第2話

「いくよ」


 アルが短く声をかけると、対峙する赤髪の少女は頷いた。


「いつでもいいわよ」


 心地のいい春の朝日を受けて二人が立っているのはとある建物の庭。すぐ隣が森になっているほどには街から外れていてしずかな一角だ。ゆえに庭の敷地面積も広い。


「それじゃあ早速──『水群よ、乱れ舞え』!」


 アルが魔法を発動させると、周りに五つの水弾が出現した。それらは不規則に揺れて少女へと飛来する。


「『炎よ、荒れ狂え』


 動じることなく少女は炎の渦を発生させて応戦する。直径約2メートル、高さ1メートルほどのサイズの渦は水弾を全て飲み込んで吸収してしまうと、その勢いのままアルへと向かう。

 横に跳んで炎の渦を回避すると、アルはそのまま反撃に転じる。


「『五月雨よ、降りしきれ』!」


 空中から少女の立っている場所に水の流星群が降り注ぐ。それを軽く後方へ跳んで躱されると、その機にアルは少女との距離を詰めていく。


「『水群よ、乱れ舞え』!」


 再度五つの水弾で少女に休む暇を与えることなく波状攻撃を仕掛ける。一つ一つ不規則に動かすことで軌道を予測させない。

 しかし、それでも少女は水弾一つずつ確実に躱していく。


「でもこれで──っ!」


 次の一撃で勝負を決めようとしたアルだったが、強力な魔力を感じて慌ててその場から飛び退いた。

 刹那、アルの立っていた場所から二本の炎柱が立ち上がった。


「あ、躱された」


 意外そうな表情を見せつつも淡々とした口調で呟く少女を見て、アルはさすがに焦りを隠しえなかった。


「今の、いつの間に?」

「さっきよ。アルが詰めてくる間にね」

「全然気づかなかったよ。さすがだね」

「なんだかんだで躱すアルに言われてもね」


 肩を竦めてみせる少女に素直に感心しながらも、アルは次の展開を見据えていた。


「じゃあ、また行くよ」

「──っ!」


 アルが地を蹴ると、少女が息を飲んだ。

 五つの水弾を少女の周囲に展開させ、同時に少女へと放つ。それを大きく右に跳んでそれらを回避して見せた。──が。


「きゃっ!?」


 ぬかるんだ地面に足を滑らせて少女がバランスを崩す。


「そこだっ!』」

「っ──『炎よ、爆ぜろ』!」


 慌てて少女が円柱を展開させるも、アルは水で形成された剣を握りしめて炎壁に剣を差し込む。すると壁を形成する炎が音を立てて蒸発していく。そして、壁を貫いてなお水勢を保つ剣の切っ先は少女の手前で止まった。


「はあ、私の負けね」


 ため息をついてから両手を軽く挙げる少女を見てアルは魔法を解いて水の剣を消した。


「二人とも、お疲れさま」


 手を打ち鳴らして二人をねぎらいながら二十歳前後の青年が歩み寄ってくる。


「アル、かなり上達したんじゃないか?」

「そうかな。でもエレノアだって強かったよ。一瞬本気で焦ったわけだし」


 率直な感想を述べると、対峙していた少女──エレノアは小さく肩を竦めた。

 燃え盛る炎のように真っ赤で、肩下までの長さの髪を一つに結って、きりっとした目鼻の持ち主。肌はほどほどの白さで非常に健康的だ。額に軽く汗は滲んでいるものの息が上がっている様子はない。

 彼女は戦闘で乱れた革製で暗い茶色の服をピシッと直した。浮かび上がるラインは決して豊かな方ではないが、女性らしい丸みを帯びている。


「たった一瞬しか焦ってない、の間違いでしょ? あーあ、今日こそは自信あったのにな。やっぱりアルには叶わないわね」

「そうかもしれないけど、エレノアも確実に成長してるよ」

「リアムさんに言われるとちょっと嬉しいわね」

「なんでだよ……」


 エレノアの物言いにアルが苦笑を浮かべる。


「まぁまぁ、エレノアは相手の不意を突くような攻撃はよかった。後はもう少し視野を広げること。周囲の状況を把握することでさっきみたいに足を取られることもなくなるし、逆に周囲の環境を利用することで自分の攻撃バリエーションも増えていいんじゃないかな。その点、アルは相手だけに囚われないのがいいな。でもエレノアとは反対でもう少し相手に注意を向けた方がいい。そうするとエレノアの奇襲ももう少し早く反応できてるはずだ」


 的確なリアムの指摘にアルは何も言い返せない。終始アルが優勢だっただけに奇襲を一度でも受けてしまうとそれまでのものがすべて崩れる。事実、僅かでも反応が遅れていたら一撃で形勢は逆転していた。もしこれが実戦だったなら致命的ものになっていただろう。


「どんな戦いでも自分の技量だけで戦うのと周囲の土地や地形、環境を利用するのとでは後者が強い。ただ相手の様子を見るのは前提だ。表情や仕草に視線や息遣い。これらも全部戦闘での情報になる。実戦では少しでも多くの情報を得た方が勝つ。これからはその辺も意識するように」

