6.事実
姿勢良く座った玉座の上から微かに微笑んでサザを見つめながら、ウスヴァは続ける。
「サザ王子妃は僕の腹違いの姉なんです」
「…………」
サザが思わず言葉を失う。ユタカがウスヴァに向かって叫んだ。サザの肩に置かれたユタカの手に、ぐっと力が込められた。
「何を根拠にそんなことを!」
ユタカがウスヴァに向かって叫ぶ。激しく狼狽する二人とは対象的にウスヴァは動じずに、冷静な口調のままで話を続ける。
「王子。これは真実です。サザ王子妃の父はカーモスの前国王ムスタ。つまりあなたは、カーモスの王女なんです。あなたは王位継承権を持ってしまってる婚外子で、ムスタに存在を隠されていたから戸籍が作られなかった。虱潰しに調査していましたが、見つかったのは本当に偶然です。ある集落に訳ありの出産ばかりを手伝っていた心の広い産婆がいて、彼女の個人的な手帳から見つかったのです。カーモスの優秀な調査部隊のお陰です」
「……」
サザ何も言葉が出てこなかった。
(私が、カーモスの国王の娘……?)
思考が水の様に形を無くして流れ落ちていく。考えがまとまらなくなったサザは、思わず俯いた。冷や汗がこめかみから顎へと伝っていく。ユタカが肩に置いてくれている手の温かさだけが拠り所だった。しかし、そんな細かな記録まで漁って調べるとは、恐ろしいほどの執念だ。
「そして、王子妃の母親の話をしましょう。あなたの父が誰か分かった後は、探すのは簡単でした。これも運命なのか、あなたの母親は暗殺者です。それも、カーモス随一の腕を持つと言われる、ナイフ使いの」
母親の仕事。そんなもの想像をしたことなど無かった。サザは暗殺者になったのは偶然であったと思っていたが、これは必然だったのだろうか。
「色欲に目が眩んでいた僕の父、前国王のムスタは、家臣や使っている家来の妻や召使を片っ端から手籠にしていました。本当に酷い男だ。その中で、暗殺組織に良い仕事を回してもらうための賄賂の様な形で身体を貢がされたあなたの母は、国王の子を身篭ってしまったんです。でも、同じ様な女性が身篭って生まれた子供達は皆殺されていたのですが、あなたは生き残った。彼女を国王の元へ行かせた暗殺組織の人間が、図らずも王位継承権を持ってしまったその赤ん坊……あなたに、何かしらの利用価値があると思ったのでしょう。まさか、脱走されるとは思っていなかったでしょうけど。組織はあなたの母親が妊娠したことを国王に上手く隠して、組織の中で出産させたんです。これ以上のことは今は教えられません。ただ、あなた自身が真実に気が付かない様に、組織の人間はあなたを他の子供達と同じ様にぞんざいに扱っていたようですね」
「その人は、生きてるんですか?」
「ええ」
ウスヴァはサザの問いに、はっきりと頷く。
「そしてあなたが最も知らなくてはいけないのは、その母親が成し遂げた功績のことです」
「功績……?」
「あなたの母親は二十六年前、イスパハルの女王を暗殺しました」
「え……」
「……」
サザは驚きのあまり力が抜けて、思わず床にへたりこんでしまった。
ユタカはサザの身体を後ろから支えるようにして、一緒にしゃがみ込んだ。耳元でユタカが息を飲んだ後が聞こえた。
(そんな……)
私は、最も愛する人の母親を殺した人の娘だった。アスカを苦しませ、二十年に渡る戦争を引き起こし、ユタカの人生の歯車を狂わせた、すべての元凶を実行した人が、私の母親。ユタカは床に座り込んで俯いて震えるサザの肩を支えながら叫んだ。
「お前、よくそんなことを……!」
ウスヴァは首をかしげ顎に手をやるとユタカを真っ直ぐに見た。
「僕が責められるのはとんだお門違いです。王子。これはただの事実です。王子妃の母はムスタからの依頼を受けた組織の命で、イスパハルの国王、王子、女王の三人を暗殺しようとしました。それだけの腕前を見込まれたのでしょう。でも、暗殺出来たのは女王と王子だけで、計画は失敗に終わってしまった。本当は生きていたという王子が最近戻ってきましたが、国王は殺せなかった。その失敗のせいで彼女は腕前はあるのに、組織では相当酷い扱いを受けたみたいですね。それを踏まえた上で王子妃に検討してもらいたいことがあります」
「……」
無言のサザとユタカをそのままに、ウスヴァは話を続ける。
「僕と王子妃は二人とも、王の正妻の子じゃない。王子妃は僕より年上だから、ちゃんとカーモスの王女として名乗り出てくれれば僕より上位のカーモスの王位継承権が認められます。サザ王子妃。あなたに君主としてカーモスに戻ってきて欲しいのです」
「馬鹿な事を言わないで下さい」
サザは目を見開き、ウスヴァの言葉に重ねるように強い口調で返答した。ウスヴァはそのサザの視線を真っ直ぐに受け止め返し、真剣な表情で続ける。
