第3話 ”残留捜査官”と現場検証

 捜査は本庁捜査一課殺人犯捜査第三係の担当、総指揮官は捜査一課管理官(第二強行犯担当)平間ひらま大二だいじとなった。捜査の主力部隊である彼らは、事件解決まで、特別捜査本部のある本富士もとふじ警察署に駐屯する。

 だが、捜査本部は序盤から波乱の幕開けとなった。

「現場資料班の司馬しば警部補です」

 平間は、司馬を睨んだ。

「現場資料班? なんで、捜査本部ここにいるんだ?」

「異例ではありますが、中神なかがみ管理官の命令により、”残留捜査官”として、捜査本部ここに合流させていただきます。時間がありませんので、早速で恐縮ですが、これは現場資料班・機動捜査隊で行った初動捜査の結果報告書です」

 司馬は平間の苛立ちをあえて無視して、報告書を提出した。

「被害者は秋吉和美。17歳。武甲ぶこう学園本郷女子高校中高一貫部・高校2年生。今年の3月に処女小説『ゼリーに封入された青春』で、文芸新人賞を最年少で受賞。『天才女子高生作家』として話題になった人物です。ジャンルは女子高生の等身大の日常を描いた青春小説で、第2作の公刊を予定していたそうです。また、被害者に関連したトラブルなどはまだ判明していません」

 平間が苛立った。

「報告は分かった。だが、それより説明があるだろう? お前は現場資料班の人間だろう。現場資料班は初動捜査だけで、初動が終わった後は、本庁殺人犯捜査係オレたちに後を任せて引き上げるモンだろう? なんでしゃしゃり出て来るんだ?」

「おっしゃる通りですが、私は中神なかがみ管理官の命令で、”残留捜査官”として、捜査本部に残留いたします」

「さっきから”残留捜査官”という謎のワードを連発しているが、オレの警察人生30年の中でそんな仕事は聞いたこともない。中神はオレの捜査を妨害しようとしているんじゃないのか?」

「いえ。中神さんにそういうつもりはありません」

「そうか。ふん。そういうことにしておくか」

 平間と中神は険悪な関係にある。一年前、“筆頭管理官”のポストを平間と中神が激しく争ったからだ。事前の下馬評では、一課最古参の平間の就任が有力視されていた。一方、捜査二課出身の中神は「新参者」、「詐欺・汚職捜査は強いが、殺人捜査は素人」と評され出世の見込みは薄いと思われた。しかし、実際に”筆頭管理官”に抜擢されたのは中神だった。こうした事情から、平間にとって中神や、中神の部下である司馬の存在は実に面白くないことだった。

 勘弁してほしい、と司馬は思った。戦場に置き去りにされた挙句、上司の出世競争に巻き込まれるなんてツキがなさすぎる。

 平間は司馬を立たせたまま捜査員名簿を眺め、そして舌打ちした。

本富士もとふじは小さな警察署PSで、捜査本部の人手が足らん。……司馬警部補。お前を特別に、特別に加えてやる」

 特別、という言葉を平間は強調した。そして、巨体をふるわせて司馬を威嚇いかくした。

「せいぜい中神のメンツを潰さないようにしろ。……オイ、本富士の佐藤巡査はいるか?」

腹に響くような平間の声に、若い男が飛んで来た。

「ハイ! 本富士の佐藤巡査です。お呼びでしょうか?」

「呼んだに決まってるだろ。お前は司馬の相棒だ。いいか?」

「かしこまりました!」

佐藤の体格は180センチを超えた立派なものだったが、目つきには大学生のようなあどけなさが残り、動作は緊張のため固かった。


面接試験に出された就活生のように、佐藤はしゃちほこばっていた。平間の前から下がった後、司馬は尋ねた。

「あなた、どこの交番にいた?」

「どうして、交番勤務だと分かるんですか?」

「見ればわかる。卒業配置で本富士署に来たばかりでしょう?」

「そうです。やっぱり、捜査一課の方は凄い観察力ですね」

 この場合、大した推理力は必要ではない。あの険悪な状況で、優秀な所轄署刑事を相棒にくれるわけがない。

「時間がないの。質問に答えて」

「はい、すいません。配属先は弥生やよい町交番です。あの、なんか、ホントにすいません。僕のような右も左もわからない人間が相棒で……。現場を管轄する交番だったので、真っ先に臨場したのが僕と先輩だったんです。それで所属長は僕も捜査本部に参加しろと指示してきて……」

「なるほど……」司馬は、そう答えるしかなかった。


 夜。最初の捜査会議が開かれた後、司馬は中神に連絡を入れた。

「とても手に負えません。平間さんはカンカンです。新米巡査のお守を、私に押し付けたほどです。それに平間さんは“筆頭管理官”が、私を“お目付け役”として送り込んだのではないか、と疑ってます」

率直にそれだけを言って、回答を待った。

『残れ』

「ですが……」

 中神は、こともなげに言う。

『これは捜査二課にいる元部下の話だが、あの学園は鉄壁の防御を誇るそうだ。半年前、二課が振り込め詐欺を捜査した時、学園の生徒が振り込め詐欺の“受け子”になった。二課は証拠を押さえて、検挙しようとしたが、学園と繋がりのある有力者の圧力もあって、失敗した』

