第9話 ”残留捜査官”の帰還
司馬は
「これは、
タップの
「現場を見た時から、余分な電源タップのことが引っかかっていました。デスク脇に設置された電源タップは差込口が10個もある大型のもので、部員が5名しかいない文芸部では、十分な数です。それなのに部屋の隅にも電源タップがはめてあった。それが不自然で、ずっと考えていると、これは盗聴器ではないかと思いました。盗聴器は装置の電源を得るために、電源タップに偽装して、コンセントに嵌め込まれることが多いからです。しかも盗聴器は文芸部に仕掛けてあっただけではない。鑑識が検査装置で学園内を捜索したところ、同種類のものが37個も発見されました。あなたは学園中に仕掛けた盗聴器で、自分の政敵や学校の弱みを握ることで、権力を維持しようとした。そんな、あなたの張り巡らしていた網に、奥山が偶然引っかかった」
壱岐の視線は、じっと盗聴器に落ちていた。
「
壱岐は眉毛の上を軽く指で掻いた。口元には小馬鹿にしたような笑みが貼り付く。
「あなたは奥山を脅迫し、ひたすら自己の利益のために
SNSの投稿をプリントアウトしたものを、司馬は机の上に次々と並べた。あっという間に小さな机の上は、
「これらの投稿は、秋吉和美さんをレズビアンであると誹謗中傷するものでした。最初に投稿されたのは生徒会選挙期間の始まった2週間前。そして、アカウントは奥山のモノでした。あなたは奥山に、秋吉さんを誹謗中傷することを強要した」
壱岐の口元には粘ついた嘲笑が、へばりつく。
「だって、キモイじゃん。レズビアンなんて。事実だった。それを指摘してやった。それだけのことでしょ」
「本人はそのことを隠していた。それに、自分の性別や性向を明かすかどうかは本人が決めることであって、他人が暴くことではない」
司馬は、机の上に並んだ誹謗中傷を払い落とした。
「秋吉和美さんは、あなたによって仕掛けられた誹謗中傷と、その誹謗中傷が自分の恋人であり、信頼していた奥山のアカウントから発信されていたことを知った。つまり、秋吉さんは信じていた奥山さんに裏切られたと思った。そのため回復不能なダメージを受け、自死を選んだ。そして自殺した秋吉さんを最初に発見した奥山は、その場で、秋吉を死に追いやったあなたに罪をかぶせることを思いついた。あなたは奥山を脅迫する時、いつも生徒会室に呼び出した。そこで『生徒会備品』のラベルが貼られたカッターナイフで奥山を小突き回した。奥山は秋吉さんが自殺に使ったカッターと、あなたがイジメに使用したカッターが同じ種類だと気づいた時、この犯行を思いついたと言ってましたね」
「だから? 秋吉は勝手に死んだだけ。奥山は勝手に証拠隠滅しただけ」
壱岐は、鼻で笑っただけだった。
「“弱い”ことは罪。私の今の母は、継母。実の母は精神を病んで、私が七歳の時に自殺したの。ウチは銀行の頭取で、親戚に有力者が一杯いる。だから、母は姑、取引先、政治家の妻たちに何かと小言を言われ、粘着的にいじめられ、虐げられて、精神がおかしくなったの。もともと名家の生まれでもなく、資産家の生まれでもない母には、何も後ろ盾がなかった。この世界で、か弱いことは、ただ餌食になるだけでしょ」
壱岐は突然、拳を振り上げた。まるで発作のように。
「弱くない。弱くない。私だけは弱くない。……確かに、確かに、確かに、あたしは文芸部、いやこの学校中に盗聴器をセットした。そして得た情報を武器に、敵を倒してきた。何人も何人も。だから? だから? だから? でも、それぐらいしなきゃ、強くなんてなれない。キレイゴトならいくらでも言えるでしょう? 違う? ねえ、そうでしょ」
司馬は突き放すよりも、むしろ抱きしめてあげたくなった。
「実は、私は歴史が好きでいろいろと勉強してきました。警察に入ってからはうわべだけの正義や愚かな行為をたくさん見てきました。そこで自分なりに悪を定義してみたんです。善と悪を区別するために……」
壱岐遥香は、目を血走らせていた。
司馬結衣は自分の一言で事件を終わらせることにした。
「悪とは人をモノにすることです。性欲のはけ口にしたり、盗みの対象としたり、殺して死体というモノにする行為はどんな理由であれ第一級の悪徳なんです。そのことをもう一度学び直しなさい」
壱岐遥香は恐喝、学校敷地への不法侵入で告訴された。奥山芽美は詐欺罪、証拠隠滅などの罪により告訴された。マスコミやSNSがお嬢様学校の不祥事に過熱するなか、司馬には本庁への帰還命令が出された。
警察署の玄関まで、佐藤巡査が見送りに来てくれた。
「司馬さん、大変お世話になりました」
「こちらこそ」
「一つ、お伺いしてもいいですか?」
「なんで、私が奥山に目をつけたかということ?」
「はい」
司馬は少し頭の中を整理した後、口を開いた。
「事件現場の血だまりには、足跡が遺されていた。しかも、その足跡は犯行から時間が経って、凝固しかけた血を踏んで、出来たものだった。つまり血が流れた時と、発見までの間に何者かが現場に入って、血だまりを踏んだことになる。第一発見者の清原すずさんは、中に入らなかったと言っていたし、彼女の上履きの靴底に血はついていなかった。最初、凶器が持ち去られていたことから、共犯者が現場で偽装工作をした結果だと考えました。でも、凶器はすぐに壱岐のロッカーにあることが分かった。その時、私の中で壱岐の犯行は消えたんです。壱岐は小賢しい人間で、そんなヘタは打たない。なら、誰かが壱岐に罪を被せるために工作した、と考えた。カッターをロッカーに仕込んだ人物は、現場で血だまりを踏んだ以上、上履きを履くことはできない。上履き以外のものを履いている人間、あるいは裸足の人間が怪しい。そう思った矢先に、上履きを脱いでいた奥山の目撃証言を見つけたんです。そしてカッターの鑑定報告を見直した時に、カッターがすり替えられたことに気づきました」
「それで、奥山を叩いて、壱岐のことを訊き出した」
「壱岐は権力欲の権化で、権力を失うことを恐れる。奥山の口から自分がやらせてきた不正が明らかになるかもしれないとなったら、証拠をもみ消そうと必死になって、文芸部にセットした盗聴器も回収しようとする。でも、事件発生以来、部室には常に見張りの警官がいる。だから、私は文芸部室で
結果、
自嘲気味にそんなことを想いつつ、司馬はバッグから本を取り出し、そっと本の表紙を撫でた。秋吉和美の遺作となった本の表紙は死人のように冷たかった。
司馬は胸に本を抱くと、一分間の
(完)
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