5.ウスヴァの目
「……う……」
サザは震えながらも何とか床に手をついて上半身を起こした。こちらに駆け寄って来たユタカがサザの傍らにしゃがみ込み、「大丈夫か?」と心配そうに肩を抱いてくれた。青い顔をしている。
サザは顔を少し上げて玉座のウスヴァに目をやると、意外にもウスヴァはサザを見つめて蒼白な顔をしている。しかしこれはウスヴァが命じた通りの状況の筈である。怪我人を目の当たりにすることに慣れていないのだろうか。
サザはユタカに肩を支えられながら、ゆっくりと息を吸い、吐いた。息は出来る。かなりきついが死ぬ程では無い。斬られるのと比較すれば相当軽く済んだ。しかし、サザがもう戦えないのは明らかだろう。これでウスヴァは満足してくれるはずだ。
「完全に急所に入ったよな、大丈夫か?」
「……けほ……」
サザが胃の奥から溢れてきた血を口からぼたぼたと床に滴らせて吐いたので、ユタカは血相を変えてウスヴァに叫んだ。
「要求通りどちらかが倒れるまで戦ったぞ! サザを早く回復させろ!」
「サヤカ、王子妃の回復を……」
「ウスヴァ様、お待ちを」
ウスヴァが青ざめた表情で魔術医師のサヤカに声をかけるが、サヤカはそれを制するようウスヴァの言葉を手を振って遮り、ユタカに向かって声を張り上げた。
「王子妃は腹を蹴られただけでしょう。斬られてもいないのに大袈裟では無いですか?」
「お前……!」
ユタカがサヤカの物言いに怒りを顕にした低い声で答え、きつく睨み付けた。
「ウスヴァ様、王子妃の容態をご確認下さい」
サヤカの言葉にウスヴァは、幾分白い顔をしたまま小さく頷いて玉座から立ち上がる。そのまま一直線にユタカが肩を抱いているサザのところまでつかつかと歩み寄り、サザの前に蹲み込んだ。
ウスヴァの顔がぐっとサザの顔に近づく。長い長い亜麻色の睫毛に縁取られた、大きな薄荷色の瞳。サザは激しい苦痛に苛まれながらも、その美しさに目を見張った。
その碧色の瞳が何かの迷いを帯びた様にふっと揺らいだ瞬間、ウスヴァはサザの両頬を挟むように手を当て、ぐっと顔を近づけてサザの唇に自分の唇を重ねた。
それを見た瞬間にユタカはウスヴァの胸ぐらを掴んで床から足が浮くほどに持ち上げると、立ち上がった。
「サザに触るんじゃない」
「……」
ウスヴァはユタカの鬼気迫る表情に恐怖を感じたのか、胸ぐらを掴まれたままで目を伏せ、ユタカから目線を反らした。ユタカは胸ぐらを持ち上げたまま、暫し沈黙して険しい顔でウスヴァを睨みつけ続けると、服を掴んだ手を勢いをつけて離した。
ウスヴァがその勢いに飲まれて床に膝をついたので護衛の剣士が咄嗟にユタカに向かって剣を抜こうとしたが、ウスヴァは手でそれを静止し、膝の埃を払いながら立ち上がった。
「殴ったら戦争になりますからね。さすが、イスパハルの王子は分別がおありだ」
サヤカが嘲るような笑みを浮かべながら、ユタカに言った。
ウスヴァは何も言わずに無表情で玉座へと戻った。ユタカはサヤカの言葉を無視するともう一度サザの傍らに膝を付き、肩を支えるように抱いてくれた。
ウスヴァは明らかにユタカを挑発している。ここでサザかユタカが先にウスヴァに手を出してしまえば、明らかにイスパハルの方が分が悪い。ウスヴァはそれを誘導しようとしたのだ。しかし、同時にサザは僅かな違和感を感じてもいた。
サヤカの意思とウスヴァの意思に端々で食い違いがあるように感じるのは気のせいだろうか。玉座からこちらを見下ろすウスヴァが口を開いた。
