、呪文を見破れるほどに大きくなっていたんだ」

 曽根崎さんは、流れるように説明してくれている。その大半に納得した僕だったが、それでもなお白紙にポツンと墨を落としたような違和感が残っていた。

 ……本当に、彼の言うことは正しいのだろうか。いや、嘘はついていないとは思う、のだけど。

 けれどなんとなく、曽根崎さんの説明では何かが足りない気がしたのだ。本当のことは話してくれているんだけど、あえて何かを隠されているような――。

 ん? でも曽根崎も、夕菊さんに関する情報を持ってたよな。なんで見えてなかったの、この人。

「うん、まあ……なんか、びっくりするぐらい興味が持てなくて……」

 尋ねると、奴はえらく遠い目をして言った。

「情報を得れども得れども、彼女の人となりに一切の魅力を感じなかった。全然存在感が濃くならなかった」

「ああ……」

「だから君のやってることマジですごいんだぞ。この私にできないんだから」

「はあ……」

「まずいな、興味持たなきゃ認識できんとか史上最悪の敵かもわからん。もはやこの事件の解決は、全て君にかかっていると言っても過言では無い」

「過言ですし、一番まずいのはアンタの性格だと思いますけどね」

 つーか、個人情報頭に叩き込んでまだ見つけられないってどんだけ無関心なんだよ。これ背中刺されても、気付かない可能性あるな。

「っていうか、僕のことは見つけてたじゃないですか。あの時は夕菊さんも見えてたはずですし、その気になればいけるんじゃないですか?」

「馬鹿言え。あれに気づけたのは君が襲われてたからだ」

「えー」

「その証拠に、安全を確保したら一気に見えなくなったし」

「えー」

「えー、じゃない。君と彼女を一緒にするなよ」

「……」

「よし、ここらでタクシーを拾おう。下がってなさい」

 病院の外に出た所で、曽根崎さんは僕の体を歩道側の隅に寄せようと誘導した。それに大人しく従おうとした僕だったが、彼と繋いだ方の手が邪魔をして躓きかける。

「……」

 そろそろ明言しよう。今僕の右手は、曽根崎さんにしっかりと握られていたのである。

「……あの、もう離してくれてもいいんじゃないですか?」

「駄目だ。運転手が君を認識できずに轢いたらどうする」

「その時は絶対アンタも巻き添えにする」

「そんな怖い宣言いらない。いやなあ、正直なところ君にかけられた呪文の効果がどれほど続くかが分からないんだよ。私は君を普通に認識できるからアテにならないし、かといって逐一通行人に確認するのも面倒だし」

「弱りましたねぇ」

「他人事みたいに言う。……まあ、君がどうしても手を離したいと思うなら仕方ない」

 曽根崎さんの手が離れる。そして奴はポケットに手を突っ込み、なんか変な部品がついたたくさんついた輪っかを取り出した。

「何すか、それ」

「小型発光機付きヘッドリングー」

「ヘッドリング? うわっ、なんかめちゃくちゃピカピカ光り出した。クリスマスツリーの飾りみたい」

「と、鼻メガネだ。さあ着けなさい」

「なんで!?」

「なんでって、流石にここまですりゃ君の存在感がぶち上がるからだよ。加えて奇声でも発してくれれば完璧だ」

「でもそれすげぇヤベェ奴になりますよね?」

「でも間違いなく目立つから」

「人として大事なものを失ってる気が」

「命失うよりはいいだろ」

「…………」

 そうして尊厳と羞恥心を秤にかけた一分後、僕は再び曽根崎さんの手を握っていた。いや一人エレクトリカルなパレードをするよりはマシだと思う。……マシだよね?

 それに、他の人から認識されないなら別にどうってこと――。

「兄ちゃん達、すげぇ仲いいな!」

 だがタクシーの運転手さんにそう言われては、普段温厚な僕もブチ切れた。

「おいどういうことだ曽根崎! 見えないんじゃなかったのか曽根崎!!」

「へぇー、男同士手を繋いでるとそれだけで存在感出るんだな。知らなかった」

「あああああ!!(怒)」

「すまなかったな景清君。あ、匿名性高めたいなら鼻メガネ貸すけど」

「誰が! つけるか!!」

「兄ちゃん達、仲良いなぁー」

 妙な空気になる車内だが、止まることは許されない。ぽつぽつと明かりが灯っていく夜の街を、怒る僕とすっとぼける曽根崎を乗せたタクシーが走り抜けていく。

 ラジオから天気予報が聞こえる。今夜は、雨になるようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る