2 相談事
怪異の掃除人とは、人知を超えた不可解で不気味な事件を扱う曽根崎さんを指す呼び名である。表面化したら世間を混乱に陥れたりするような怪異を秘密裏に始末し、無きものにする。そうして、大多数の人たちの常識的で安寧な日々は守られていくのだ。
で、そんな曽根崎さんに“曽根崎案件”と称して怪異事件の解決を依頼してくるのが、警察官であり彼の弟でもある阿蘇さんだった。聞くところによると、日本警察のバックにはツクヨミ財団という巨大組織があり、彼らが中心となって怪異を表沙汰にしないよう尽力しているのだとか……。
「さて、調査となるとやることが山積みだな。忠助から得た情報も微々たるものだったし」
一通り事件の概要を話してくれた阿蘇さんが帰って、日も暮れた頃。曽根崎さんがぐいと伸びをして言った。
「人喰いスナック。昼間は見つけられない看板。行方知れずの五人。まず足掛かりにするなら、人喰いスナックの噂を話してた人物に聞き込みをするのがいいかね」
「ですね。頑張ってください」
「何寝ぼけたこと言ってんだ。君も来るんだよ」
「夜間手当てつきます?」
「つける。つけるからおいで」
「もう一声!」
「値上げ交渉はいいが、せめて金額聞いてからにしような」
毎度の軽口を交わしている内に、夕食の準備ができた。今晩は味噌汁とレバニラ炒めである。そして奴は「いただきます」と手を合わせるなり、味噌汁の椀を掴んで一気飲みした。
だからそれ行儀悪いからやめろっつってんだろ!
「何度言ったら分かるんですか!」
「一番手っ取り早い摂取方法だからな」
「食を効率で処理するのやめません?」
「行儀だのマナーだのを優先するあまり、その実用性を無視するのは剣呑だよ?もし十秒後に大地震が起こる場合を考えてみろ。この方法なら食いっぱぐれないから、君の食事が無駄にならなくて済む」
「お気持ちは嬉しいのですが、万に一つの可能性の為にオッサンの食育が犠牲になってると思うと複雑ですねぇ」
渾身の嫌味もどこ吹く風の三十路である。困った人だ。けれど呆れる一方で、それも無理からぬことかなと僕は思っていた。
幾度と無く巻き込まれた怪しげな事件たちは、曽根崎さんの精神を酷く摩耗させた。そしてその影響からか、彼の味覚や触覚は極端に鈍くなっていたのである。
そんでもって、元々食に頓着しない彼の性格もあり。
ともすれば食欲すら忘れて餓死しかける曽根崎さんにこうして食べさせることは、今では僕の重要な仕事の一つになっていた。
「それじゃ、いつ行きます?」
納豆をかき混ぜながら問う。対する曽根崎さんは、ご飯の一塊を丸呑みにして言った。
「そうだな。今日は少し下調べをしたいから、明日の夕方にでも出るとしよう」
「分かりました」
「あと、例の繁華街に行く前に烏丸先生のとこにも寄りたい」
「烏丸先生?」突如出現した、曽根崎さんの知人である医師の名に顔を上げる。
「何か用があるんですか?」
「私じゃなくて向こうがな。相談に乗ってもらいことがあるんだとさ」
「あの人が相談なんて珍しいですね。まさかそっちも怪異絡みの話だったりして」
「ぴんぽん」
「ぴんぽん!?」
軽やかな返答に驚いた弾みで、お箸が納豆の容器を突き抜けた。曽根崎さんは一切気にせず、ご飯を口にかき込みながら続ける。
「らから、たらすけのいらいはうけらくなかっはんらよ。いらいのぶっきんぐとかめんろうらろ。みゃーとりあえう、こっひをかたうけてから……」
「分かんねぇ分かんねぇ」
「もぐもぐもぐ」
「大地震なんて起きませんから、しっかり飲み込んでから話してくださいよ」
