第9話

「オリヴィア、ちょっといいかな?」

オリヴィアの部屋をノックすると、中からごそごそと音がして扉が開かれる。

「アル? どうしたのですか?」

出てきたオリヴィアはかわいらしいピンク色のネグリジェ姿で、晒された白い素肌に思わずどきりとしてしまう。

慌てて視線を上げると、オリヴィアは不思議そうにアルを見ていた。

「そんな服、持ってたんだ」

「はい。王宮から出るときに持ってきてました。私、これがないと眠れないので」

「そうなんだ」

気品のあるオリヴィアにはすごく似合っていて、寝間着だけなのに自分たちとは身分なのだと再認識した。

「ちょっと話がしたいなと思ったんだけど、今大丈夫?」

「はい。それでしたらどうぞ」

中へと促され、アルは中に入った。

簡易のベッドがあるだけで他の家具類は何一つない部屋。自分たちの家とは言え、質素な部屋だとつくづく思う。これまでアルが想像できないほど豪華な部屋に住んでいたと考えると、こんな部屋に王女様を住まわせるのが心苦しい。

「ごめんね、こんな何もない部屋で」

「いえ……アルがいなければ私は屋根のある場所で眠ることすらできませんでした。ですので部屋を与えていただいているだけで感謝しています」

なんとできた人間だろう。アルよりも一つ年下なのに同じ人間とは思えない。容姿だけでなく言動まで育ちの違いを見せられると、オリヴィアが自分と話しているのが夢なんじゃないかという感覚に陥ってしまう。

オリヴィアがベッドに腰掛けると、隣に座るよう示してくるので言葉に甘えてアルも隣に腰掛ける。

「ここはどう? さすがにまだ慣れないと思うけど、ここで過ごせそう?」

「はい。エレノアもラナも、みんなすごくいい方々です。親身になって話を聞いてくれますし、ここにこれてよかったです」

「そっか」

嬉しそうに即答してもらえるものだから、アルまで嬉しくなってくる。だが、そんなオリヴィアにこれから話すことを考えると気が乗らない。でも、話さなければならない。

「ねぇオリヴィア。心して聞いてほしいことがあるんだけど、いいかな?」

「……なんでしょうか」

「これを見てほしいんだ」

一転して、警戒心を露わにするオリヴィアにアルは記録結晶を見せた。

文字と写真が浮かび上がり、先ほどアルが見たばかりの内容にオリヴィアが目を通す。

「そんな……」

目を大きく見開き、わなわなと震え始めた。

「お母様だけでなく国まで……」

「ごめん。オリヴィアにはつらい内容だと思うけど、オリヴィアには知ってもらわないといけないと思って」

「……」

今にも泣きだしそうだが、決して涙は流すまいと堪えているのが見てとれる。泣きたいときには泣けばいいと思うのだが、女王陛下が殺害された今、オリヴィアがフェンリベルト家の末裔だ。そのプライドが涙腺を辛うじて死守しているのかもしれない。

