第2話 仙臺駅からの東京行き新幹線

 姉の巳華美みかみに見送られ、桃佳ももかは、仙臺駅から東京行きの新幹線に乗り込んだ。

 南方新島行きを特別な公的事由として、桃佳ももかは弐華中から10日間の公休をもらっていた。が、新幹線の指定席で、桃佳ももかは、いつもと同じ時間に、一限目の科目である理科の教科書を開く。学校を休んだ生徒は後でビデオで補講を受けることができる。桃佳ももかは、今日の授業範囲である生物の進化の章を飛ばして、地学の部のページまでめくる。昨年度からの改定により、中学の地学は、「恒星・惑星と地球の章」と「テトラビブロスフィアの章」に分けられている。

 「恒星・惑星と地球の章」では、従前から確立されている天文学に基づき、各天体について学ぶ。教師にとっては人生の大半を過ごしてきた母なる地球についてとうとうと語る機会となる。とはいえ、生徒たちは、これからの人生を、内国が丸ごと転移させられたテトラビブロスフィアにおいて歩んでいくこととなる。文部省は、大学の天文学者や地質学者たちが、この5年の間にテトラビブロスフィアについて調べ上げたことを生徒たちに伝える「テトラビブロスフィアの章」を重視していた。

 

 その章の冒頭は、内国の現代科学では生み出すことができない膨大なエネルギーが必要となるテトラビブロスフィアの形成こそ説明がつかないものの、テトラビブロスフィアの作りについては、科学的観測手段によりさまざまなことが分かってきている、と始まる。

 そして、次のページには見開きで、テトラビブロスフィアの想像断面図が描かれている。真ん中に太陽が、そして、その知覚に二重惑星となった水星と月が小さく描かれている。それらを全球的に覆うのがテトラビブロスフィアの球体内殻表層にあるベロネフィアである。細い糸のように描かられたベロネフィアには拡大図があり、そこに内国日本が隣国のある朝鮮半島や中国大陸と共に描かれている。そして、テトラビブロスフィアの球体外殻には、その組成とと成り立ちは未だ解明途上であると注記された上で、黄土色の表面にルッフィという呼び名が付されている。

 今や優等生の桃佳ももかはもちろん、他の同級生たちにとっても、ニュースなどで何度も報じられてきたテトラビブロスフィアのこの想像図はおなじみのものである。

 それでも桃佳ももかも同級生たちも、この教科書を受け取ってからというもの、学校で部屋で幾度となくこのページを開いてしまう。自分たちが子供時代を過ごした地球は今はなく、テトラビブロスフィアと名付けられた奇怪なあるいは奇跡の天体の上に内国がある不思議を大人たちと同じく感じているのだろうか。

 

 そして、桃佳ももかには、このテトラビブロスフィアの断面図には個人的な思い出がある。内国がテトラビブロスフィアに転移してから1年半ほど経ち、ようやくに社会が落ち着きを見せた頃、桃佳ももかは、地元仙臺の名門中高一貫校である弐華中等学校を受験する年となった。1月生まれの桃佳ももかは、当時は同級生の中では小柄な方であり、お嬢様育ちのおっとりさをまとっていた。成績はそこそこといったところで、偏差値的には弐華中のボーダーライン少し下というところだった。父の芳佳も母の香住も、末っ子の桃佳ももかに、無理をしてでも弐華中を目指すよう強いるようなことはなかった。

 ただ、芳佳は末娘の受験を陰ながら応援する気はあった。昨年の入試では、一般科目でも小論文でも、テトラビブロスフィアについて聞かれることはなかった。テトラビブロスフィアへの転移事象によってトラウマを負った人たちが報じられる中、文部省が入試においてテトラビブロスフィアについての出題をすることを行わないよう、通達を出していたのだった。

 今年は文部省がそうした通達を出さないことを、霞が関勤めの芳佳は知っていた。芳佳は、桃佳ももかの年長のはとこである零佳れいかに、夏休みの臨時講師をお願いした。普段は、エネルギー資源庁の研究所でテトラビブロスフィアの電磁気学的性質の調査研究助手をしている零佳れいかは、テトラビブロスフィア出題対策の臨時講師にもってこいだった。

