10.二人きりの休暇

 サザが涙ぐんでベッドに寝転がっているとユタカが急に部屋に戻ってきたのでサザは慌てて目を擦り、体を起こした。ユタカはベッドの上のサザの横に腰掛けると心配そうな顔で手をこちらに伸ばし、サザの髪を優しく撫でた。涙ぐんでいたのがばれてしまったのかもしれない。サザは気まずくて目線を落とした。


「どうしたの? 忘れ物?」


「いや、陛下が暇をくれたんだ。おれは他国との協定に行かなくて良くなった」


「こんなに急に? どうして?」


「陛下がサザが元気がないのを気にしていて、おれとサザを明日休みにしてくれたんだ。一緒に出かけてサザの話を聞いてやれって」


 サザは驚いた。アスカの前では特に普段通りを心掛けて過ごしていたつもりだったのだ。


「そうなんだ……陛下はいつも優しいね」


「陛下はリヒトが留学に行ってしまったせいじゃないかと思っているみたいだったよ。勿論、それもあるだろうけど。で、折角だから、明日は一緒に出かけないか? こないだは急に休みが無くなっちゃったしな」


 あの後からユタカは忙しい日が続き、休める状況に無くなってしまっていた。塞ぎがちだったサザは思わぬ休みに、純粋に嬉しい気持ちになった。


「うん、行きたい」


 サザが顔を上げて笑顔を見せると、ユタカも嬉しそうに微笑んでくれた。


 ―


 次の日、ユタカとサザは一緒に城の外へと出かけた。ユタカは水色のシャツと深緑色のズボン、サザは藍色の綿のシンプルなワンピースだ。メイドに「ユタカと出かける」と言ったら気を利かせてサザの短い髪を上手に結って、すずらんの花を刺してくれた。

 すずらんは二人が住んでいた領地イーサで最もよく見られる花で、イーサの領主印にも使われている。二人にとって思い出深い花だ。

 サザは公務でドレスを着なければいけない時は、必ずすずらんの図案があしらわれたものを選んでいる。イーサの出身の人に会うと、その事をとても喜んでくれた。髪に刺した花をユタカが似合ってるよと言ってくれたのが嬉しかった。先日出かけようとした時の雨とは打って変わり、今日は気持ちいい秋晴れだ。


 元々一般人として育ってきた二人は普段着で武器を持たずに出歩くと完全に町の人達に溶け込んでしまう。こちらから名乗らなければ王子と王子妃とは殆ど気付かれない。

 サザはユタカが繋いだ手を握り返して、城下の繁華街を歩いた。天気のせいか、平日だが結構な人出だ。ユタカと二人きりでどこかに出かけるのはリヒトが家族になってからは殆ど無かった気がする。勿論リヒトが邪魔な訳では無いが、あまりに久しぶりでとても新鮮に感じられた。


 二人は教会前の広場に来ているという芝居小屋に行って一通り演目を見ながら出店で買ったサンドイッチを食べた。その後、商店街をぶらぶらと流しながら歩き、ユタカとサザの冬の乗馬用の手袋と、リヒトに送ってやるマフラーを買った。


 日が暮れるとアンゼリカに美味しいと聞いた魚介の料理を出す小さなレストランで食事をして、少しだけ葡萄酒飲んだ。

 流石にこの手の情報に詳しいアンゼリカに聞いただけある。小さな路地を曲がったところにある店はこじんまりとしていて言われなければ気が付かないくらい目立たないが、赤いチェックのテーブルクロスと小さなオイルランプが照らすの食事の席は可愛らしく、温かな雰囲気が愛らしかった。料理人の店主とその息子らしい顔のよく似た給仕係の青年の二人だけの小さな店で、サザとユタカは向かい合って沢山話をした。


「リヒトは元気かなあ。親元に帰れる休みは入学から一年後って、ちょっと寂しいな」


「リヒトの能力ならきっと、ついていけるとは思うけど。リヒトはああ見えて寂しがりなところがあるからな」


「マフラーと一緒に、私とユタカ以外にも、孤児院の皆や城の人達とか、色んな人からの手紙を書いてもらって入れとこうよ。元気が出るように」


「うん、そうだな。そういうのって地味に嬉しいよな」


「じゃあ、雪が降り出す前に一度、イーサに行こうね。あと、さっき見たお芝居なんだけど、芸術的というか、見る側の知識が問われるというか。私はあんまり知識がなかったみたい」


 サザはさっきから気になっていたことを素直に言った。サザは自分が芝居に行きたいと言った手前、ユタカの感想が気になっていた。


「ああ、おれも正直よく意味が分からなかったよな」


 ユタカが困った様な笑みを見せたのでサザは胸を撫で下ろした。


「良かった、私だけかと思った。でもあの主演の人の身体能力は暗殺者向きだったな」


「おれもそれは思った。跳躍力があるし小柄だからな」


 二人は、偏りすぎた意見なのに同じだった事に思わず笑い合った。ゆっくりと食事を終えると、外はすっかり暗くなり、繁華街の通りは人がまばらになっていた。レストランの店主が二人が帰る間際になってやっとその正体に気がついたらしく、息子共々跪こうとしたので慌てて止めた。


「この度はとんだご無礼を……申し訳ございません。あの、倅がサザという名前なんです。なので王子妃様には特別に親近感があって。男なので恐縮ですが」


 店主が息子の背に手を当てながら、とても申し分なさそうにサザに言った。


「そうなんですね。嬉しいです。本当は男の子に多い名前ですよね」


 サザが微笑むと店主と息子はもう一度深々と頭を下げた。サザというのは古い言葉でさざなみのことを意味しているらしい。海に囲まれたカーモスらしい名前と言えなくもないが、イスパハルでも男女問わずよく付けられる。

 中性的で短く覚えやすいサザという名前のことをサザ自身は案外気に入っていた。名付けたのは誰かなんて考えたことも無かったが、もしかして、母親なのだろうか。

 思いがけず母親のことに向かいかけた思考をサザは軽く頭を振って無理やり断ち切った。

 昼間とは打って変わって冷たくなった夜の空気の中で二人はもう一度手を繋ぐと、城へと歩き出した。


 繋いだユタカの手の温かさを感じて夜風の中を歩きながら、サザは思った。

 ユタカとサザは、幸せな一対の夫婦だ。気の合う話をして笑ったり、手を繋いで歩いたり、身体を寄せ合って眠ったりする。リヒトやアスカという大切な家族もいる。

 二人が夫婦であることに加えて、剣士と暗殺者、王子と王子妃であってもそれは変わらない。サザはユタカとずっとずっと、こうやって生きていきたいと思っている。ユタカもきっと、そう思ってくれている。

 でも、ユタカの母親をサザの母親が殺し、その母親に、サザは、会いたいと思っている。

 そして、それは永遠に叶わない。


(この気持ちに何かしらの蹴りを付けないと、私は、ユタカと幸せな夫婦のままではいられない気がする。でも、どうやったらそんなことができるんだろう? やっぱり私は秘密を抱えたままで生きていくしかないのかな……)

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