第10話

 エレノアと入れ替わる形でアルが歩み寄る。


「ちょっと力みすぎだね。力の入ってる状態で魔力を制御しようとしても、短時間ならともかく長時間の安定した制御はどうしても難しいんだ。もっと力を抜いてリラックスしてみて。ほら、こんな風に」


 手本とばかりに水の球を空中に浮かび上がらせる。その状態を維持して息を浅く長く吐いて身体の力を抜く。水の球の質量を増やすイメージを持ちながら魔力を流し込む。すると球の大きさが二倍に変化した。


「すごいです……」

「オリヴィアもやってみて」

「わかりました」


 彼女の魔力が流れ出したかと思うとアルの出した水の球の隣で火の玉が発現した。

 問題はここから。目を閉じて深呼吸し、オリヴィアはリラックスした状態で魔力を制御する。少しずつ魔力を流し込むと火の玉が大きさを増し始める。


「っ!」


 しかし、オリヴィアの表情が僅かに歪むと、合わせて火の玉の形も揺らぐ。


「大丈夫、落ち着いて。魔力に振り回されないで」


 アルのアドバイスを忠実に守ろうと意識をするほど火の玉が楕円に歪む。それに気づいたのかオリヴィアは自身の気を鎮め、表情も冷静さを取り戻す。歪んでいた火の玉がきれいな球体に戻ると再びオリヴィアの魔力が安定した。

 そして火の玉のサイズが一回り大きくなった。


「おぉ!」


 アルの声に反応してオリヴィアが目を恐る恐る開く。火の玉をまじまじと見つめると、次第にぱっと顔が輝く。


「やりました! 私、できました!」

「うん、こんなにすぐできるなんてすごいよオリヴィア」


 それはお世辞ではなく本心での感想だ。魔力の制御は魔法の基礎だが、習得するのにエレノアで一週間、アルでも二日は要した。それをオリヴィアはたった一度コツを教えただけで成し遂げてしまった。魔法を本格的に学べばアル以上に強力な魔法師になりえるかもしれない。オリヴィアはそれだけの才能の片鱗を見せた。 


「はい! ありがとうございます!」

「今の感覚を忘れないでね。これが完璧にできるようになればいろんな魔法も制御できるようになるから」

「分かりました! あの、もう一度いいですか?」

「もちろん。けどその前にお風呂に入ってきたらどうかな? さすがにその格好はちょっと……」


 オリヴィアが自分の身体を見下ろすと、黒く汚れた全身に驚いて飛び退いた。


「ね? ラナ、いるかい?」

「はいはーい、お呼びかなー? って、これまた派手にやったねぇ」

「オリヴィアをお風呂に入れてあげてほしいんだけど、お願いできる?」

「オッケー、お姉さんに任せといて! いこっか、オリヴィア」


 肩を組み始めるラナの行動にオリヴィアは距離を保とうとするが、茶髪の少女は一方的にぐいぐいと身を寄せていく。


「そんなにくっつくとラナまで汚れちゃいます……」

「いいのいいの、私も一緒にお風呂はいるんだもーん!」


 そんなやりとりをしながら孤児院に入っていく二人の背中を見送ると、アルの背後から二人の足音が近づいてくる。


「オリヴィアはすごいわね」

「うん、ほんとに。そっちはもう終わったの、エレノア?」

「えぇ、結果はいつも通りだったけれど」

「あはは。リア兄は強いからなあ」

「さすがに俺もまだお前らの師匠として負けるわけにはいかんだろ」

「されでも一回くらい華を持たせてくれてもいいと思うわ」

「それじゃあ訓練にならんだろ」

「気分的な問題よ」


 赤髪の少女の物言いにリアムは苦笑いを浮かべる。


「それにしても、ほんとオリヴィアはすごい」

「そうだね。俺だってそのうち抜かれちゃうかも」

「もしそうなったら、あたしのこれまでの時間がばからしいわ」


 一瞬だが、エレノア儚げに空虚な笑みを浮かべたのをアルは見逃さなかった。

 しかしすぐに赤髪の少女はいつもの凛とした表情を繕い、わざとらしいため息をついてみせる。


「はーあ、考えるのもやめ。オリヴィアに抜かれないように頑張ろっと。リアム、今日はもう一戦頼める?」

「お、珍しいな。もちろんいいぞ」


 そうして二人もまた離れた場所へと戻っていった。

 孤児院という環境にオリヴィアが適応できるかが一番の問題だったが、オリヴィアが来たことによって孤児院の環境が少しかわりつつあるのをアルは感じた。





 昼食が終わると各自解散して好きなように時間を費やしていた。アルはというと自室にこもって自分の机で記録結晶とにらめっこしていた。


『女王陛下が亡くなられたことにより、第一首都プリバティ代表サミュエル・プリバ

ティ氏が即位。これまで行われてきたフェンリベルトによる小規模な集落への圧政は終止符が打たれた。これによって国民の平和が保証され、全国民平等に人権が与えられることになる。また、圧政再発防止のために国民の自衛力強化を図り、定期的に能力調査を行うこととする』


