写 真

Phantom Cat

写 真

 彼女に出会ったのは、雪のそぼ降る12月だった。彼女はぼくの家の前で、庭の木に時代遅れのカメラを向けていた。


「何をしているんですか?」


 ぼくが声をかけると、彼女が振り向く。目が大きい、かわいい女の子だ。訝しげにぼくを見つめる。


「あなたは、どなた?」


「それはぼくのセリフだ」ぼくは呆れ顔で、彼女がカメラを向けていた木を指さす。「これはうちの庭の木ですよ」


「あ……ごめんなさい」とたんに彼女はバツの悪そうな顔になる。「雪が枝に積もってて、きれいだったもので……」


「それ、カメラですか?」


「ええ。2010年代のものです」


「それは年代物だ。そう言えば……まだ、あなたの名前を聞いてなかったね」


「あ、そうですね、私は……アルファとでも呼んでください」


「それじゃぼくは、ブラボーということにしようか。よろしく」


「こちらこそ」


 ぼくが右手を差し出すと、Aも右手を差し出し、ぼくの手を握る。


 その瞬間。


 ぼくは、彼女がぼくを振り返った瞬間の網膜イメージを、BI(生体工学インターフェースBionics Interface)経由で彼女に送る。ありきたりな挨拶だ。


「あ……」


 かすかに彼女は呟くと、苦笑いを浮かべる。


「ほんとは私、こんなかわいい女の子じゃないんですけどね」


 そんなことは言わなくても分かってる。ぼくが「見た」のは、彼女が設定しているアバターだ。でなければ、こんなアニメチックな女の子が現実にいるはずがない。


 そう、これは脳内に埋め込まれたインプラントSAD(感覚拡張装置Sensory Augmentation Device)が見せている幻なのだ。しかし、これのおかげで人間は今や容姿の美醜というコンプレックスから完全に解放された。外見だけなら、人は皆なりたい自分になれるのだ。


 21世紀初頭には既にその兆しが見えていた。あの時代、自撮りをアプリで「盛る」なんてことは日常茶飯事だった。インプラントMR(複合現実Mixed Reality)の発達で、今はその「盛り」を現実に重ねられるようになった、というだけの話だ。それも大した技術じゃない。


 人間の目の水晶体もレンズである以上、収差しゅうさという歪みは存在する。いや、それよりも重要なのは、目の受光スクリーンである網膜には盲点という穴があいている、ということだ。にもかかわらず、人間の視界には収差はないし、盲点も人の意識に上ることはない。


 結局、人間も脳が修正レタッチした視界を現実として認識しているだけなのだ。SADはその脳の修正能力を、文字通り若干拡張しているに過ぎない。


 だけど。


「そのカメラには、真実が写ってしまいますね。真実は時に残酷だ」


「でも、それがいいんです。それこそ本来の『写真』ですから」


 そう言って、Aはいきなりぼくにカメラを向け、シャッターを切る。そして、これまた年代物のフラッシュメモリカードをカメラから抜き取り、それを指でつまんで両目を閉じる。


「……素顔のBさんも、なかなかかっこいいですよ」


「それはどうも」


 お世辞と分かっていても、嬉しかった。


「あなたの素顔も見たいな」


「え……」彼女は困った顔になる。「そんなの、レディに対して失礼ですよ」


 なんて古風な言い方。


「今時そんなこと言う人いませんよ。都合の悪いときだけレディにならないでください。男女同権」


「……もう、しょうがないですね」


 意外にあっさりと、彼女はぼくにカメラを渡した。先にぼくの素顔を見ていたから、かもしれない。


 ぼくは彼女にカメラを向け、シャッターを切る。そして、彼女がやったように、カードを抜いて接続端子を指でつまみ、目を閉じて視覚を遮断する。BIがカードからデータを読み込み、ぼくの脳にそれを直接届ける。こうしないと、彼女の素顔は認識できないのだ。


「あなたも、思っていたより美人じゃないですか」


「ありがとう」声に少し照れが混じっていた。


 しかし。


 真実は時に残酷だ。そして、時の流れも……


 それでも、ぼくの言葉に嘘はなかった。素顔の彼女は、確かに美人だった。


 少なくとも、五十年前は。


 今でもその名残はあるし、SADによる年齢遡行シミュレーションの結果を見てもそう言える。


 彼女が今や忘れ去られた「カメラ」などというものを持っているのを見た時から、そんな気がしていた。やはり彼女は……


 ぼくと同年代だった。


 カメラを彼女に返そうとしたとき、かすかに手と手が触れた。その瞬間、彼女の個人情報のかけらが直接脳内に飛び込んできた。


 夫と三年前に死別、か……


 それを言うなら、ぼくだって二年前に妻を亡くしている。これもまた、何かの縁ってヤツかもしれない。


「寒くないですか? 体に障りますよ。ぼくの家で、お茶でも飲んでいきませんか?」


「いいですね。それじゃ、お言葉に甘えて」


 ぼくの「視界」の中でアニメ顔のかわいい女の子が、嬉しそうに笑っていた。

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