「「はいっ!」」

「じゃあ朝の訓練はこれで終わり」

「はいはい、二人ともお疲れー」


 そのタイミングで新たな少女がタオルを持ってやってきた。

 茶色い髪を腰まで伸ばし、丸く黒い瞳とすっと通った鼻筋。純白のワンピースからはすらりとした四肢が伸びる。身長は女性にしてみれば高い方で、服の上からも女性らしいふくらみがしっかりと主張している。


「はい、タオル」

「ありがと、ラナ」


 アルとエレノアはラナからタオルを受け取ると汗と水魔法で濡れた額を拭う。


「見てたけどすごいね二人とも。私にはあんな魔法使えないよー」

「ラナだって練習すれば使えるようになるよ。俺だって最初は酷かったんだから。ね、リア兄」

「ああ、そうだな。全然魔法が使えなくてピーピー泣いてた頃が懐かしい」

「ちょっとリア兄、そんなことまで言わなくても……」

「え、なになに? その話もっと詳しく聞きたいなー」

「ラナも勘弁して……」


 アルが困ったように言うと笑い湧きあがった。


「それにしてもほんとにアルはすごいなあ」


 落ち着いたところでラナが羨望を込めて言った。


「ラナもリア兄に教わってみたら?」

「いいよいいよ私は。戦うの苦手だし」

「一応護身ぐらいならそんなに戦闘向けのものじゃなくても大丈夫だけど」

「うーん」


 思案する素振りを見せたラナだったがすぐに首を横に振る。


「やっぱり私はいいや。もし何かあったらアルがなんとかしてくれるでしょ?」


 悪びれもせず人任せな発言にアルは苦笑を漏らす。

 そこへ、新たな声がした。


「あの、ここは……?」


 陽の光を浴びて輝きを放つ、金色の長い髪の少女が立っていた。透き通った碧い目と小さな鼻。背丈が少し小柄なだけあって全体的に幼く見えるがよく整った顔立ちだ。身にまとうピンク色の部屋着が着崩れており胸元の谷間が露出してしまっている。そこから覗く肌は絹のように白く、ふくらみは慎ましやかだ。華奢な体つきから伸びる四肢が細いため少し貧相にも見える。


「オリヴィア王女殿下……!?」


 オリヴィアがそこにいたこともだが、それよりもその着崩した服装に目を丸くした。


「ちょっと、なんて格好してるんですか!? あたし、着替えを枕元に置いてましたよね!?」


 さすがに見かねたエレノアがオリヴィアのもとに駆け寄る。


「はい。ありました。でも私、一人で服を着たことがないので……」

「え……?」


 きょとんとしてエレノアが王女を見つめるが、当の本人はなぜそんな顔をしてるのかと聞きたそうに首を傾げた。


「分かった! じゃあ私が手伝ってあげる。ほらほら王女様、中に入ろ」

「はい。ありがとうございます」


 ラナに手を引かれてオリヴィアは建物の中に入っていく。それを見届けてアルは息をついた。

 二人の入っていった建物は街の外れにしては立派なもので敷地も普通の一軒家より広い。逆に言えば街の外れだからこそ敷地を広く取れていたりする。


「それで、なんでアルはずっと見てたのかな?」

「え?」

「いやらしい」

「いや、違うって! というか今のはどう考えても不可抗力でしょ!」

「だとしても見ないようにするのが普通じゃない?」

「はいはい二人とも、そこまで」


 ちょうどいいタイミングでリアムが仲裁に入ってくれたことに安堵する。


「アル、ちょっとは気をつけろよ?」

「やっぱり俺が悪いの!?」

「ここには女の子もいるんだからその辺はもっと上手くやらないと」

「そういうこと!?」

「うわぁ……」


 あからさまに距離を空けてゴミを見るような目でエレノアが睨む。アルにすれば巻き込まれ事故もいい所だ。


「それにしても、オリヴィアが無事で何よりね」


 エレノアが話題を変えてくれたことに安堵するも、変えられた先の話題に対してアルは唇を噛みしめた。


「うん。でも彼女のお母さん、ヴァレンティーナ女王陛下は助けられなかった……」

「それはでもアルのせいじゃない」

「そうかもしれないけど、もう少し早ければ間に合ってたかもしれない……」


 オリヴィアの居場所を見つけて駆けつけたときにはすでにヴァレンティーナ女王は殺された後だった。寸前のところでオリヴィアだけは救出に成功したが、オリヴィアがどこにいるのかを特定するのに時間がかかってしまったことをアルは悔やんでいた。訓練は欠かさず行ってきたが、それでも自分はまだまだ未熟だと痛感した。


「それを言うならあたしだって同じよ。だからアルが責任を感じないで」

「ありがとう、エレノア」


 励ましてもらえるのは素直にありがたいことだが、それに甘んじるわけにはいかない。アルが力不足だったことは少なくとも事実であり、誰をも守れるようになることが母親を救えなかったオリヴィアへの償いだとアルは思う。


「みんなお待たせー!」


 はつらつとしたラナの声が響いてアルは思考を打ち消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る