14 存在感

 ――“存在”、じゃなくて“存在感”。二つの言葉は似ているけど、曽根崎さんに言わせると大きな差があるらしい。

「彼女が操るのはあくまで感覚の方なんだ。説明は少々難解だが、どうする?」

「お、お願いします」

「分かった」曽根崎さんは、パチンと指を鳴らした。

「一般的に存在感とは、視覚や聴覚等の五感による感知、また関係性をベースとした他者からの認知度を指すと定義できる。で、夕菊麗はそれらを意図的に失わせることができるんだ」

「ほう?」

「気配を薄められると言えばいいかな? こう言えば大したことのない力に聞こえるかもしれんが、実は結構厄介なものだろう。何故なら、力の効果は、“対象”ではなく“対象を見る者”に及ぼしているからだ」

「…………ううん?」

「難しいか?」

 わざわざ確認されてムッとする。が、ちょっと頭が追いついてないのもまた事実。

 ロボットみたいなぎこちなさで頷くと、彼はすんなり噛み砕いて教えてくれた。

「詰まるところ、彼女は“対象を観測した者全員”を影響下におくことができるんだよ。監視カメラの件は覚えてるか? 彼女は映像内にいたはずなのに、何故か私達はよそ見をしたり別のことを考えていて、見逃してしまった。

 彼女を観測しただけ。そんな簡単な条件のみで、私達は知らぬまま夕菊麗に操られることとなったんだ」

「……それが、存在感を消すってことなんです?」

「そう。だから夕菊麗は、いとも容易く臓器泥棒になれた」

 ……分かったような、分からないような。だが混乱する僕を奴が気遣うはずもなく、更に追い討ちをかけてくる。

「深読みすると、認知における脳の取捨選択機能に影響を与えていると考えていいのかな。通常、人の脳は情報を得ると同時に無意識的にどれを注視するかを選択している。思うに、彼女はその選択から漏れる位置に対象を置くことができるのだと……」

「簡単に」

「君はすれ違う人の顔をまじまじと見ないだろ? あれこれ考え事をしている時なら尚更、気にも留めないはずだ」

「あー……」

 それを聞いてやっと理解できた……かもしれない。

「つまり夕菊さんは、対象を強引にそのすれ違う人にさせられるってことですか? 存在感の無い、意識外の人に」

「そうだ。周囲の人の意識を操ってな」

「うわ何それ怖い。しかも下手すりゃ周りの人は勿論、対象者本人だって気づけないんですよね?」

「実際君も気づいてなかったしな」

「うるせぇ」

 仕方ねぇだろ、そういう力なんだから。

 でも、だとしたら泥棒するには殆ど無敵の能力である。だって監視カメラですら、彼女を観測することができないのだ。いや、監視カメラは観測できてるのかもしれないけど、それを観測する僕らが彼女を観測できていないのである。だったら観測できないも同義で……こんがらがってきたな。

 とにかく、夕菊さんは人から認識されない力を持っている。ならば、人を殺すのだって思いのままだろう。死体だって、完璧に隠せるかもしれない。

 ――『そこにいる何かを誰も証明できないのなら、無いも同然』。烏丸先生の言葉を思い出し、僕は鳥肌の立つ腕をさすった。

「だが、これには致命的な欠点もある」

「え、そうなんですか?」

「うん」顎に手をやり、曽根崎さんは言う。

「さっきも言ったが、彼女の力は、対象を観測する者に強く影響を及ぼすんだ。言い換えると、他者に依存する部分が非常に大きいということになる」

「というと?」

「もしすれ違った人がたまたま友人だったら、君はどう反応する?」

「そりゃ気づいて声をかけるでしょうが……あ、そっか!」

 今度はすぐに思い至り、僕は嬉しくなった。

「だからさっきの烏丸先生は、周りの人に気づいてもらえたんですね!? この病院にいる人たちにとって、馴染み深い人だったから!」

「うん、その通り」

 何故か曽根崎さんまで嬉しそうである。

「彼らの認知内において、烏丸先生は存在感のある人物だった。つまり彼女の術が効きにくい人間だったんだ。夕菊麗もそれを知っていたから、わざわざカートの中にシーツを詰めて彼の体を隠さなければならなかった。

 同じ理屈で、アイドルなど人々に周知されている人間にも術が効きにくいと考えられるな。無論、その都度力の効果は調節できる可能性は高いが」

「ははあ。じゃあ僕がことごとくスルーされてたのって、シンプルに赤の他人だったからなんですね」

「ああ。しかし君の容姿は優れているからな。ぶつかりかけた際、彼らが改めて君の顔を見たことで好感度が爆上がりし、存在感を取り戻したんだろう」

「すいません、よく分かりません」

「だがそうなってくると、次は彼女がどういった手段で力を行使しているのかを考えねばならんな。まあ粗方予想はついてるが、確定とまでは……」

「……それ、確定させていいと思いますよ」

 僕の言葉に、驚いたように曽根崎さんが振り返る。彼の真っ暗な目を見て、しっかり頷き返した。

「呪文ですよ」

 そして、彼が想像しただろう単語を口にする。

 ――そうだ。間抜けに襲われ、拐われかけただけで終わってたまるか。

「僕は、自分が呪文をかけられた瞬間に心当たりがあります。……夕菊さんは、呪文所持者です」

 今度は僕が、曽根崎さんに情報を伝える番だった。

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