僕の手渡したお茶を、これまたぐいと一気に飲み干す。それからようやく、彼は人語を話し始めた。
「なんでも烏丸先生の担当する病院で、不可解なことが起きているそうだ」
「烏丸先生の担当する病院っていうと、警察病院ですか?」
「うん。あそこは大きい病院だろ? だから外科手術なんかも頻繁にあるし、腫瘍や臓器など人間の一部を切除するのも日常茶飯事なんだがな。そういったものは普通、感染性廃棄物として特別に処理され、回収業者が来るまでは適切な取り扱いでもって現場で保管されることになってるんだ」
「へえー」
「だが、ここ三週間ほどの話。それら廃棄物が、次々に忽然と消えているらしい」
「え!?」
淡々とした語り口調が、真実味を裏付ける。背筋がぞわりとする感覚を打ち消すべく、僕は慌てて口を開いた。
「でも、捨ててあったのはその、ぞ、臓器なんですよね?」
「うん」
「使い道はあるんですか?」
「一般的には無いはずだ。ゆえに烏丸先生も皆目見当がつかんと言ってる」
「な、なんかすごく気持ち悪い話ですね……。ん、あれ?」
ふと疑問が浮かぶ。平気な顔してレバニラ炒めを食べる曽根崎さんに、首を傾げてみせた。
「でも、結局それってただの泥棒の話ですよね? 盗品内容は不気味ですけど、だからって怪異と呼ぶほどではないというか。むしろ人為的な話じゃ?」
「おー、さすがお手伝いさん。鋭いな」
「僕は曽根崎さんのお手伝いさんであって、怪異案件のお手伝いさんではないですけどね」
「とにかく君の勘は正しいよ。烏丸先生曰く、事件そのものよりも廃棄物を盗んだ張本人に謎があるらしい」
「張本人……ってことは犯人ですか?」
いつの間にやら、曽根崎さんのお皿は空になっていた。僕の方は、まだレバニラが大量に残っているというのに。いや、あんな話聞きながら食えるわけねぇだろ。
「さあ、聞いて驚け」そして曽根崎さんは、行儀悪くもお箸で僕を差した。
「げに恐ろしき臓器泥棒の正体……それはなんと、“幽霊”だそうだ」
「幽霊?」
「そう」
彼はニヤリと口角を上げる。……感情表現がぶっ壊れているこの人がこういう表情をするってことは、本人も嫌な予感がしているんだろう。そして、彼に相談してきた烏丸先生も冗談でこんなことを言う人ではない。
つまり、マジなのか。言葉を失う僕に対し、曽根崎さんは顎に手を当て上の方を見ていた。
「幽霊、亡霊、鬼、ゴースト、ファントム、イマゴ……。幽霊にまつわる怪談は数あれど、日本という地域に絞れば臓器や肉片を盗んでいくという話はまず聞いたことが無い。新種かもしれんな」
「怪現象に新種とかあるんですか」
「いずれにせよ、もっと情報が欲しいな。加えて今回は忠助からの依頼もあるんだ。君には忙しく働いてもらうことになる。頼りにしてるよ」
「まあ、お金貰えるなら何でもいいですけど」
「払う払う。あーでも案件が一度に二つか。面倒くせぇな。この世の怪異、全部まとめて蒸発させらんねぇかね」
「概ね賛同しますが、そしたら曽根崎さんの仕事も無くなっちゃいますよ。表向きの肩書きもオカルトフリーライターですし、失業まっしぐらです」
「そうなったら君に養ってもらう」
「嫌ですよ、アンタめちゃくちゃ金持ってんのに。切り崩して慎ましく生きていってください」
言いながら、覆しようのないオッサンと僕の財政的格差にちょっと落ち込む。けれど、話題が逸れたことで少しだけ僕の食欲は戻ったらしい。
すっかり冷めたレバニラ炒めに箸をつける。それを口の中に放り込み、しっかり咀嚼してから僕は飲み下してやったのだった。
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