Twilight Embryo ~反逆王女の成長記~
木成 零
第1話
少女は必死に走った。
足を止めたらそれは死を意味することが分かっていたから、母親に手を引かれながら限界を迎えた足を動かし続けた。
「絶対に逃がすな。何としても殺せ」
後方から聞こえる男たちの足音と感じる殺気。それだけでも恐怖で足がもつれてしまいそうになる。
あとどれくらい走ればいいのか、どこまで逃げればいいのか、まさに終わりのない地獄そのものだ。
「こっちです!」
角を曲がったタイミングで少女と少女の母を先導していた青年が路地裏へと入り、親子二人も後に続く。
「おい、どこにいった! そう遠くへは行っていないはずだ。探せ!」
3人は身にまとっていたローブのフードを目深にかぶり息をひそめる。見つからないかという緊張感から無意識のうちに少女の身体が小刻みに震えていたが、それに気づいた母親が少女の肩に手を乗せるとほっとしたように落ち着いた。
「大丈夫よ」
追っ手に気づかれないように耳元で母親に囁かれ少女は息を飲んだ。
すぐ近くを走り抜ける複数の足音が聞こえなくなると、途端に安堵に包まれて脱力する。
「行ったようですね……」
周囲に誰もいないことを確認してローブのフードを外すと、親子二人から細やかな金色の髪がふわりと流れ落ちる。
「ありがとうございます。おかげで助かりました、カイル」
カイルと呼ばれた少年ははにかみかけたもののすぐに表情を引き締め直した。
「い、いえ、使用人としては当然のことです。女王陛下と王女殿下がご無事なことがなによりです」
「女王陛下はやめてください。せめて名前で呼んでいただけると嬉しいです」
「申し訳ありません、ヴァレンティーナ様」
名前を呼んでもらえたことにヴァレンティーナは柔らかな笑みを浮かべる。
「さぁ、今のうちにここから離れましょう」
再度周囲を確認してから路地裏から出ようとしたとき、突然表通りから悲鳴が響き渡った。
「きゃあああああああああああ!」
「何事ですか!?」
追われている身である以上、姿をさらすわけにはいかず物陰から悲鳴の聞こえた場所を3人は覗き見る。
「ヴァレンティーナ女王陛下! 近くにいるんだろう? いるならすぐに出てこい、出てこなければこの女を殺す!」
さっきまで3人を追いかけていたうちの一人の男が、女性の首筋に短剣をあてがって人質を取っていた。
「なんてことを……」
「ヴァレンティーナ様、見つかると危険です。お逃げください……!」
カイルの提言に反応することなくヴァレンティーナは人質を取る男から視線を外さない。
「ヴァレンティーナ様……っ、何を!?」
「あの方のところに向かいます」
「お母様、ダメっ!」
「あなたは逃げて。呼ばれているのは私だけ。ですから行くのは私だけで十分よ」
「でもそれではお母様が!」
「私はこれでも女王です。どんなときも国民のことを最優先に考える。それが私の、私たちの決めた国の在り方です」
「そんな……!」
「私の代わりに、これをお守りとして持っていきなさい」
差し出されたのは鷲の翼と、2本の交差する剣の印が押されたコインだった。しかし少女はそれを押し返して激しく首を振る。
「嫌です! 私もお母様と行きます!」
「ダメです! こっちは何があるか分かりません。だからあなたは逃げなさい!」
命令するように叱咤すると、少女にそれを押し付けた。
驚愕して目を丸くする手を今度は優しく包みこむ。
「大丈夫よ。だからまた後でね」
「お母様ぁぁぁぁ!」
男の前に姿を晒した母親を止めようとしたが、カイルに手を引かれて阻止される。
「ダメですオリヴィア様! 行きましょう!」
「嫌! だって、だって!」
抵抗するとも、年上の男であるカイルの腕力に叶うわけもなく、力づくで引きづられる。
その間も名残惜しく母の姿をしかと目に焼きつける。
「おっと、ようやく出てきたか。全く、手間かけさせやがって」
「さぁ約束です。その方を解放してください」
「ははは、いいぜ。ほらよ」
男が投げるようにして女性の手を離すと、恐怖で身体をガクガクさせながら女性はこの場から逃げ去った。
「それで、私に何の用ですか?」
「はっ、それぐらい分かってんだろ? さっさと魔剣をよこしやがれ」
「やはりそうですか。なら私の答えも分かりますよね?」
「今アンタがそんなこと言える立場だと思ってるのか?」
「私がどんな立場であれ、答えることはできません」
「悪いけど今の俺は気が立ってるんだ。いい加減にしとかないとどうなっても知らねぇぜ?」
「だとしても──がはっ……!」
少女──オリヴィアは男の目が赤く鋭く光ったのを見た。ただ見えたのはそれだけで、次の瞬間には男は短剣を母親に突き刺していた。
「うそ……」
「言ったよな、どうなっても知らねぇって」
フン、と鼻を鳴らすと男は短剣を引き抜く。そのまま母親は倒れこみ、地面には血だまりが広がる。
「お母様!」
気がついた時には、オリヴィアは自分でも信じられない力でカイルの腕を振りほどいて走り出していた。今飛び出すとどうなるかなど考えることもなく、無我夢中で母親の敵を取るべく男に体当たりをする。
しかし、か弱く華奢な少女の力では男を僅かによろめかせることが限界だった。
「ん? なんだお前」
鋭い視線が今度はオリヴィアをにらみつけると、ビクリと少女の身体が震える。
「俺の邪魔をするな」
「きゃっ!」
首が絞まるかと思うほど強く胸倉を掴みあげられ、簡単に投げ飛ばされる。
「ちょうどいい、ストレス発散に遊ばせろ」
「オリヴィア……にげ、て……」
母親の弱り切った声が聞こえたが身体が言うことを聞いてくれない。
「お前は黙ってろ」
男の標的がまた母親へと向き、とどめを刺すようにまた短剣で刺す。それきり母親は動かなくなってしまった。
「お母様ぁぁぁぁぁぁ!」
逃げなきゃいけないのに足がすくんでしまう。オリヴィアは飛び出したことを今になって後悔した。非力で無力な自分が出て行ってもできることは何もない。なら助けを呼ぶだとか何かしら別の方法があったはずだ。
今さら悔やんでももう遅い。
男はしゃがんでオリヴィアの顔を覗き込み顔に手を伸ばしてくる。
「オリヴィア様!」
「チッ」
カイルの声が聞こえた瞬間、男は舌打ちをして立ち上がった。同時にカイルの身体がオリヴィアの真横に倒れ落ちる。
「カイル!」
呼びかけるが青年は目を大きく向いたまま動かない。それだけで少女は青年が息絶えたことを悟った。
「ったく、次から次へと力もないくせに」
愚痴を漏らすと男はオリヴィアの髪を掴んで顔を上げさせる。
「な、お嬢ちゃん」
母親もカイルも殺され、もう誰も頼れる相手がいない。男と自分の力量差は比べることすら愚かなほどでどうすることもできない。
オリヴィアの顔が絶望に染まり切った刹那、新たな声がこの場に響いた。
「『水流よ、乱れ舞え』!」
「なに……?」
男が慌てて飛び退くと、その後方で水弾が爆発した。
「魔法師か。まぁいい、目的は達した。ここで魔法師とやりあう必要もないだろう」
それだけ言うと、男は一瞬で姿を消した。
自分が助かったことに安堵しつつもオリヴィアが恐る恐る振り返ると、立っていたのは意外にも同じ年頃の少年だった。
その少年はオリヴィアと目が合うと穏やかな笑みを浮かべ、
「君を、助けに来たよ」
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