2.捕虜の救出

 アスカは部屋に入り、二人を交互に見て沈鬱な表情で言った。アスカはユタカと同じ位の長身で、歳は五十代半ばだ。白髪まじりの金髪を頭の後ろの低い位置で緩く束ね、ユタカと色違いの白地に金刺繍の軍服を纏っている。歳を重ねてはいるがオリーブ色の瞳の精悍な相貌は国王らしい威厳に繋がっている。

 黒髪に黒目で柔和な雰囲気のユタカはかなりの母親似らしく、ユタカとアスカの容姿は笑窪と身長以外は殆ど似ていない。見た目では親子だと思われなくても仕方ないだろう。しかし、話をしているとその眼差しの奥にある優しさが同じだと気がつくのだ。


「本当に、申し訳ないんだが……」


「一体、どうしたんですか?」


 ユタカとサザは国王に向き直り、椅子から立ち上がった。


「最近増員したイスパハル国軍の若い兵士三十人ほどがカーモスの国境近くで実務訓練をしていたんだが、その一隊がまるごとカーモスの捕虜にされてな」


「そんな……何故カーモスは急にそんなことを?」


 サザがヴァリスを倒しユタカがイスパハルの王子となった一年前、ヴァリスの行いに対してアスカはユタカと連名でカーモスの戦争後の新しい王であるウスヴァへ抗議文を送った。

 再度戦争に持ち込んでもおかしくない事件であったが、実質的な被害がサザとユタカの負傷で済み二人は無事に回復していること、ヴァリスが独断で行った行為であったこともあり、アスカとユタカは国民の平和な生活をこれ以上戦争で脅かすべきではないと考えたのだ。

 抗議文は、次にカーモスが手出しをすればすぐさまイスパハルを上げた武力行使を行うという牽制に加え、今回の件への謝罪の意を求めるものだった。送られた後はすぐさま、ウスヴァから全面的に同意し深く謝罪する旨の返事が来て、ウスヴァ自身も直接イスパハルまで謝罪に来た。


 ウスヴァはユタカが討ったカーモスの前王ムスタの側室の子だが、父親の悪政が民を疲弊させ、戦争を長引かせたことを客観的によく理解しているようだ。

 真意はまだ分からないが、父親よりはまともに話はできそうだというのがアスカとユタカの所感だった。ただ、今回の様に一方的に捕虜を取るのは戦争になるリスクを理解した上での行為だ。ウスヴァは一体何を企んでいるのだろう。もう一度イスパハルを奪おうとしているのだろうか。

 

「ウスヴァが伝令を寄越していて、捕虜の解放の条件として、ユタカとサザが二人だけを交渉によこすことを挙げてるんだ」


「ウスヴァが直接、ですか?」


「ああ。ウスヴァはまだ二十歳の若い王だが、長らく他国へ留学していたらしいな。腕前は分からないが、自身は攻撃魔術士らしいな。二人を呼び寄せることには何か必ず真意があるはずだ。それが分からないが、捕虜を見殺しには出来ないんだ。行ってもらえないか」


「ええ、そういう事なら」


「もちろんです。行きましょう」


「ありがとう。ウスヴァはお前達二人に無闇に危害を加えるようなことは無いだろうが、何をしてくるかは分からない。二人の腕なら大丈夫だとは思うが、おれの大事な息子と娘に、何かあったら、本当に心配なんだ。十分用心してくれ」


 国王は深い慈愛と心配の混ざる切ない瞳で、二人を見た。


「……必ず、全員で無事に帰ってきます」


 ユタカが横に立つサザの肩に手を置いて言った。サザも強く頷く。


「すぐに準備しましょう」


 —


 サザとユタカはアスカからの話の後直ぐに準備を整えた。捕虜たちを乗せて帰るための馬車五台を引き連れてその内の一台に乗り、イスパハルとカーモスの国境へと向かった。

 カーモス側の城に一番近い国境の門まではイスパハル城からは馬車で二日程かかるため、途中で野営を挟みながらの移動となった。もうすぐ到着する筈だ。


 霧雨はずっと降り続いている。秋の色が濃くなり始めたイスパハルはこんな長雨が続く寒空の日が増えてきた。

 ユタカは軍服だが、暗殺者としてではなく王子妃として来たサザは戦闘の意思を表さないように軍服ではなくワンピースに近い簡素なドレスだ。一応ナイフは服の中に仕込んではきたが、使わないで済む交渉になるだろうか。


「私がまたカーモスに行くことになるなんて思わなかったな」


 サザは馬車に揺られながら、半ば独り言のようにぽつりと行った。

 戦争が終結した平和なイスパハルに住んでいれば、もう二度と行くことは無い気がしていた。


「そうだよな。怖いか?」


 ユタカは心配そうな色を浮かべた瞳でサザを見た。


「ううん。みんなを助けるためだよ。怖がってる場合じゃない。いい思い出が無いだけ」


「おれたちが行って早く事が収まればいいんだけど。そろそろ着くな」


 馬車はイスパハルとカーモスの国境に流れる川にかかる跳ね橋を兼ねた門の前に止められた。ユタカが従者達に礼を言って先に馬車から降り、サザの手を取って降りるのを手伝ってくれた。

 門の前に二人が立つと、門は大きな軋みを上げながらゆっくりと開けられる。開いた跳ね橋の向こう側には、カーモスの豪奢な馬車とそれを護衛するらしい馬に乗った魔術士と剣士の一隊が用意されていた。

 他国の王族を迎えるための待遇としては標準的で、冷遇されている訳ではない。ウスヴァの真意がより見えなくなった。これから一体何が起こるというのだろう。軍人らしき一人の男がこちらに進み出て言った。


「イスパハルのユタカ王子、サザ王子妃ですね。お待ちしておりました。馬車にお乗り下さい。カーモス城に向かいます」


 ユタカとサザは促されるのに従って、馬車に乗り込んだ。


 馬車を引いた馬が走り始めると程なくしてカーモスの城下町へと入った。町並みの雰囲気はイスパハルの王都トイヴォと同じ程度だろうか。しかし、人々の姿は見られるが、活気と呼ばれるようなものはトイヴォほどは感じられない。これが戦争の勝敗の差なのだろうか。

 サザがカーモスの城下町へ来たのは暗殺組織にいたとき以来だ。イスパハルとほんの少し違う空気の匂い。人々の服装やイスパハルとは違う商店の並び、石畳の積み方の細かい一つ一つがここはカーモスだとサザに主張してくるようだ。サザは自分の身体が少しだけ震えていることに気がついた。ユタカはサザの落ち着かない様子を察したようで、サザの正面から隣に座り直し、サザの膝に置かれた手を取った。


「大丈夫か?」


「うん、昔のことを思い出しちゃっただけだから」


 今日の、雨のせいだ。雨のせいで、朝からそんなことばかり思い出しているのだろう。サザは降り続ける雨が心底憎くなった。


「早く帰ろうな」


 ユタカが握った手と反対の手でそっとサザの頭を撫でた。程なくして一行はカーモス城の門前に到着し、そのまま入城した。

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