第7話 奥山、セダンに吸い込まれる
翌朝、
自分を狙ったような車の動きに身が強張る。奥山がおそるおそる車のそばを通り抜けようとした時、助手席のパワーウィンドウが下がった。
「警視庁の
「そうですが……」
麻酔をかけられたみたいに、奥山の舌先には感覚がなかった。
「事件のことでお話したいことがあります。学校まで、車でお送りしますから、どうぞ乗ってください」
刑事を相手に逆らうのも気が引けた。奥山は言われるままに後部座席に座った。無線機や赤色灯がダッシュボードに格納されていたので、この車が覆面パトカーだと分かった。
助手席にいたはずの司馬が後部座席に移ってきた。
「奥山さんは、被害者の秋吉和美さんと仲が良かったそうですね。あなたは外部進学の高校部2年生、秋吉さんは中高一貫部の内部生でしたが」
司馬の澄んだ声が、冷たく頬を撫でた。奥山はともかく、
「ええ。他の刑事さんにも話しましたけど」と答えた。
「あなたから指紋を採取していったそうですね」
「ええ。なんか怖いです。指紋なんて……」
覆面パトカーは静かに走り出した。
「犯罪があった場合、犯人と関係者の指紋を識別しないといけません。なので、関係者の皆様には指紋採取をお願いすることになっています。犯人扱いしているわけではないので、安心してください。ところで、奥山さん。いくつか質問があります。被害者の秋吉和美さんは生徒会選挙に立候補しましたが、あなたは生徒会の方に行ったことはありますか?」
「生徒会長選挙に出ようと思ってるの」と、和美さんが打ち明けた時、奥山は反対していた。そんな無粋なことに関わるのは、自分の身を汚すだけだから。
「作家は、純粋に作品を書いていればいいというわけじゃないの。作家の前に、私は人間だから、人間として身の回りにある問題を片づけたい。今、学校を覆う問題を変えたいの」
そのせいで、和美さんは……
「奥山さん、生徒会に行かれたことは?」
「いえ。ないです」
「ところで、秋吉和美さんから、カッターナイフを貰ったりしてないですか?」
カッターという言葉に、心臓の鼓動が早まる。
「いえ」
「秋吉和美さんのご遺族にお伺いしたところ、秋吉さんの部屋にあったカッターナイフが、事件後になくなっていたそうです。しかも、そのカッターは犯行に使われたものと全く同じ型でした。色ももちろん同じです」
奥山は懸命に顔をそらしていたが、背中には司馬の声と視線が突き刺さっていた。
「凶器のカッターは、学校が生徒会備品として購入したものだ、と警察は考えていました。カッターの柄に『生徒会備品』のラベルが貼られていたこと、カッターの品番、色が一致したからです。しかし、再鑑定させたところ不自然な点がでてきました。一つ目は、カッターの刃先が2枚も折られていたことです。カッターは刃先がすり減ったら、刃先を折り取って、新しい刃に替えることができます。しかし、学校がカッターを購入したのは3ヶ月前で、そんな短期間でカッターがすり減ることはありえません。そして2つ目に、カッターに貼られたラベルに付着していた指紋です。この指紋があなたの右親指の指紋と一致しました。もちろん、ウチの捜査員があなたを訊問した時に採取した指紋と、一致したんです。あなたは生徒会に行ったことがないと、さっき言いました。それなのに、どうして、あなたの指紋が生徒会備品のカッターの、それもラベルの裏に残っているんですか?」
冷たい静寂が、一挙に張り詰めた。
「そして、三つ目はラベルに付着した血液です。血液は秋吉さんのDNAと一致しました。しかし、重要なのはそこではありません。血液がどこに付着していたかということです。血液はラベルの裏、つまり糊のついた面に付着していたのです。もし犯行前から、ラベルがカッターについていたなら、血液がつくのは表面だけで、裏面にはつきません。つまり事件前、カッターナイフにラベルは貼られていなかった。事件後、血まみれのカッターを水で洗った後、生徒会備品に見せかけるために、ラベルを貼り付けたということです。しかし人血は、水で洗ったぐらいでは全部消えない。だから、『生徒会備品』ラベルをカッターに貼った時、消せなかった血液の成分が、ラベルの裏にびっしりと付着した」
奥山の唇は、わなわな震えていた。
「つまり、凶器のカッターは学校の備品ではなく、秋吉和美さんのものだった。本当の第一発見者は、清原すずさんではなく、あなただった。おそらく5時20分頃、あなたは秋吉さんが死んでいるのを見つけた。そして、あなたは現場に落ちていたカッターを拾った後、トイレで洗った。しかし、あなたは事件現場で、血だまりを踏んでしまったため、上履きの靴底に血がついてしまった。だからあなたは上履きを脱ぎ、これも洗った。血を洗い流しても、濡れてしまった上履きは履けません。やむなく、あなたは靴下姿で校内を走り、第一校舎4階の生徒会室に駆け込んだ。生徒会室に入ったあなたは、本物のカッターに貼られていたラベルを剥ぎ、現場から持ち去ったカッターに貼り付けた。この時、ラベルの裏――つまり糊の部分に、洗い落とせていなかった血液とあなたの指紋が付着した。手袋をはめたままテープをはがし、また貼るのは難しいですからね。そしてカッターをすり替えた後、あなたは壱岐のロッカーにカッターを放り込んだ。生徒会室にあった本物のカッターは、あなたが処分したのでしょう。あの時間帯、生徒は帰宅するか、部活に行くか、古文単語の再テストで教室内にいる。生徒会室も選挙運動の関係で、がら空きになっている。だから、誰にも目撃されることはないと、あなたは踏んでいた。でも、あなたにとって誤算だったのは、事件当日は輪転機の故障があって、古文単語テストの開始が遅延していたことです。だから再テスト受験予定だった中川コウさんが、廊下で時間をつぶしていた。そこで、あなたを目撃した」
奥山は、最後の力を振り絞った。
「……無理です。会長のロッカーの暗証番号を知ることはできません」
「ロッカーの暗証番号は、案外アテにならないものです。会長専用ロッカーのカギは4ケタの数字を合わせて開けるダイヤル式。人はロッカーを開けている時、暗証番号をセットしたまま扉を開けます。その時に手元を覗き見すれば、設定された解除番号は特定できます。4ケタの数字ですから、覚えるのは簡単ですし、後でこっそりメモしてもいい」
司馬は腕時計を、ちらりと見た。
「司馬さん、本富士署が見えてきました」
そう言う運転席からの声が、最後通牒のように聞こえた。
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