9.会いたい
「ここ、ここ! 行ってみたかったの!」
「めちゃくちゃ並んでるじゃないか! ぱんけーきというのはそんなに美味い食い物なのか?」
「流石、アンゼリカは流行に敏感だね。こんなの全然知らなかったよ」
サザの剣士との手合わせが終わった後、軍服から普段着に着替えた三人は昼食のため王都トイヴォの繁華街へ出かけた。アンゼリカが最近人気だという雲のようにふんわりとしたパンケーキの店に行きたいと言うので来てみたが、店の入口から遥か彼方まで行列が伸びている。
カズラの行列への拒絶反応にアンゼリカの強い推しがぶつかって大いに揉め出したので、いつものようにサザが宥めに入ると今日はカズラが折れ、三人は長い行列に並んだ。
しかし、並んでいる間に三人は絶え間なくおしゃべりをしていた為に行列の長さは全く気にならず、むしろ足りないくらいだった。しかも、並んだ甲斐あってパンケーキはとても美味しく、三人は一口ごとに美味しいと言って笑いながら食べた。
店を出るときに店員が王子妃であるサザに気が付き、並ばせてしまったことを店員総出で跪いて謝罪してきたので、サザは慌てて問題ないことを丁寧に説明する事態になってしまった。店の外で待っていたカズラとアンゼリカが「王子妃様〜」と言って囃し立ててきたのでサザが怒ると二人は大笑いしてサザの頭をぽんぽん撫で、肩を叩いた。
午後はカズラとアンゼリカは軍の仕事が無かったため、昼食後にそれぞれ自分の店に戻っていった。
二人と別れた後、サザは街に出たついでにと、繁華街の外れの裏通りにやってきた。以前サザがイーサにいた時にやっていたことと同じ様に、貧しい人が多く住む地域で当事者の話を聞くためだ。
見知らぬ若い女が一人で歩いている様子に最初は辺りの人々は不信感を持った目線を隠さずに向けていたが、笑顔で話しかけてきたサザが王子妃だと気がつくとそれは途端に霧消した。サザは順番に家々を周り、自分と同じくらいの歳の女の人を中心に暮らしぶりを訪ねて回った。感激して泣いてしまう人すらいた。
戦争で負傷した人が仕事を見つけられず困っているという話を聞けたので、後でユタカとアスカに伝えておこうと心に決めた。
そうこうしているうちに日が傾き始めたので、夕食を勧めてくれる街の人々の誘いを丁重に断って王宮の自室に戻った。サザは部屋に入るなり、ベッドにぼすんと倒れ込んだ。サザは暫しそのままぐったりと寝転んだ後、ぐるりと寝返りを打って天井をぼんやりと見つめ、考えを巡らせた。
ユタカは明日から数日間、別大陸の隣国と貿易に関する協定のために国王と出かける事になっている。今日は事前の打ち合わせで夜遅くまで帰ってこないはずだ。
サザは明日は城内で仕事だが、明後日からはカズラとアンゼリカと一緒に、野営込みでイスパハルとカーモスの国境を偵察することになっている。
捕虜の事件の後、ウスヴァの企みを心配したアスカの依頼だ。すぐにイスパハル側に戻れる範囲での偵察だが、こんな短期間で二度もカーモスに行くと思わなかった。
(しかし、カズラとアンゼリカがいなかったら、私はもうとっくにどこかで心が潰れて死んでただろうな)
サザは楽しかった今日のことを思い出した。
カズラとアンゼリカはいつも通りの明るくて楽しくて、大好きな二人だ。二人はいつも「サザが私達を助けてくれたんだよ」と言ってくれるが、それはこっちの方だといつも思う。
もしカズラとアンゼリカとレティシアに会えなかったら、サザは組織での酷い扱いに耐えられず、どこかで生きるのを諦めていただろう。本当に大切で大好きな友達であり、暗殺者仲間だ。
そして、サザの周りには他にも、大好きな家族のユタカとリヒト。優しく見守ってくれる義父のアスカ。それに、サザを慕って、必要としてくれている沢山のイスパハルの人達がいてくれる。本当に恵まれた、素晴らしい生活だ。自分の様な人間がこんな幸せな居場所に来られるなんて、誰が考えただろう。