 振り込め詐欺の“受け子”とは、被害者から直接金品を受け取り、犯行グループへ輸送する運び屋のことを指す。最近、高校生が軽いアルバイト感覚でやって、詐欺事件に連座するケースも増えている。

 司馬はため息をついた。

「学園OBに首相夫人がいて、今も後援会に名を連ねているそうですね。学校の公式ホームページを調べたら、理事長と首相夫人が握手している画像がでかでかと載ってましたよ。そういう厄介な戦場に、私を送り込むんですか?」

『そうだ。要するに、平間サンは戦車なんだよ。正面突破は得意だけど、泥沼に足を取られたら進退できない。政治や女子高のようなドロドロとした世界には向いてないんだ。まあ、あのカチコチ頭では無理もないが。ハハハハ』

 中神は高笑いをした。

「初動捜査の引継ぎは終わりました。私には本庁での仕事がまだ残ってます。今から、そちらに合流します」

『残れ。その仕事はこっちでやる。そこはお前が必要な戦場だ』

 そこで電話は切れた。司馬は口の中に溜まっていた唾と不満を一緒に飲みこんだ。


 事件発生により、翌日、学校は臨時休校となった。正門の前では、衛兵のように警官が立ち、マスコミの砲列と対峙している。

 司馬と佐藤は、文芸部室へ向かった。

「お疲れ様です、捜査一課の司馬です」

「お疲れ様です」

部室の前で、見張りに立っていた巡査長がさっと敬礼した。その巡査長は、司馬にくっついている佐藤の姿を見て、ニヤリとした。

「おい、佐藤。捜査本部入りしやがって。スーツが全然似合ってないぞ」

「先輩、やめてくださいよ」佐藤はぎこちない顔で、巡査長にお辞儀した。

 部室の空気は血の臭いでどろりと淀み、腐っていた。被害者の頸動脈から噴き出た血潮が本棚や壁に無数に飛び散り、窓ガラスにも霧吹きでかけたような細かな血の跡がある。デスクの上を見ると、血痕が四角く途切れている。鑑識報告によれば、「ノートパソコンがデスク上にあったため、そこだけ血しぶきがかからなかった」とある。パソコンの電源は、床に置かれた10個口の大型電源タップを介して、窓際のコンセントに接続されていた。本棚の影に隠れていたが、コンセントは部屋の隅にもあり、そちらには2個口の小さな電源タップが嵌め込んであった。

 青ざめた顔で、佐藤は口元にハンカチを押し付けていた。

「狭い部室ですね。僕の母校とは大違いです」

「文芸部には、被害者を含めても5名しかいない。佐藤君、あなたの部活は何?」

「高校は剣道部でした。人数が多くて、大変でした」

「何が大変だったの?」

「メシも、席も、コンセントも足りなかったです。ケータイやゲーム機の充電を学校のコンセントでこっそりやるんですが、ウチの剣道部には、そこにある10個口電源タップが3個ないと、間に合わなかったですね」

「それより、顔色、大丈夫?」

ハンカチを口に当てたまま、佐藤は強がった。

「大丈夫です……。ところで、主任。事件に関係あるかわかりませんけど、この学校の生徒会長選挙は、異常だと聞いたことがあります」

「さっき、あなたをからかっていた巡査長からでしょ?」 

「鋭いっすね。……そうです。そこに立ってる富部とべ巡査長から聞いた話です.

この学園では生徒会長の下に厳格なヒエラルキーが構築されていて、生徒会長を総理大臣とするなら、生徒会全体が内閣のように強大な権力を持つそうです。だから、生徒会長選挙が、いつも学校内でトラブルの元になるそうです。そもそも、この学校では、内部生、つまり中高一貫組のエリートたちと、外部から高等部に転入してきた外部生との仲が悪いんです。それで、生徒会長選挙では、中高一貫部から一名、高校部から一名生徒が立候補するんです。でも、中学時代から学園の仕組みに慣れてる内部生の方が、選挙戦では強いんです。しかも高校部から立候補者が出ても、すぐに圧力がかかって“辞退”してしまうんだそうです。高校部はただひたすら、なんというのか……」

司馬は考えながら、佐藤の言葉を補った。

外様とざま扱い。学校も現代社会の縮図よね。有力者だけがいい目を見る。忖度に慣れて傲慢ごうまんに振舞う。それ以外の者はひたすら自己肯定感を削られる毎日……。被害者は現役高校生作家だった。生徒会長選挙に立候補していたのかな?」

「わかりません」

「あなたに聞いてない。ただの独り言」

「すいません」

「謝らないで。気が散る」

 外に出ると、海中から浮上した時のように、酸素がおいしかった。

「これから、東大へ行く」

「やみくもに当たってみるんですか?」

「大丈夫よ。心当たりがあるから」

 司馬はそう言って、歩き始めた。

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