第5話 生徒会長・壱岐遥香
午後2時半頃、司馬と佐藤は遅い昼食を、東大本郷第2食堂でとった。すぐ近くで眼鏡をかけた院生たちが、昼食を食べながら、理系の専門用語を盛んに飛ばしあっていた。外国のレストランに入り込んでしまったようで、なんだか落ちつかない気持ちだ。
「主任。在学中は、よくここへ来たんですか?」
佐藤は箸を動かしながら、そう聞いた。
他に話題がなくて、心底困った顔だった。
「ここには、来なかった。ここは、私のいた文学部から遠いし、近くにある理学部棟の学生がよく使う場所なの。在学時代は中央食堂でお昼を食べて、近くの総合図書館で勉強してたのよ」
「そうなんですか……」
そこで会話は途切れた。黙々と箸を運んでいると、先生からのメールが着信した。それによれば生徒の名前は
昼食後、同じ建物の一階にある生協書籍部に行った。
「司馬さん、どうして生協の本屋なんかに行くんですか?」
「被害者の本を読んでみたい」
被害者・秋吉和美の処女作にして絶筆になった『ゼリーに封入された青春』という小説は平積みになって、売られていた。そばには「追悼
小説の書き出しはこうだった。
「ゼリーの中に封じ込められるモノ。それはコンポートのモモだったり、ミカンだったり、ナタデココだったりする。そして時に、それは人間だったりする。人は、自分の周りを取り囲みながら、目に見えないモノのことを空気と呼ぶ。でも本当は『ゼリー』と呼ぶのがふさわしい。それは何色にも染まるし、人を柔らかく守ってくれるかと思ったら、はたまた人を急に窒息させることもあるから……」
形容詞が多すぎる文体に青臭さが感じられるが、女子高生が等身大の目線で自分のまわりの世界を切り取った文章は素直で、それだけに引き寄せられる。
司馬は被害者の小説を買った。
聞き込みを佐藤に任せた後、司馬は時間より早めに、白峰教授に指定された小教室に入った。司馬が在籍していた頃と同じ、法文第2号館小教室。司馬から少し遅れて、パーカーを着た一人の女子が教室に入ってきた。
「最近の“
壱岐遥香はパーカーのフードを外し、頭を大きく振って、汗でまとわりついた髪の毛をぱらぱらにほぐした。
司馬は警察手帳を見せた。
「警視庁の司馬です。壱岐遥香さんですね。昨日の事件のことで、お話を聞きたいのですが」
「要領を得ない質問ですね。他の刑事さんは、もっと具体的でしたよ」
「なんて聞かれたんですか?」
「それは、あなたが同僚に聞けばいいだけのこと」
「確かに」
司馬は笑いに紛らわしながら、切り返しを図った。
「秋吉和美さんのことは、ご存じですか?」
「一方的に聞くのはおかしいですよね。他の刑事さんはもっと色々なことを教えてくれました」
「他の刑事なんて、あなたのところには来てない」司馬はきっぱりと言い放った。
「通報時にあなたが帰宅していたことは、もう分かっている。だから初動捜査を担当していた機動捜査隊も本富士署捜査員も、あなたを訊問していない。それに学園内での人間関係調査は、まだ被害者の所属する文芸部周辺で、生徒会には及んでいない。あなたが言ったことは、私から情報を引き出すためのハッタリです」
壱岐は顔を軽く顰めた。自らがエゴイストであることを暴露する顔つきだった。
司馬はその顔に照準を定めた。
「アリバイをお伺いしても? これは形式的な質問で他の人にも尋ねていることです」
「帰宅していたことは、ご存じのようですが」
「ご本人から、あるがままを聞くのが鉄則です」
壱岐は見せびらかすように、ため息をついた。
「5時から5時50分頃まで、生徒会長室で勤務していました。私が現職で立候補した選挙戦の打合せなどのためです。私も途中でトイレとかに行ったり、他の運動員は選挙活動のために出払っていたので、アリバイの証明には限界があります」
司馬はカマをかけてみた。
「現役高校生作家で、メディアでも露出の多かった秋吉和美さんは、生徒会長選挙に立候補されるつもりだったとか?」
「ええ……そうよ。“外様”の高校部陣営が、私に反旗を翻すためにね。中高一貫部陣営を、私と秋吉の2つに割るつもりだったんだわ」
「あなたは、被害者と利害関係にあった」
「それは見込み捜査です」
「でも、動機がある」
「粛清を考えるほど、私は落ちぶれていない」
このあたりでいい。カマをかけて、被害者が生徒会長選挙に立候補していた事実を聞き出せた。これ以上の深追いは禁物。
そう思った矢先、司馬のスマホに着信があった。相手は平間管理官だった。
『司馬、どこにいる?』
「管理官のご指示通り、東大敷地内で目撃情報収集を」
『生徒会長・壱岐遥香を署に引っ張れ。顔写真はメールで送る』
「なぜですか?」
『今日、当直や生徒対応のため、学園に残っていた教師たちの協力を得て、校内を捜索した。プライバシー保護の観点から、生徒個人のロッカーは生徒本人の立会いなしに開けることはできなかった。ただ、学園側と交渉した結果、生徒会や部活関連のロッカーは顧問や教師の立会の下、開けていいことになった。そうしたら、第一校舎四階にある生徒会室の生徒会長専用ロッカーで、血のついたカッターナイフが発見された。ロッカーの四桁の暗証番号を知っているのは、生徒会長である壱岐遥香と学校関係者だけだ。ともかく壱岐に話を聴く必要がある。家に捜査員をやったんだが、家族の話では、壱岐は東大の勉強会に参加しているらしい。お前が見つけ出せ』
「分かりました。また後で連絡いたします」
何も聞かなかったという顔で、司馬はスマホを置いた。
壱岐の顔に不安の色が、わずかに差した。
司馬は壱岐を
また、彼女が犯人だという決定的な証拠があるわけでもない。一通り事情聴取をした後、壱岐は帰宅を許された。
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