 大学を2年前に出たばかりの零佳れいかは、研究所のある片平で気ままな一人暮らしをしている。上杉家の旧家まではスポーツサイクルで10分ほど。

 北方州の伊達市で育った零佳れいかは、未だに師範制度が残る伊達家剣術道、つまりは北辰流の師範代の位を与えられていた。上杉家の誰もが敵わない実践剣術を修めている零佳れいかが仙臺に転居したことを知った上杉旧家の道場主は、零佳れいかに、道場の指南役を依頼した。本家筋の道場主からの丁寧な依頼を零佳れいかは快諾した。そして、少年少女道場の指導を任された零佳れいかの生徒の一人は、はとこの桃佳ももかだった。

 

 そんな経緯で剣術の先生としての零佳れいかの顔は知っていた桃佳ももかだったが、臨時家庭教師として、年長の男性である

零佳れいかが自室の学習机の横に座ったことに緊張していた。少しこわばった顔をしている小学生の桃佳ももかの前に、零佳れいかは、研究所で作成中のテトラビブロスフィアの想像図を広げた。当時は、隣接世界とのやり取りを経て、内国が位置する新天体をテトラビブロスフィアと呼ぶことが正式に決まってから半年ほどしか経っていなかった。

 テトラビブロスティアなどという舌を噛みそうな名前を連呼しては、桃佳ももかの顔がもっと強張ると零佳れいかは思ったのだろうか。次いで、零佳れいかは脇の袋から、大きな桃を2つ取り出した。そして、剣術場でも見知っていた大きな左手で桃を掴み取ると、

 「いいかな、桃佳ももかちゃん。この桃の皮の表面に、桃佳ももかちゃんたちが4年生までを過ごした日本があったと考えてみよう」

と言った。


 そして、右手の細く長い人差指と親指とで、桃の皮を細くはいだ。熟れた桃の実の一部が皮について剥がれた。

 「こんな感じで皮と実の一部が剥がれて、このテトラなんとかという不思議な天体に張り付いたんだよ。僕らから見ると地中にあたる桃の実の方に、ルブリッフィと呼ばれる不思議なのりみたいな成分があって、それがボネクラの内国をこの天体に貼り付けている、と僕を指導してくれている先生たちは考えているんだよ。」

 と言った零佳れいかは、微笑みながら続けた。

 

 「弐華中の入試でテトラビブロスフィアについての小論文を書くことになったら、これだけでオーケーだよ。テトラビブロスフィアの成り立ちは桃の皮で説明できると聞きましたってね。字数が余ったら、上杉家にとって大事な花でもある桃のことを書いてもいいかもね。」

 

 そうして、ちょっと休憩しようと言って、零佳れいかは桃を袋に戻すと桃佳ももかの部屋を出ていった。

 桃の名産地である福島県伊達郡あたりは、江戸の世には上杉家の所領であった。同じく所領であった仙臺県加美郡の林檎と併せ、幕府が開国した後は、内国の輸出商品として海外にも名が通ったといった事柄は教科書にも載っていることである。一人部屋に残された桃佳ももかは、教科書的な事柄ではあるにせよ、その桃から名前に字をもらった自分のことをお題とされたようで何か気恥ずかしい思いをしながら、テトラビブロスフィアの図を眺めていた。

 

 数分の後、零佳れいかは戻ってきた。剥いた桃をお皿に入れて持ってきた、母の香住が一緒だった。テトラビブロスフィアと桃の皮の話は母も聞き及んでいるらしかった。母は、もうこの地で生きていくしかないんだから、零佳れいかさんの研究の話をしっかりと聞きなさいといった風なことを言った後に、私なら、こんな大きな桃だったら、おっぱいを想像しちゃうところね、と軽口を飛ばした。

 あろうことか、親族とはいえ異性の先生のと前での軽口に、桃佳ももかは自分のことを言われたかのように「お母さん!」と言って赤くなってしまった。

 その後、数回に渡り、桃佳ももか零佳れいかからテトラビブロスフィアについての話をしてもらった。一番印象に残ったのは、零佳れいかが自身の研究内容の話だった。テトラビブロスフィア外殻のリッフィの放射平衡という内容を、小学生の桃佳ももかは半分も理解できていなかったように思う。

 が、内殻が受ける太陽熱が地中のマントル層に浸透し、液状体と考えられるリッフィがバランス良く、外宇宙に放射しているという話を半ば神話のように受け止めつつも、学ぶこと研究することの楽しさを、桃佳ももか零佳れいかから感じ取っていた。

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