3 幽霊

 翌日。僕と曽根崎さんは、タクシーにて警察病院へと向かっていた。

「そもそも幽霊に泥棒ができるんもんなんですか? ああいうのって透けてなんぼの商売だと思うんですけど」

「そこはほら、子育て幽霊という例もあるし。頑張れば実体化ぐらいできるだろ」

「子育て幽霊?」

「日本各地に伝わる昔話だよ。死んで埋葬されてから赤子を産んだ女が、自分じゃ赤子に乳をあげられないからって飴を買いにくる話」

「いい話ですね」

「ところが悲しいかな、現実で起こってるのは医療廃棄物泥棒だ。子育て幽霊のように金は置いていかない、ただのコソ泥ときた」

「そう聞くとなんか段々腹立ってきましたね」

「ああ。無い足正座させて、貨幣経済の何たるかを説教してやろうぜ」

「働いて返せ! 働いて返せ!」

「後日、そこにはなんと病院で働く幽霊の姿が!」

「嫌だそんな病院!」

 そんなアホみたいな会話をしている内に、タクシーは警察病院の前に到着していた。

 受付で烏丸先生の名前を出すと、既に話が通っているようですんなり中へと通してもらえた。消毒液にも似た病院独特の匂いと、白い壁。廊下に点々と飾ってある絵画を見ながら、これらはここに来ざるを得ない患者さんの気持ちを穏やかにしてくれるものなのだろうかと考えていた。

「お、来たね手下君」

 優しいタッチで描かれた青い魚の絵に見入っていると、ふいに後ろから声をかけられる。振り返ると、小柄な男性が気怠そうに白衣のポケットに手を突っ込んで立っていた。

 今回僕らをここに呼んだ、外科医の烏丸道雄(からすまみちお)さんである。彼は少しキョロキョロとしたあと、短い天然パーマの頭を不思議そうに傾けた。

「曽根崎どこ?」

「あれ、さっきまでいたんですけど。ちょっと待っててください、一体どこで引っかかってんだか」

 辺りを見回す。すると向こうのほうで、ワゴンを押す看護師さんに行く手を阻まれワタワタしている曽根崎さんを発見した。

 本当に引っかかってやがった。何してんの、あの人。

「曽根崎ィー」

 けれど烏丸先生は全く気にせず、むしろご機嫌にぺたぺたと彼の元へ歩いて行った。何故かは知らないが、彼は曽根崎さんをとても気に入っているのだ。

「ああ烏丸先生。お疲れ様です」

「アンタこそわざわざ来てくれてあんがとね。何? そんなとこでもだもだして」

「いや、なんか通れなくて……」

「ふーん。まあ立ち話もなんだし、ついてきなよ」

「はい」

「あ、でもちょっと待った」

 烏丸先生が片手で曽根崎さんを制し、近くの部屋に入っていく。しばらくして出てきた彼は、いつもの眠たげな目に若干の煩わしさを滲ませていた。

「……ダメだった。またやられてた」

「やられてたとは、例の件ですか」

「そうそう。んー……ちょくちょく確認するようにはしてんだけどね。少し目ぇ離したら消えてやがんの。どうやってんだかなぁ」

 ……消えたというのは、きっと曽根崎さんの話にあった廃棄物のことだろう。幽霊と聞いて出現を夜だと想像していた僕は、粟立ってしまった腕をさすった。それから、チラリと背後を振り返る。

 見えるのは、数人の患者さんと白衣の人。そして飾られた数枚の絵だけである。誰も彼も落ち着いたもので、怪しい動きをしている人など一人もいない。

 だけど、今この瞬間にも院内のどこかで臓器を運ぶ何者かがいるのだ。そう思うだけで、なんだか無性に落ち着かない気持ちになった。

「んじゃ、早速本題に入るかね」

 会議室のような部屋に案内してくれた先生は、電気のスイッチを入れながら切り出す。彼はとてもせっかちな人なのだ。

「曽根崎にゃ電話でも話した通り、この病院では三週間前から臓器片などの感染性廃棄物を狙った窃盗が頻発してる。今はまだ明るみになってねーけど、ブツがブツだけに用途によっては大問題だ。早急に犯人を捕まえたい」

「そこでまず疑問なのですが、先生のことですから警察より先に私に相談した理由がおありですよね。お聞きしても?」

「ああ」烏丸先生は、椅子に座ろうともせずポケットを探り始める。

「怪現象としか言いようがないことが起きてる。だから、現段階で警察に相談しても意味が無いんだ」

「怪現象……それが幽霊ですか」

「そう。これ見てくれりゃ早ぇかな」

 先生は小型のモニターを取り出して、僕らに突きつけた。そこに映っていたのは、小さな部屋を上から見たような動画。

「一昨日の監視カメラの映像だ。ここに三つ箱があるけど、その内一番左にその日出た医療廃棄物……摘出された腸の一部が入ってる。今から十分以内にそれが盗まれっから、見ててくれよ」