(幸せな生活の全部を失うことになるかもしれないのに。それでもお母さんに会いたいと思ってるなんて、私は本当に本当に馬鹿げてるな)
サザは勝手に涙が滲んできた目を両手で覆った。馬鹿げている。正しい答えは誰がどう考えても明らかだ。でもそれを正しいと思おうとすればするほど、サザの胸は締め付けられた。
私の母。私が、生まれてからずっと一番会いたかった人。イスパハルとカーモスの二十年もの長きに渡る戦争の火種を生み出した人。ユタカの母を殺した人。アスカの妻を殺した人。
(やっぱり、陛下には絶対言えない。そんな人が私の母親で、会いたいなんて)
親の愛情と無縁で育ったサザを思い遣り、本当の父以上の優しさを注いでくれるアスカを裏切ることは、絶対にしたくなかった。実質的な愛情は本当の父母よりもアスカの方がずっと沢山与えてくれているのだ。そんな人よりも会ったことの無い母、しかもアスカの妻の女王を殺した人を優先するのはどう考えてもおかしい。
(でも……でも。どうしてこんなに、悲しくなるの。それは、会いたいからだ)
母親に会いたい気持ちが暴力的なまでの勢いを持って心の中で膨らんでいくのを、サザはどうしても止められなかった。
—
自分の執務室で仕事をしていたユタカは夕方になり、隣国への訪問の打ち合わせのためにアスカの執務室を訪れた。執務室は奥の豪勢な織物のカーテンのかかった大きな窓の前にアスカの執務用の机があり、その前に会議用の大きなテーブルのある一室だ。アスカは軍服で机についてリーディンググラスをかけ、書類に目を通していた。
「ユタカ」
ユタカが部屋に入ってきたのに気がつくと、アスカは目線を上げて声をかけた。
「何でしょうか」
「最近サザは元気が無いな」
「……そうですか?」
ユタカは内心ひやりとしたが、冷静を装って答えた。サザはカーモスに行った後も普段通りに振る舞っているが、勘の良いこの人なら何か気がつく可能性もある。もちろんユタカはサザが元気がない理由は百も承知だ。サザは母親に会いたいのだ。
「気がつかないのか? お前も忙しいのかもしれないが、もう少し気にしてやったらどうだ」
「すみません」
「やはり、リヒトが居なくなって寂しいんじゃないか? お前、今回の訪問は行かなくていいよ。最近サザの話を聞いてやる暇も無いくらい忙しかったんだろ?」
「いいのですか? 重要な協定ですが」
「おれが行けば文句は言われないだろ。内容はこの後おれと法務大臣で最終確認すれば大丈夫だ。相手の国はイスパハルに非常に好意的だし、両方に利益のある協定だから問題は起きないはずだ」
「しかし、予定を空けていたので行くことに特に問題ありませんし」
「問題あるだろ。サザが。こないだは折角の休みに働いてもらってしまったしな。サザも明後日はカーモスの国境周辺の偵察の依頼を頼んでいるが、明日は外せない仕事は無かった筈だから休みにしていいよ。一緒にどこかに行って話を聞いてやったらどうだ」
(カーモス国境の偵察か。今のサザには酷かもしれないな……)
サザの気持ちを考えればこの状況でカーモスに遣るのは止めたかったが、アスカは何も知らないのだ。それに、今は先日の捕虜の件があるので警備の目を強化するべき時期ではあるし、何よりカーモスの地理に詳しい三人はこの任務の遂行に最も適しているのだ。
それにしても、アスカは本当によくサザを気遣ってくれている。苦労に苦労を重ねて生きてきたサザの境遇をよく理解しているし、サザもアスカをとても慕っている。ユタカは、アスカの深い優しさを失うことを恐れるサザの気持ちが改めて分かった気がした。
「分かりました……ご配慮ありがとうございます」
ユタカは礼をするとアスカは微笑んで、手をひらひらさせてもう行っていいと手振りをした。
仕事の無くなったユタカは国王の執務室を後にして、サザとユタカの部屋へと向かった。
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