第4話 東大
東都大学法文2号館の研究室から、男子学生たちがぞろぞろと出て来た。スーツを着た男子たちは、一様にくたびれた顔で、うーっと呻きながら全身を伸ばしている。卒業論文の構想発表で、先生にコテンパンに絞られたな、ということが“経験者”の司馬には、一目でわかった。就職活動のため、学生たちが散っていくのを見届けた後、
「失礼します。教授。学部時代に御世話になりました……」
「あら。司馬さん」
東大文学部教授・
「先生。お久しぶりです。恐れ入りますが、今、お時間よろしいでしょうか?」
「もちろん。あんまり片付いていないけど、上がってください。講義は3時間目からなの。あと一時間は大丈夫」
「お邪魔します」
白峰教授の個人研究室にはデスク、卒論指導のために使用する長机、生徒用の長椅子が置かれている。部屋全体を取り囲むように置かれたスチール製の本棚には、ざっと見ただけで
「何年ぶりかしら?」
「大学卒業後、まったく会ってませんでしたから。六年ぐらいでしょうか」
「あなたの卒論、まだ残ってるのよ。きっとその段ボールのどこかにある」と、白峰は床に積み上げられた段ボールの一つを、目で示した。
司馬は驚いた。
「とっておいてくれたんですか?」
「もちろん。
「買いかぶりですね。卒論指導では、先生はいつも『問題意識がなってない』っておっしゃってましたから」
「私は誰に対しても言うのよ。研究で大切なことは、この世の中に無数に転がる事実の中から、何が明らかになっていなくて、何を明らかにしなくてはいけないかを見抜くこと。つまり問題意識と、それを明らかにするためのアプローチだから」
「恐れ入ります。ところで、院生の先輩方は、どうされてますか?」
「
「3名も?」
「最近の大学院はどこも留学生の方が多いの。ところで、司馬さん。今日はどうしたの? まさかスーツ姿で、遊びに来たわけじゃないでしょう? 本郷女子高で起きた事件の聞き込みでここに来たのでしょう?」
「教授。相変わらず、察しがいいですね。では単刀直入にお
「そうよ。今年の4月にも行ったわ。あの学校は土曜日に予備校の講師や、大学の先生を招いて特別講義を行ったりする。私もその特別講師として招かれた」
白峰の特別講義では、大学のゼミの雰囲気などを教えつつ、歴史学の意義、原型をとどめていない草書体(くずし字)の読み方、史料の読み方などの初歩的な知識を教えるものだった。
「何か変わったこと、たとえば、校内の異常な雰囲気とかを感じませんでしたか?」
白峰は首をひねった。
「なかったと思う。その日に行くだけだから」
「先生と、顔見知りになった生徒はいませんか?」
「顔見知りになった人はいるけど、事件について知っているかどうかは、わからない」
「誰ですか? 教えてください」
白峰教授は虚空を見つめた。思案をするときの癖だった。
「その人なら、今日の5限に来るわ。今年の4月にやった講義の後、週に一度遊びに来るようになって」
5限は、4時50分から6時35分までだった。
「それって、先生が毎週火曜5限に、院生、学部生合同でやってた勉強会のことですか?」
「そう、司馬さんが在学中に参加していた合同勉強会。今日は丸山眞男『超国家主義の論理と心理』をベースに、戦後歴史学の研究潮流について考察するの。読書会のレジュメを切るのは山室君で、彼女も来るわ」
「どんな生徒ですか?」
「生徒会長さん」
「分かりました。じゃあ、またあとで」
「でも、紹介できるかは分からない。事件があった直後で、相当傷ついていると思う。はじめから来ないかもしれない。いくら私の教え子でも、今のあなたは刑事。女子高生にとって刑事と会うことはやはり怖い。会う、会わないは、本人に許可を取るしかないけれど、それでもいいですか?」
「はい」
「なら、名刺を置いて行ってください。彼女にメールで、あなたが来ることを伝えます。あなたが刑事であること、私の教え子でもあることを率直に書き添えて置きます」
「もちろんです。どうぞ」司馬は、自分の名刺をデスクの上に置いた。
「それから、一ついいですか」
白峰は、司馬の顔をまっすぐ見据えた。
「ここはキャンパスであり、多くの学生たちがいる場所です。学生たちが辛い思いをしないように行動してください」
「公務員には人権を尊重する義務があります。どうかご安心下さい」
司馬は深々と一礼して、研究室を後にした。
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