「はい」

「手下君も頼む」

「分かりました」

 烏丸先生の指示に従い、曽根崎さんの隣に並ぶ。……そういや、曽根崎さんより烏丸先生の方がいくつか年上なんだよな。小柄で童顔な人だから、あんまりそうは見えないけど。

 それにしても、なんでわざわざ十分以内という時間指定をしたのだろう。監視カメラの映像で犯人を見せるなら、決定的瞬間で一時停止すればいい。先生は面倒を避ける人だから、こうした僕らを試すみたいなことは嫌がりそうなのに。

 でも、烏丸先生から僕に映像を見るよう言ってくれたのは嬉しかった。あまり役には立たないかもだけど、頼ってもらったからにはぜひ力になりたい。そういや、この後阿蘇さんからの依頼も入ってるんだっけ。繁華街での聞き込みだ。曽根崎さんの仕事のパートナーとして働けるのはいいけれど、お酒とかも飲まなきゃいけないのかな。僕あんまり強くないから、控えられるなら控えたいんだけど……。

「――今、犯人が部屋を出ていった」

「え?」

 烏丸先生の声に、ギクリと顔を上げる。見ると、映像の中のドアがちょうどピシャリと閉まったところだった。

「どう? 手下君は犯人の顔見れた?」

「いえ、えっと……」

 ぶわっと嫌な汗が出る。一瞬ごまかそうかと考えたけど、素直に認めることにした。

「……すいません。ぼーっとしてて、ちゃんと見てませんでした」

「そっか。曽根崎は?」

「同じくです。彼同様、上の空でした」

 なんだ、曽根崎さんも見てなかったのか。この人も疲れてるのかな。

「すいません、先生。今度こそ気をつけるんで、もう一回巻き戻してもらっても見せてもらってもいいですか?」

「うん」

 僕が頼むと、烏丸先生は不愉快そうにするでもなくすぐに機器を操作して僕らに差し出してくれた。先ほどと同じ場面が僕の前で再生される。よし、今度こそ気をつけなければ。

 ……でも、そろそろお腹が空いてきたな。今日の晩御飯はどうなるんだろう。この後繁華街に行くんだし、そのまま外食になるのかな。曽根崎さんが僕の分までお金出してくれたら助かるんだけど。いつもはどさくさに紛れて一緒に食べることで食費を浮かしてるけど、今回はどうだろ。経費の一部ってことで落とせないかな、無理かな。

 食べるなら何がいいだろう。繁華街って聞いたら、何故か中華のイメージが強いんだよね。だけど聞き込みをするなら、行く先々のお店で食べることになるのだろうか。うん、それはそれで楽しみ――。

「……以上。動画は、ここまでだ」

「えっ!? うぇっ!?」

 先生の言葉にまた一気に頭が冷える。急いで画面を覗き込んだけど、ただ真っ黒な画面に反射した僕の顔と目が合っただけだった。

「どうだった?」

「……」

 烏丸先生の問いに何も答えられず、隣にいる曽根崎さんを見上げる。彼も、若干青ざめた顔で顎に手を当ててスマートフォンを睨みつけていた。

「……なるほど。これは、奇妙ですね」そして、やっと口を開いた。

「部屋に入ってきた“誰か”の姿は、見たような気がします。ですが、その瞬間全く別のことが頭に浮かんで注意が疎かになりました。そしてこれは、うちのお手伝いさんも同じようです。そうだな?」

 曽根崎さんからの確認に、黙って頷く。驚きすぎて、まだうまく声が出せなかったのだ。

「“いる”はずなのに、“認識できない”。まだはっきりしたことは分かりませんが、私には何かしらの力が働いているように思えます。……これが、先生のおっしゃった幽霊というやつですか」

「ああ、アンタらと同じで誰がやっても同じ結果になったよ。映像を見ることはできても、ここにいるヤツを見ることはできねぇ。だからもしこの映像中に犯人の顔が映ってたとしても、それが分からねーんだわ。

 そんでそこにいる何かを誰も証明できねぇのなら、無いも同然」

 烏丸先生の眠たげな目が、曽根崎さんを見つめる。

「……どう? そんでも僕ァ、曽根崎にならコイツが見えると思ったんだけど」

 ……無意識だろうけど、殆ど煽りに近い。そんな烏丸先生の発言に少し怯んだものの、無類の負けず嫌いである曽根崎さんは背筋を伸ばしてはっきり肯首した。

「ええ、勿論。私に任せていただけるなら、何の心配もいりませんよ」

 引き攣らせたように、口角を上げて。

「まあ見ててください。件の幽霊は必ずや公衆の面前に引っ張りだし、あなたの前で無い足正座させてやりましょう」

「ひひ、そりゃ頼もしい」

 烏丸先生も彼に応えて、ニィと笑ったのである。

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