4 日が暮れる
以前、僕は姿を消す怪異に遭遇したことがあった。けれどこれはまたちょっと別だ。何故なら、今回の犯人はちゃんと存在しているのだから。
おかしくなっているのは、僕らの認知の方なのである。
「ところで、田中さんはこのことをご存知で?」諦め悪く録画を見る曽根崎さんが、烏丸先生に尋ねる。
「いンや、御大にゃ話してねぇ。でも曽根崎が動いてくれるってんなら、今日中にでも話つけて案件化しとくよ」
「お願いします」
「ひひ、そうすりゃアンタをタダ働きさせずに済むからねぇ」
田中さんとは、烏丸先生が所属するツクヨミ財団の理事長である。実はこの先生、そのさる財団のお抱え医師なのだ。
それがどうして警察病院にいるのかというと、財団を通して降りてきた怪異絡みの症例を診察するためである。普通の人なら見るだけで頭がおかしくなるような不気味な現象に、彼はこれまで幾度となく向き合ってきた。そしてそのたび、医師としての知見で事件の手掛かりを掴んできたのである。
――医の倫理と正義感、何より並外れた神経の図太さによって。
「それじゃ先生、いくつか欲しい資料があるんですが」
「あいよ。どういうの?」烏丸先生の軽い返しに、曽根崎さんは低い声で答える。
「全監視カメラ映像と病院に勤務する人全員のシフト表。あと院内マップもお願いします」
「全員ってことはパートやバイトも含めたやつね。オッケー、超特急で用意して送るわ」
「――失礼します」
そうして二人が相談していると、ノックの音と共にドアが開いた。隙間から顔を覗かせたのは、長い髪を一つに結んだ物静かな雰囲気の看護師の女性。
「烏丸先生、ご来客中すいません。師長からここにいると聞いたものですから……」
「そういや先生、犯人の目星はついているんですか?」
「確証はねーけど、目をつけてる人はいるかな」
「先生」
「どなたです? 帰る前にさりげなく顔を確認してみたいのですが」
「後で名簿を見せてやるよ。でもあくまで僕の推測だから、参考程度にしといて」
「分かりました」
「先生……」
……声をかける看護師さんに気づかず、二人は話し込んでいる。見兼ねた僕は、軽く烏丸先生の肩を叩いてやった。
「すいません、先生。看護師さんに呼ばれてますよ」
「え? ……あ、悪いねぇ」
「ああいえ。お話し中失礼しました」
先生は話を切り上げ、看護師さんのところへ向かって行く。残された曽根崎さんはというと、何故かちょっとムッとした顔をしていた。これは不思議に思ってる時の顔である。
「どうしました?」
「……あの看護師、いつからこの部屋にいた?」
「ちょっと前からいましたよ。ちゃんとノックもされてたじゃないですか」
「全然気づかなかった」
「まあそんなこともありますよ。お二人とも真剣に話してましたし」
そうフォローしたものの、曽根崎さんは納得しなかったらしい。顎に手を当てて考え込んでしまった。
間も無くして、看護師は一礼して部屋を出て行く。烏丸先生の方は、一つ嘆息すると僕らを振り返った。
「すまねぇ、ちょっと急用ができたから行ってくる。言われた資料はまとめて後で送っとくから、今日はお開きにしよう」
「ええ、ありがとうございます。……あ、そうだ先生、出る前に」
「何?」
「先に、犯人と思しき人の名前だけでも伺っておいて構いませんか? 顔はこっちで見ておきますんで」
「オーケー。じゃあさっきの人の顔は覚えてる?」
「え?」
固まる曽根崎さんに、烏丸先生は皮肉めいた笑みを見せる。
「さっき僕を訪ねてきた看護師。それが僕が犯人と睨んでる人だ」
「……なんと。さきほどの彼女がそうでしたか」
「名は夕菊麗(ゆうぎくれい)。ここに勤務して二年半ぐらいかね」
「疑う理由は?」
「そこは話してる時間がねーから、後で資料と一緒に送る」
「……」
「じゃ」