「僕は真剣です。あなたはイスパハルにいれば大きな脅威ですが、カーモスに来てもらえればこの国の力になります。それに、ご存知の通り僕の両親は亡くなっていますから、サザ王子妃はこの世でたった一人の血の繋がった人なんです。敵国にいたらいつか殺さなければいけなくなるかもしれません。それは僕の本望ではない」
「そんなことは絶対にしません。私はもうイスパハルの人間です」
サザはウスヴァの言葉に返事をする自分の声が思ったよりもずっと擦れ、震えていることに驚愕する。サザの肩に置かれたユタカの手にぐっと力が込められるのを感じた。サザの震える瞳と、ウスヴァの真剣な目線がかち合う。
「……恐縮ですが」
それまで黙っていた魔術医師のサヤカが、手を上げて声を発した。ウスヴァよりもずっと冷酷な目つきで玉座の隣からサザ達を見下ろしている。
「ウスヴァ様は慈悲に満ちたお方なので。王子妃様に対して思いやりを持たれていますから、単刀直入にお話しをされないのです。ですので、ウスヴァ様のご説明に補足させて頂きます」
「サヤカ、何を……話が違うだろう」
やや慌てた様子のウスヴァの言葉には応えず、サヤカが続ける。
「サザ王子妃。あなたはそんな二人の娘であるのに、今のままイスパハルの王子妃でいられるとお思いですか?この事実を国民やアスカ国王が知ったらどうなることでしょう。いくら賢王と名高いアスカ国王だって、さすがに眉を
「……」
(そうだ。私がいくらイスパハルに居たいと言っても、イスパハルの人達が認めてくれなければそれは叶わない)
サザの両親の真実を皆が知ったら、そのままで居させてくれるわけがないだろう。
床にしゃがみ込んだまま涙ぐんで俯くサザを支えながら、ユタカが怒りに肩を震わせて言った。
「黙れ。サザはイスパハルやおれを命懸けで救ってくれたんだ。生まれはサザ自身がやったことには何も関係ない。これ以上サザを傷つけたら、本当に許さない」
ユタカはサヤカとウスヴァを睨みつけながら、剣の握りに手を掛ける。ウスヴァはユタカの激しい怒りを悟ったのか、若干表情がたじろいだ様に見えた。しかしサヤカはそれには全く動じず、話を続ける。
「分かりました。この場であなたに本気を出されたら、止める過程ではまあまあの死人が出るでしょうから。穏便にして下さい」
「ふざけるな」
「王子。言葉に気をつけて下さい。国王の御前です。そして、王子妃。本当にカーモスに来てくれるなら、特典を付けます。あなたの母親に会わせましょう。何なら、一緒に暮らしてもいい。すごく会いたいでしょう?」
「……」
(お母さんに、会えるの……?)
子供の頃、組織でずたずたに傷つけられた身体と心の内でずっとずっと、会いたいと思っていた人。まだ生きているなんて、微塵も思っていなかった。
会いたいか、会いたくないかと言われれば、会いたいに決まっている。
でも、ウスヴァに従って母に会うということは、ユタカやアスカやリヒトや、イスパハルの全員を裏切るということだ。
「絶対に戻りません。何度も言いますが、私はユタカの妻で、イスパハルの王子妃です」
「そうですか。それは残念です。でも、あなたはこれからもイスパハルで必要とされれば良いですが、どうでしょうか? カーモスでならもちろん、国を挙げて歓迎させて頂きますよ」
「……お断りします」
サザは辛うじてそう答えると、自分の身体を自分で抱きしめた。僅かに震えている。
(私はまた、前と同じ様に大きな秘密を一生背負って生きていかなければならないのか……? やっとイスパハルで自分の居場所を見つけて、幸せに生きていけると思ったのに)
「止めろ。これ以上サザを傷つけたら……」
ユタカが怒りを隠さない低い声で言った。
「王子はお黙り下さい。私は、王子妃とお話しております。さすがに王子妃が気の毒ですから、慈悲深いウスヴァ様はこのことを勝手にアスカ国王にばらしたりはしません。ゆっくりお考え下さい。気が変わったらすぐに文をお寄越し下さい。もちろん、直接来て頂いてもかまいませんよ」
そういうとサヤカはサザとユタカに向かってにこりと微笑んだ。ウスヴァはサザ達の方を見下ろしたまま、ただそのやり取りを見つめている。
「……」
「もうお帰り頂いてかまいません。でも、サザ王子妃はきっとまたこの地を踏むことになりますよ」
「黙れ。サザ。早く帰ろう」
「……うん」
ユタカは両手で震えるサザの手を取って一緒に立ち上がるとウスヴァとサヤカを一瞥し、足早に王の間を後にした。
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