「……ほんとうに私の居場所はなくなったのですね」

ぼそりと漏らした言葉にこもった感情は虚無。何もかも失ってしまったショックが彼女を支配している。

かと思ったのだが、オリヴィアはゆっくり顔を上げた。

「……あんなことになった以上、こうなることは私でも想像できました。一応、覚悟はしていたつもりです」

その言葉にアルは目を大きくした。

「強いね。オリヴィアは。自分の家も、お母さんもなくしたのに」

「いえ……そんなことありません。先ほどラナとエレノアに励ましてもらったばっかりです。本当にみなさんには感謝しています」

「そっか。それでも無理はしないでね? 何かあったら俺でもいいし、ラナやエレノアでもいいから」

「はい、ありがとうございます」

柔らかな笑みを浮かべて礼を口にした。その品のある笑顔は直視できないくらいに眩しくて、思わず視線を逸らした。


 朝、日課である魔法の訓練のために起床して外に出ると、すでにアル以外の仲間が集まっていた。

「みんなはやいね」

「オリヴィアがやっぱり魔法をやってみたいんだって」

 定位置になっている、孤児院を出たところの段差に腰を下ろしていたラナが視線を向けることなく答えてくれた。

「あれ、昨日は魔法を使いたくないって言ってたのに」

 歓迎会のときに確かにそんなことを言っていたのに、何か心変わりすることでもあったのだろうか。

 疑問に思いつつみんなの集まる庭の中央へ歩く。

 今日も空は青く澄みわたり、冷たいくらいの朝の新鮮な空気が気持ちいい。今日も最高の訓練日和だ。

「みんなはやいね」

「あ、おはようございます」

「うん、おはよう」

 丁寧にお辞儀するオリヴィアにつられてついついお辞儀を返す。

「どうし──」

「あの」

 どうしたの、と訊ねようとしたところを同時に口を開いたオリヴィアに遮られた。彼女は言い出しにくそうに俯きながらもじもじと身をよじる。 

 五秒ほどかけてようやく踏ん切りがついたのか、オリヴィアは不安げに顔を上げて口を開いた。

「あの、私も魔法を教えていただけないでしょうか……?」

「なんだ、そんなことか。もちろんいいよ」

 即答で承諾すると、オリヴィアの緊張が解けて表情が綻ぶ。

「今日は先にエレノアとリア兄でやってて」

「了解。じゃあよろしくリアム」

「オッケー」

 リアムとエレノアが離れたところへ歩いていく。

「コーディはどうする?」

「昨日の疲れがちょっと残ってることだし俺はパスすっかなぁ」

「わかった。ならオリヴィア、早速始めよっか」

「よろしくお願いします」

「じゃあちょっと待っててね」

 アルは一度孤児院の中に戻り、食堂にあるランプを持ってくる。オリヴィアが昨日見せてくれた魔法しか使えないのならそれを応用して

いくのが一番手っ取り早い。

 急いで庭に戻ってくると、オリヴィアは一歩たりとも動かずに待っていた。

 炎が灯っていないランプを地面に置く。

「それじゃあ昨日見せてくれた魔法をもう一度見せてもらえるかな?」

「はい」

 昨日と同じようにオリヴィアはランプに手をかざして集中を高めると、ボゥと音を立てて難なく火が点る。

「やっぱり安定してるね」

 灯された火は揺らぐことなく一定の強さで燃え続けている。魔力の流れも安定していて完全に制御されている。それだけヴァレンティー

ナ女王陛下の教えがよかったのだろう。教えがいいということはそれだけの魔法師だということ。女王の身分でありながら魔法師でもある

とは、彼女は一体何者だったのか。

「次はその火を大きくしてみて?」

「ありがとうございます]

「大きく、ですか?」

「うん」

「わかりました。やってみます」

 オリヴィアが力を込めて手をかざしなおすと、魔力がランプの灯へと流れ込むのを感じた。一定量ずつ安定して魔力を供給されていると

ころを見た感じ、火を灯すのが限界という昨日の言葉は謙遜に思えてくる。

「すごい、上手じゃ──」

 アルが褒めかけたちょうどそのタイミングで安定していた魔力の流れがはげしく乱れた。同時にランプの灯が爆ぜ、爆風が身体を打ち付

ける。

 とっさに腕で身体を覆い風をしのぐ。

 爆風が収まるのを待って腕を退けると、全身を黒く汚したオリヴィアが茫然と立ち尽くしていた。彼女の美しい金色の髪は汚れてくすん

でしまい、王族の気品がまるで感じられない。そして足元に転がるのは割れて使い物にならなくなったランプ。

「オリヴィア、大丈夫?」

 声をかけるとオリヴィアははっと辺りを見回し、ランプを視界に捉えると露骨に肩を落とす。

「私、ランプを壊してしまいました……」

「ランプのことは大丈夫だけど、怪我はない?」

「それは……はい……」

「なら安心したよ」

「ちょっと、今の何よ!?」

 騒ぎを聞きつけたエレノアがリアムとの訓練を中断させて駆け付けてきた。

「ああ……ちょっとね」

 壊れたランプを指さすと、赤髪の少女は納得するようにうなずいた。

 落ち込むオリヴィアに歩み寄ったエレノアはしゅんとするオリヴィアの肩に手を乗せた。

「失敗、しちゃったのね」

「すみません……」

「ランプのことは心配しないで。予備は残ってるから」

「はい……」

「あたしもね、最初は何度も失敗したわ」

「エレノアが、ですか?」

 意外そうにオリヴィアが訊く。

「あたしだって最初から魔法が使えたわけじゃないわよ? それこそオリヴィアみたいにランプを爆発させていくつも使い物にならなくし

たのよね」

「ほんと、毎回爆発させては泣いてたよね」

「アルは黙ってて」

「……はい」

「失敗する度に落ち込んで、あたしには魔法の才能なんてないんじゃないかって思ったわ」

 それは決してオリヴィアを元気づけるための謙遜でも何でもなく事実だ。アルとリアムが訓練しているところを見て自分もやりたいと言

い出した当初のエレノアは、お世辞にも才能があるとは言えなかった。今でこそアルと戦いになる程度の実力だが、最初は火を灯すことす

らままならない状態だった。それに比べるとすでに初歩ができているオリヴィアの方が才能があると言えるだろう。

「でもできないことが悔しくて諦めずにやってたらうまくできるようになったの。だんだんコツをつかんできたら思うように魔力を制御で

きるようになって魔法が楽しくなったわ。だからオリヴィアも頑張ろ?」

「……はい。私、もう一度やってみます」

「ふふ、その意気よ」

 オリヴィアの肩をポンポンとたたいてからエレノアが離れていく。そのすれ違いざま──

「後よろしくね」

「うん。ありがとう、エレノア」

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