「王子の方はまあいいでしょう。問題は王子妃です。僕は確かに手を抜くなとしか言いませんでした。あなたは確かに手は抜いていない。王子の攻撃を誘導しただけで」
「……」
サザは目を見開いた。まさかウスヴァにそこまで見抜かれているとは思わなかった。ユタカがぐっと息を飲んだ音が聞こえた。
「僕は魔術士なので自分では闘えませんが、それなりに勉強はしてきました。若輩者だとお思いかもしれませんが、見る目はあるのです」
ウスヴァは玉座から二人を見下ろして、無表情のままで言った。
「しかし、咄嗟の状況に応じて戦い方に工夫を凝らすのが暗殺者の技術です。王子との打ち合わせも無しにこれだけ出来るのは見事としか言いようがありません。おかげで王子妃の腕がよく分かりました。さすが、国一とは名ばかりではない。いいものを見ました。約束通り、捕虜は釈放します。あなたの怪我も回復させましょう」
(良かった……焦ったけど)
ウスヴァが目配せすると、サヤカがサザとユタカの傍らに歩み出た。サザの腹に手をかざして回復魔術の詠唱を始めた。詠唱と共に直ぐに身体の痛みが和らいできた。
ユタカはサザの様態が落ち着いたのを確認すると、サザの肩を抱いたまま玉座に座るウスヴァに向かって顔を上げた。
「ウスヴァ。今回の本当の目的は何だ? 只の嫌がらせでも無いだろ」
「王子妃に伝えたいことがあったのです。ただ、それを本当に伝えるべき情報かどうかは、王子妃の腕前を見る必要がありました。だから本当は来て頂くのは王子妃だけで良かったのですが、王子妃の対戦相手は殺される可能性が高い。カーモスの国民からは死人を出したくありません。だから、王子妃の相手になりそうで死んでも困らない王子にセットで来てもらったんです」
「……」
ユタカは眉を寄せて目を細め、小さくため息をついた。
「私に伝えたいこととは、何でしょうか」
施術が終わったらしいサヤカが魔術の詠唱を終え、立ち上がってウスヴァの傍らにと戻った。
身体の痛みは全く無くなっている。しかし、内臓の負傷は傷が目視できない分、外傷に比べて回復するのにかなりの時間がかかるのが普通だ。それなのに傷の痛みが引くのが随分と早かった様に感じる。サヤカは魔術医師としては腕が立つらしい。
「僕達はヴァリスを倒せるほどの腕を持つというサザ王子妃のことを調べ上げたんです。自分達の驚異となり得る相手のことを調べるのは当然でしょう。王子妃と仲間の暗殺者達は、カーモスに戸籍がありませんでしたね。ヴァリスが調べた通り、人身売買で別の国からカーモスに連れて来られたと考えるべきでしょう。事実、近隣諸国の戸籍も調べさせたらカズラとアンゼリカ、レティシアの分はちゃんと見つかりました。でもあなたの戸籍はどうしても見つからないのです。あなたは一体、どこから来たのだとお考えですか?」
「……」
考えたことも無かった質問を唐突に投げかけられ、サザは戸惑いを隠せずに押し黙った。ユタカは唇を引き結んで、ウスヴァを睨みつける。
「私は物心ついた時からカーモスの暗殺組織にいました。それ以上は何も分かりません」
「そうでしょうね。僕達も躍起になって死ぬほど調べたら、やっと分かったんです。あなたは確かにカーモスの生まれでしたが、ある理由によって存在を抹消されていました。あなたが存在すると困るという人が隠蔽したんです」
「どういうことですか?」
「最初に話した、あなたに伝えたいこと、ですが。それはサザ王子妃のご両親のことです」
「え……?」
サザは思いもしないウスヴァの言葉に耳を疑った。
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