7.二人の秘密
止まない雨の中、ユタカとサザは捕虜達と共に馬車でイスパハルへの帰路についた。
カーモスの城の前で捕虜達は無事に釈放された。サザは着てきたドレスを返してもらったものの、着替える暇が無かったのでカーモスの軍服姿のままだ。国境で待機させていた馬車を城の前まで入れる許可が降りたので二人は捕虜達を馬車に乗り込ませた。
兵士達は怪我や衰弱している者がいなかったことに、サザとユタカは胸を撫で下ろした。酷い扱いはされなかった様だ。兵士たちは直々に来てくれた助けにユタカとサザを見ると跪いて泣いた。
ウスヴァに告げられた事実のせいで呆然としていたサザだったが、兵士達の前でそんな姿ではみっともないと気を奮い立たせた。何とか笑顔を見せてユタカと共に一人一人を労った。
二人の本来の「捕虜の解放」という任務は無事に達成することが出来た。
サザは馬車に揺られながら、車窓から雨空を見つめた。連なる雨雲はどこまでも灰色だ。サザはウスヴァに告げられた事実をもう一度反芻する。サザの胸に石のような重さが迫ってきた。
ユタカはサザを気遣うように寄り添って隣に座ると、座席に力なく置かれていたサザの手に自分の手を重ねて握った。
「怪我は平気か? かなり酷かっただろ」
「うん。あのサヤカっていう魔術医師の人、ちゃんと治してはくれたみたい。どこも痛くないよ」
「なら良かった。でも、サザは自分からおれの蹴りに当たりに行ったんだよな? おれは外したつもりだったんだけど。おれはサザを倒すことは多分、出来てしまったけど。こんなやり方は絶対に考えつけなかったよ。あの時おれはサザを殺してしまうんじゃ無いかって、そればかり考えていた。サザは本当に強くて、技術のある暗殺者だな」
「ありがとう。でも、ユタカも圧倒的に強かった。私、普通に戦ったら絶対に負けるって確信したもん。ユタカを面と向かって倒せる暗殺者はこの世にいないよ。本当にすごい」
「ありがとう。お互いにそう思えるって、すごいことだよな。でも、こんな事をするのは、生涯でこれ一度きりだ。サザと戦うなんて二度とやりたくない」
「そうだね、私も」
(でも、ユタカに強いって言われるのは嬉しいな)
ユタカのいつも通りの真っ直ぐな言葉はじんわりとサザの心に染み込む。しかし、それより圧倒的に大きなウスヴァの言葉が立ち塞がり、サザの気持ちが明るくなることは無かった。
(私は……カーモスの王女だったんだ。あれほど全てを憎んでいる国の)
自分の中に流れている血に対してこれだけの悍ましさを感じたのは初めてだった。サザは心配そうなユタカの視線に応えるように顔を上げ、ユタカを見た。
「ねえ、ユタカ。ウスヴァの話を聞いて、私のことを嫌いになった?」
「……そんな訳ないだろ」
ユタカは息を飲み、サザの目を見て強い口調で言った。頼もしいが、それでもサザはその気持ちを疑わずにいられなかった。
「本当に? 私のお母さんは、ユタカのお母さんを殺したのに?」
「それを言うなら、サザの父親を殺したのはおれなんだよ」
「……」
二人はお互いに言葉を失った。サザとユタカは、血で血を洗う殺し合いの系譜の真っ只中にいたのだ。もしも互いの出生の秘密を知っていたなら、二人が夫婦になる事は決して無かっただろう。サザとユタカも戦争で互いを殺し合っていたはずだ。
「サザの両親が誰であっても関係ない。サザはサザだ。おれの尊敬する大好きな人だよ。それは何があっても、絶対に変わらない」
「……ありがとう。私もだよ」
サザはユタカの言葉に思わず涙ぐみ、その胸に抱きついて顔を沈めた。ユタカがサザの身体をそっと抱きしめ返し、頭を撫でてくれた。一緒にいてくれたのがこの人で本当に良かったと、サザは心から思った。
しかし、それでも鉛のようなサザの心の重さは変わることは無かった。ユタカ以外の、もう一人。サザの出生の秘密を最も伝えるべき相手のことだ。サザはユタカから身体を離すと、俯いて自分の膝を見つめながら小さく口を開いだ。
「でも、国王陛下が真実を知ったらどう思うかな」
「……」
ユタカは押し黙り、サザと同じように目線を落とした。二人の間に暫しの沈黙が流れる。濡れた土を馬が踏み歩く規則的な足音と、降り続ける雨が馬車の窓に当たる音の中に、ユタカが小さく息を吐く音が混ざる。サザはユタカが考えていることがよく分かった。きっとサザと同じだからだ。
アスカ国王が、サザが愛する妻を殺した者の娘だと知ったら。それでも、サザがユタカの妻でいることを許してくれるだろうか?
もしかしたら、賢王と名高い国王ならそれすら許してくれるかもしれない。でも、もしそうでなかったら。サザは、もうユタカと一緒にいられなくなる。ユタカとサザは、真実を知ったアスカの下す判断に確信を持てなかった。
共同君主制を採用しているイスパハルの君主はユタカとアスカの二人だ。その為、実際のところはアスカがサザを追放しようとしてもユタカがそれを拒めば、イスパハルの法律上は追放を実行することは不可能になる。追放にはアスカとユタカの二人の同意が必要になる。
しかし、アスカがサザを追放する意向を見せるなら、サザの王子妃としての立場は非常に危うくなるし、支持の厚いアスカに賛同する国民も多いだろう。
「私はこのことは陛下には秘密にしておいた方がいいと思ってる」
「……おれもそう思う」
「私はもう、今日聞いたことは全部忘れることにする。私は孤児で、母親も父親も分からない。何処にも、何も手がかりはない。私はイスパハルの国民だよ。カーモスの人間には絶対にならない。ユタカもそれに合わせてくれる?」
「……分かった。もちろんだ」
(私はまた、一生隠さないといけない秘密を作ってしまった。暗殺者であることを隠さなくなって、本当に幸せだったのに。また、あんな気持ちで生きていかないといけないのかな?)
サザは自分の行く末に深い絶望の色を感じながら、ユタカの手を握り直した。ユタカに冷えた身体を強く抱きしめられると、堪えきれなくなった涙が次から次にぼろぼろと溢れてきた。サザの押し殺した嗚咽の声と共に、溢れた涙がユタカの群青の軍服に沈んだ色の染みを広げていった。
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