 事実を知らない人がこれを読めばそれっぽく聞こえてしまう。しかも証拠とばかりに写真を付けられれば信じたくもなる。だから街の住人の反応──アルが実際に見たわけではないがコーディからの話を聞く限り──はある程度納得できてしまう。

 しかし、これまでヴァレンティーナ女王陛下は国民のためを考えた政治を強いてきた。無論この孤児院のように資金などの支援が行き届かない貧困地域というのは存在しているが、少なくともアルがそれを不満に感じたことはない。いくら国民の生活の充実を考えた政治を行ったとしても、もれなく全員が生活に困らず充実した生活を送れるようになるのは不可能なことぐらいアルも分かっている。いくら記録結晶の内容に信憑性がありそうでも、これ一つで女王陛下を悪だと認識を変えられる人々が信じられなかった。

 その女王陛下が殺害されたことでフェンリベルトの第一首都であるプリバティ代表、サミュエル・プリバティが国王に即位することは自然なものだ。王族であるオリヴィアはまだ幼いし、まだ世界を知らなすぎる。彼女が女王となるのはまだ時期尚早だろう。

 なのにわざわざオリヴィアまで死亡扱いにし、国が小さな集落への圧政をしていたと事実の歪曲をして何をたくらんでいるのだろうか。

女王陛下が殺害された事件がこの一連の出来事の発端なのは間違いない。そこまでしてフェンリベルトの国王という座にのしあがる必要があったのか。

 仮に国王という地位が必須であったあればサミュエルはそれだけ大がかりなことをしてくることになる。


「圧政再発防止のために国民の自衛力強化を図り、定期的な能力調査、ねぇ」


 そうなると一番引っかかるのはこれだ。記録結晶の内容に裏があるのを前提として解釈すると、今後政府のやり方に反発する人が出てこ

ないよう、事前にクーデターを起こせそうな実力者をマークする、という意味にも取れる。

 そこまで徹底した対応を取るのだからサミュエルがしようとしていることに嫌な予感しかしない。

 何をする前にサミュエルを止めたいところだが、時間をかければかけるほどクーデターへの警戒態勢も整ってしまう。だとするとサミュエルがまだ動きを見せていない今がタイミングとしては絶好ではある。とはいえ、記録結晶の内容が確実に捏造であると言える証拠がない。

それに、オリヴィアが馴染もうとしているこの環境をアル自身が壊すことにもなる。もどかしいが、不利になるとわかっていてもまだ様

子を見るのが結局最善そうだ。


「すみません、今よろしいですか?」


 部屋の扉がノックされると同時にオリヴィアの声が聞こえ、アルは思考を中断した。


「うん、どうぞ」

「失礼します」


 扉が開かれ、オリヴィアがおそるおそる中に入ってくる。


「そんなに緊張しなくてもいよ」


 縮こまる彼女に声をかけると、不安げに顔上げた。


「それで、どうしたの?」

「あの、ラナを見ませんでしたか」

「ラナを? 俺は見てないけど、何かあった?」

「い、いえ、何かあったわけでは……先ほどお風呂に一緒に入ったときに、この時間に部屋に来るように言われたのですが、部屋にラナがいなかったので」

「あー、それなら花壇じゃないかな?」

「花壇、ですか?」

「うん。案内してあげるからちょっと待ってね」

「ありがとうございます」 


 アルは中断した思考の続きは後ですることにして記録結晶を閉じて机に仕舞った。

 オリヴィアを花壇に案内しようとしたところで、彼女がアルの様子をうかがいながらおずおずと口を開いた。


「あの、大変じゃないですか?」

「うん? 何が?」

「料理も洗濯もお風呂も、全部自分たちでしなければいけないが大変じゃないですか? その、王宮では全て使用人や料理人がしてくれてたので……」

「なんだ、そんなことか」

 不安になるのは無理もない。環境が変われば不安になるのは当然だし、アルだってそんな時期はあった。ここで暮らしているのはそういった経験をしてきている人ばかりだ。自分のことのようにオリヴィアを受け入れるだろう。現に今すでにエレノアもラナもオリヴィアのサポートをしてくれている。


「大丈夫。俺たちがそうだったみたいに少しずつ慣れればいい。焦る必要はないよ。俺も含めてみんなオリヴィアのことサポートするから」

「アル……ありがとうございます!」

「そうだ、お勝ったら今日の晩御飯、オリヴィアも一緒に作る?」

「え、でも私、料理をしたことがありません……」

「だから練習するんだよ。最初から全部できる人なんていないんだから、とにかくやってみて、失敗しながら学べばいいんだよ」

今では一通りこなせるが、昔は家事なんて何一つ分からなかった。そんな状態でリアムに位置から教わったのだが、とにかくやって失敗白というのはリアムの教えだった。実際、アルは何度も失敗を重ねたが、その分早く家事ができるようになった。オリヴィアも経験がないからこそ、自分で体験することが生活に慣れる早道だろう。


「わかりました。私、やってみます」

「うん」


 さて、とアルは席から立ちあがる。


「そういやラナを探してるんだったね。花壇に案内するからついてきて」


 ラナがいるであろう場所に向けてアルとオリヴィアは部屋を出た。

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