第2話 姫路駅
関西には、いくつかお化けに関する逸話があります。
一つは、我がふるさと姫路が誇る番町皿屋敷です。幽霊のお菊さんが、皿を「いーちまーい、にーまーい」と数えていく、あれです。全国に類話が数多くある怪談ですが、わたしは姫路起源説を推しています。おそらく、その余りにも行き過ぎた推し方は各地方の番町皿屋敷起源説過激派を震撼させていることでしょう。
生粋の姫路っ子であるわたしにとって、番町皿屋敷は子守歌にも等しい怪談です。小さい頃は番町皿屋敷の目覚ましで起き、寝るときは睡眠導入のBGMとしていました。最初の方が音小さくてよく眠れるんですよね。
また、姫路城の本丸下にあるお菊井戸には、何度も足を運びました。今思えば、あれはわたしにとって初めての聖地巡礼でした。怪談に聖地巡礼って言い方はおかしな気もしますが……。
話は逸れましたが、そんな番町皿屋敷にも負けずとも劣らないお化けが、関西には存在します。
それが、快速お化けこと『新快速』なのです。
「で? ちひろの狂気的な番町皿屋敷推しと新快に何の関係があるのよ?」
「おい、次はないと言ったはずだぞ?」
やわこいJDのほっぺをむにいと摘まんで、わたしはしらせちゃんに最後通牒を突きつけます。
「や、やめふぇひひろー」
涙目で懇願するしらせちゃんが可愛かったので、悔しくて思わず手を離してしまいました。
「いたたー。もう、やめてよちひろー」
「しらせちゃんが新快速のことを『新快』と略すからです。そもそも、関西圏に住む人たちは、新快速の異常性に気付いてないのです」
「異常性?」
「はい。他地域の人が聞いたら腰抜かすレベルですよ。時速130キロで爆走する列車が、特急券も無しに乗車できるなんて。夢かと思うでしょうね」
「いや、新快……速は現実にあるし」
……ちっ。すんでのところで正しく言いやがって。
「では、何故そのような高速列車が運行されるに至ったか、しらせちゃんには分かりますか?」
「うーん。やっぱり、速い方が多くのお客さんに乗ってもらえるから、かな?」
「そうですね。正解ですが、原因は並行する私鉄との競争にあったのです」
関西の大動脈である山陽本線、及び東海道本線には多数のライバルがいたのです。
「山陽電鉄や阪急、近鉄といった平行私鉄は、こぞってスピードを競い合いました。一分、一秒を競い合う熾烈なデッドヒートに終止符を打ったのは、国鉄が設定した新快速という列車でした」
結果、京都大阪間を30分。三宮大阪間を20分。そして、姫路大阪間を一時間で結ぶお化けが誕生したのです。
「それに、新快速という列車は、街をも作り変えてしまうお化けなのです」
「ま、街を変えるって、たかが電車でしょ? そんなバカな」
それがあるんですよ、と。わたしはしらせちゃんに笑いかけました。
「新快速の高速運転は、通勤通学エリアの拡大を招きました。特に、滋賀県や神戸以西の街は、新快速が停車するというだけで新興マンションが乱立し、大阪のベッドタウンと化しました。特に滋賀県の南草津駅は、新快速の停車駅に抜擢された後に、滋賀県の乗降客数一位になったんです。先程わたしの言った通り、新快速は街を変えるんです」
まあ、そのせいでわたしたち姫路市民のような郊外の人間が、片道一時間もかけて大阪へ通勤通学をしなくてはいけなくなる事態になったんですがね。
あー、君姫路住みなの? じゃあ、通勤一時間だね。いけるいける。なんて言われて、毎日地獄のような通勤を強いられているサラリーマンの多いこと。新快速の歴史は、関西企業のブラック化、その一翼を担っているとも言えるのです。
まさに、光が強いほど影も濃くなる、というやつです。なむさん。
「へー。ちひろのおかげで頭が良くなった気がするわ。ありがと」
「いいえ。今後もこんな感じで喋り倒すので、よろしくお願いします」
そんなやりとりをしていると、姫路駅の進入メロディである『さざなみ』が聞こえてきました。列車が来る合図です。
駅の電光掲示板を見上げると、件の新快速がやって来るようでした。
「新快速の野洲行ですね」
入線してきたのは、223系電車です。ステンレス製の銀色の車体に、白・ベージュ・青のラインが入った、関西圏の人々には馴染みのある電車です。
入線する新快速が起こす風に目を背けると、隣に立つしらせちゃんが目に入りました。
前髪が風でふわふわ舞う。その風が止んだ頃、しらせちゃんの大きな瞳が驚きに変わりました。
「あれ? なんか、この車両だけ色が違わない?」
違和感を口にするしらせちゃんをよそに、新快速は扉を開けてわたしたちを誘います。
「さあ、しらせちゃん。この旅の始まりにふさわしいオープニングです」
わたしたちの旅の第一歩は、この車両から始まります。
「さあ、非日常へようこそ。ここから先は、Aシートですよ」
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