13 見えない

「景清君! 大丈夫か!?」

「そ、そねざき、さ……」

「よし、生きてるな!」

 無事を確かめられるなり、ぞんざいに床に落とされる。尻もちをつく僕を守るようにして、彼は前に立った。

「……ッ」

 けれど、動かない。曽根崎さんの両手はカートと僕の腕を掴み、鋭い視線は絶えず周囲を探っているのに。

 何故か彼の視線は、今まさに目の前で逃げようとする夕菊さんを捉えていなかった。

「曽根崎さん! 夕菊さんが逃げます!」

「どこだ!」

「今、エレベーターの方に向かって……でも、乗らずにそのまままっすぐ……! ぼ、僕のことはいいから、早く追ってください!」

「……無理だ。私には、彼女が見えない」

 僕を掴む曽根崎さんの手が、震えている。そしてとうとう夕菊さんが角を曲がって見えなくなった頃、僕の「痛いです」という呟きで、ようやく彼は手を離した。

「怪我は無いか?」

「首の後ろを注射されました」

「落ちている注射器の中には、かなり液体が残っている。打たれていたとしても、少量だろう」

「……」

「とはいえ、経過には気をつけるとしよう。立てるか?」

「はい、すいません」

 曽根崎さんの手を借りて立ち上がる。……正直、独断で行動した手前、助けられたのはとても気まずかった。けれど盗み見た彼の真っ黒な瞳は、全然僕を責めていなかった。

 そこでようやく僕は、言わなければならないことを思い出したのである。

「……曽根崎さん、助けてくれてありがとうございました。僕が勝手に行動したせいで、迷惑をかけてすいません」

「いや、謝るのはこちらの方だよ。私の油断が君を危険へと招いてしまった」

「そんな! 悪いのは全面的に僕です! ちゃんと報告していれば良かったことなのに……!」

「いやいや、私こそ烏丸先生との連絡を密にしていれば……」

「……」

「……」

「謝罪合戦は後回しにするか」

「そうですね」

「それより景清君、しばらく私から離れるなよ。恐らく今の君は、夕菊麗の力により非常に認識されにくい存在となっている」

「認識されにくい存在ですか?」

 そういえば、夕菊さんも同じことを言ってた気がする。……あ、もしかして彼女にぶつかった人が無反応だったのってそういうこと? 見えてなかったの?

 でも、それならなんで曽根崎さんは僕を見つけることができたんだろう。

 しかし答え合わせより先に、僕はカートの中にいる人のことを思い出した。

「烏丸先生!」

「え、いるのか?」

「はい! この中に詰め込まれてるんです!」

「ふーむ、なるほど。先生のサイズなら簡単に入ったろうなぁ」

「アンタだと頭の先出ちゃいますもんね! 呑気言ってないで手伝ってください!」

 急いでカートをひっくり返し、ようやく烏丸先生を解放することができた。すぐに曽根崎さんが口元に耳をあて、呼吸を確認する。

「……ただ眠らされているだけのようだな。お手柄だよ、景清君。君がいなければ、烏丸先生は連れ去られていただろう」

「ど、どういたしまして」

「だが念のため、検査だけはしてもらうとしよう。人を呼ばねば」

「え、でも先生も見えなくなってるんじゃ?」

「その点は大丈夫だろ。先生、ここでは有名人だし」

「? それってどういう……」

「うわっ!? どうされたんです、烏丸先生!」

「ちょっと誰か来て! 烏丸先生が倒れてるわ!」

「ちっちゃい先生、大丈夫ー?」

「ほら」

「……」

 僕の時にはスルーされまくってたのに、何故か烏丸先生には集まりまくる廊下中の人々である。複雑な気持ちになる僕だったが、また曽根崎さんが腕を掴んできたので顔を上げた。

「で、君の具合はどうだ。歩けるか?」

「えーと、そうですね。とりあえず、今のところは何とも無さそうですが」

「そうか。ならばここはこの人たちに任せて、私達は夕菊麗を追うとしよう」

「可能なんですか?」

「ああ。ほらこれ」

 曽根崎さんが手元のスマートフォンを見せてくれる。そこには、地図と、彼女につけられているのだろう発信機の位置が表示されていた。

「いつのまに」

「さっき突き飛ばした時、こっそりと」

「あー」

「これを見る限り、夕菊麗はこのまま“巣”へと戻るつもりのようだ」

 彼の目は、既にスマートフォンに無い。うっすらと笑みを浮かべて、僕を見下ろしていた。

「腹は括っているな? では行こう。分かっているだろうが、君が引き返せる地点はとっくに過ぎてしまっている」




 タクシー乗り場まで行くまで、僕は何度も人にぶつかられそうになった。だけど不思議だったのは、そのたびみんな気づいて謝ってくれたことである。

「僕は認識されないんじゃなかったんですか?」

「そのはずだったんだがなぁ。まあ君の顔は整ってるし、術が効きにくかったのかもしれん」

「そんなことは……っていうか、顔の良し悪し関係あるんです?」

「ある」

 まっすぐ前を見て歩く曽根崎さんは、断言した。

「今回の件を通して確信できた。彼女が影響を及ぼすことができるものの正体を」

「な、なんですか?」

「――自我の確立、及び他者からの観測と認知による確定。または、人が捉える意識内への介入」

 彼は、格好をつけて人差し指を唇に当てた。

「“存在感”だ」

「“存在感”……?」

「ああ」鋭い目が、更に細くなる。

「彼女は何かしらの手段を用いて、対象の存在感を失わせることができるんだよ」

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