第3話 姫路ー神戸間

『今日も、JR西日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。この列車は、新快速米原方面野洲行です。停車駅は――』


「加古川、西明石、明石、神戸、三宮、芦屋、尼崎、大阪。大阪より先は、後程ご案内いたします」


「車内放送より先に喋ってる……。ジョセフ・ジョースターみたい」


 しらせちゃんが、まるでカエルが自分の内臓を口から出して洗っているのを目撃したような顔でわたしを見ています。


 新快速は姫路駅を出発し、速度を上げて市川の橋梁を軽快に進んでいます。たたん、たたんとリズムのテンポを上げていく新快速の音に耳を傾けていると、隣に座っているしらせちゃんがぐるっと周囲を見渡しました。


「なんだか、特急列車に乗ってるみたいね」


 車内は、通常の新快速とは異なりブラウン木目調の落ち着いたデザインになっています。また、電球も暖色のものを使用していて、全体的に快適性が増しているのも特徴です。


「それに、あたし的にはコンセントと無料のWi-Fiがあるのが嬉しいわ。座席もふかふかだしー」


 座席に薄い背中を預けて、のほほんとするしらせちゃんは極楽気分です。これが本当にただの通勤車両なのだろうか。


「座席は特急車両のグリーン車に備えられているものと同じなので、快適性はJR屈指と言えるでしょう。それを五百円で乗れるなんて、いい時代になりました」


 わたしたちの前の座席。その頂点部分に備えられた透明のカバーには、薄いオレンジ色の紙が入っています。


 これが、この席の切符です。Aシートでは、着席後に車掌さんが切符を販売してくれる制度になっています。距離に関係なく五百円なので、遠出すればするほどお得になる計算です。個人的には、姫路から大阪よりも先に行く予定なら買う方がお得だと思っています。


「車椅子でも入れる綺麗なトイレや、しらせちゃんのような大荷物を持ったも安心なラックスペースもあります。至れり尽くせりとはこのことです」


「同じ電車に乗ってるはずなのに、なんだか旅行気分ねー」

「いや、わたしたち旅行してるはずなんですが」


 加古川、西明石、明石と。新快速は次々と駅に停車していきます。


「そう言えば、このAシートの語源を、しらせちゃんは知っていますか?」


 インスタにわたしとのツーショット(どこに需要があるのやら)をアップしているしらせちゃんに訊ねます。


 しらせちゃんは、んーっと考えるとへらっと笑いました。


「んー。そうねー。関西のノリだと『気持ちがええ(A)』なんちゃって?」

「……こいつ、天才か」

「マジで⁉」


 思わず正解を言い当てたことに、まさかの本人が驚いていました。


「このAシートは、Amenity(利便性)とJR神戸線、京都線、湖西線の路線記号のA。そして、関西弁のええ(良い)に由来しています。まさか正解されるとは思いませんでした」


 ぐぐっと、新快速が坂を上っていく感覚に、わたしたちは少し身構えます。


 しかし、それが済むとすぐさま左手に第一の絶景が見えてきました。


「ほわー。いい席に座ると、いつも見る景色もより一段と綺麗に見えるわねー」


 しらせちゃんが感嘆の声を漏らします。


 ここは、朝霧駅から舞子駅の途中です。複々線になり、一段高い急行線から瀬戸内海を見渡すことができます。


 わたしたちの眼前には、本州神戸市垂水区の海沿いの町と遠方には淡路島。そして、その中央に、二つの大地を繋ぎ合わせるように鎮座する明石海峡大橋が見えます。


 大きく雄大なその姿は、世界最長の吊り橋の名に相応しい貫録を見せます。

 橋の上を、芥子粒のようなサイズに縮小された大型トラックが走っています。その様子から、このつり橋が如何に巨大なものか分かることでしょう。


 ちなみに、計画段階では明石海峡大橋に四国新幹線用のレールを併設する予定であったことは案外知られていないのです。


 垂水から淡路島を通過して大鳴門橋を通じて徳島へ向かう。そんなロマン溢れる計画は早急に頓挫し、何故か大鳴門橋だけ新幹線が通過可能な状態で建てられたという、なんとも中途半端な結果になっているようです。


 四国新幹線……なんとも言えない響きです。なんだかグレープフルーツを齧った直後にお茶を飲んだ時のような、そんな感覚に襲われます。


 開通するのはいつになるやら。噂では、二十一世紀中に建設されるかも怪しいとかなんとか。


 そんな、生きている間に開通されるかも怪しい蜃気楼のような新幹線よりも、今はこの絶景を楽しみたいと思います。


 新快速は、ものの数分で明石海峡大橋の根元にある舞子駅を通過。松の林を抜けて垂水、塩屋を通過します。


 塩屋を出ると、海側を走っていた国道二号線が線路の上を跨いで山側へ移動します。すると、青々と輝く海がわたしたちの目の前に広がりました。


 四月の朝日に照らされる海はまだ青く冷たそうですが、内海の穏やかさが春の訪れを感じさせています。そんな水平線の向こうに薄霞んで見えるのは紀伊半島でしょうか。


 緩やかに左へカーブしつつ、新快速は130キロ近い爆速で走り続けます。


「ねえちひろ。さっき、おっきいカメラを持った人が何人かいたわ。もしかして撮り鉄ってやつじゃない?」


「はい。ここの塩屋、須磨間のカーブは通称『スマシオカーブ』と呼ばれ、鉄道ファンの間では有名な撮影スポットです」


 ただ、現在はフェンスが建てられていて、巨大な三脚がないと撮影は難しいようです。


 わたしはカメラを買うほどの撮り鉄ではないので、周囲の迷惑になってまで写真を撮る人の気持ちは分かりません。怒られるの、怖いですし。


「……しらせちゃんは、人の迷惑になることしないでくださいね?」

「え? なんで今あたしは怒られたの?」


 突然の叱咤に、しらせちゃんが目を丸くさせました。

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