戸が開かれ、ペタペタとせっかちなサンダルの音が遠ざかっていく。……あの女性が、幽霊の正体? 確かに、思い返してみれば少し存在感が薄いような気もしたけど。
でも、だからってどういう理由があれば彼女が犯人になるんだろう。そもそもどうやって烏丸先生は気づいたんだ? あの怪異は、烏丸先生はもちろん誰にも気づかれないもののはずなのに。
「……情報を集めに来たつもりが、より謎が深まってしまったな」
そしてそう思っているのは曽根崎さんも同じようだった。
「とりあえず、こっちは烏丸先生の報告を待つしかないか。さて景清君、今晩は何食べたい? 繁華街に行くんだし、ついでにそこでメシにしよう」
「やったー! 奢ってくれるんですか?」
「奢るとは一言も言ってないが、別にいいよ」
「ありがとうございます! えーと、えーと……」
「……中華にするか?」
「げ、頭の中読みました? じゃあ中華にしましょう、中華。高いのがいいです」
「はいはい。なら一旦事務所に帰って、着替えてから行こうな」
「着替えるんですか?」
「そりゃあ君、これからするのは民間人への聞き込みだ」曽根崎さんは、わざとらしくネクタイの首元を緩める真似をする。
「服も下々の者に合わせる必要があるだろ?」
「一発で職質されそうな顔乗っけて偉そうに」
「その辺りは君に何とかしてもらうから」
「僕が? どうやって?」
「断固として血縁を主張する」
「やめてください」
そんなことを話しながら、曽根崎さんと連れ立って部屋を出る。ドアを閉めるついでに辺りを見回してみたけど、さっきの女性はもういなかった。
……そういえば、廊下で曽根崎さんにぶつかってたワゴンの人。あの人も、長い髪を後ろで束ねてた気がするな。
「行くぞ、景清君。じきに日が暮れる」
けれど曽根崎さんに急かされて、慌てて思考を打ち消す。廊下は、既にオレンジの光に染まっていた。
「お、今日はまともにしてんじゃねぇか」
からかうような阿蘇さんの言葉に、何故か僕の方が恥ずかしくなる。今僕の隣には、試行錯誤の末に完成したなんちゃって敏腕サラリーマンの曽根崎さんが立っていた。
一時間前。
『景清君、急げ。忠助との約束の時間に遅れてしまう』
『わ、わかってますよ! クソッ、なんだこのもじゃ毛! なんでこんなに強情なんだ! おりゃっ!』
『痛い痛い、毛を抜いてバランスを取ろうとするな。あとワックスをつけすぎじゃないか? これならいっそ一度落とした方が……』
『ワックスは馴染んでからが勝負ですから!』
『ベテラン美容師みたいなこと言うー』
そうして出来上がったのがこちらの曽根崎です。なお、今回は聞き込みということで、スーツもいつもの高級ものじゃなくちょっといいお値段ぐらいの品質に収まっています。そんで僕の技術力では目の下のクマを隠せなかったので、黒縁眼鏡でごまかしております。
曽根崎さんは整えられた前髪を半笑いで触り、不満げに鼻を鳴らした。
「髪がベタベタする」
「それぐらい許容範囲だろ。つーか、いい加減一人でセットできるようになれよ」
「普段の私の生活には必要無いから」
「必要なんだよ、お前が気づいてねぇだけで」
「ちなみにこれで五百円」
「もっと取っていいぞ、景清君」
言い忘れていたが、阿蘇さんと僕もスーツ姿である。僕ら三人は、今から仕事帰りというテイで繁華街へと赴くのだ。
……阿蘇さんだけ、どう見てもSPとかボディーガードの人だけど。
「よし、それじゃ行くか。みんな気を引き締めろよ」
「はい!」
「おう」
「ではまずは第一店舗目、中華料理店!」
「ん!?」
阿蘇さんはびっくりしてたけど、僕はもうすっかり中華料理の口だった。よって半ば無理矢理、彼をお店に連れ込んだのである。
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