目に見える愛
王都もすっかり秋らしくなった。木々も徐々に紅葉し、鬱蒼としたバロッキーの森を明るく彩る。
昼過ぎから始まった会合は、今も大広間で続いていた。もう西日が影をのばしている。
遅れて入ってきた私に、皆の視線が注がれる。
バロッキーの竜たちと、アビゲイル様、カヤロナ家からは父と兄、それと、面識のない老年の竜もいる。
白髪になりつつある銀髪を長く垂らした老年の竜は、私が部屋に入ると折れそうなほどに腰をかがめた。
「殿下、この度はヨミヤの者がとんだことを……私は、ヨミヤ家を束ねる、シンガと申します」
ヨミヤだと聞いても、どう反応したものかと、あいまいな表情で席に着く。
既に事件のことが話し合われ、いくつかの取り決めが決定したとサリから告げられた。
ナイカは、ヨミヤの中でも過激な思想を持つ者で、ヨミヤの本家から離れ、カヤロナをうち滅ぼす為の活動をしていたのだと、レトから聞いていた。
茶会に刺客を差し向けたのも、ナイカの仲間であるらしい。さらに、ナイカの潜んでいたサーカスからは、城の内部の資料や、爆弾で城を破壊する計画などが発見された。
花火はその下調べだったのだ。
「ヨミヤにはヨミヤの
シンガは真摯に語る。犯人は捕まったのだ、これ以上責め立てるつもりはない。
「ヨミヤも竜として虐げられてきた人々なのは承知しています。竜に対しての政策がカヤロナを守るものだったのは遠い昔。不必要に政策をそのままにしていたカヤロナにも責があります」
私がそう言うと、シンガは一層腰を屈めた。
「ヨミヤは家同士の交流も薄く、我が家と関わり合いのある末端の把握も出来ぬ始末。ヒースさんがバロッキーに保護されていたということも初耳で……」
シンガはちらりとヒースを見た。やはりヒースはヨミヤの血を引く者だったのだろう。
「――ナイカに思想を植え付けた者が誰なのか、まだ見当がついておりません。恥ずかしながら我が家には先ほどお話ししたこと以上の情報がないのです。原因究明にお力をお貸しいただけないかと、勝手なお願いをさせていただいたところです」
母に危害を加えた時、ナイカは、まだほんの子どもだったはずだ。
城に入り込んだ兄と同い年程度の子どもの竜に、母が油断したのもわかる気がする。
ナイカが主犯とは考えられない。ナイカをそのように育て、城に導いた者がいるはずだ。
「それについてはレトさんに協力してもらうのがよかろうと。陛下、それでいかがですか?」
「レトはもともとバロッキーの守護だ。私に否やはない。レト、引き続き頼む」
「承知いたしました」
トムズが議長なのだろう。会合が落ちた雰囲気で進んだのが推測できる。
父にレトが平坦な声で応えた。
「トムズ、ルイ、誤解の無いように言うておくが、レトをカヤロナにやった覚えはない。我のレトじゃ」
「アビゲイル様、今は口を挟むところではありませんので、菓子でも食べていてください」
レトをバロッキーの守護と呼んだことでアビゲイルが声を上げる。
レトがぴしゃりとアビゲイルの無駄口を指摘すれば、アビゲイルはことさら音を立てて目の前の菓子を頬張った。レトの立ち位置や、この二人の関係だって、私はまだ、よく知らない。
「わかっておりますよ、アビゲイル。レトがアビィを慕っているのは、間違いないですからね。拗ねるのはおよしなさい」
トムズは柔和な顔をして、アビゲイル様をいなし、卒なく話を戻す。
「これ以上、不幸が繰り返されないように、できることなら、今のヨミヤ家とも良好な関係が築けるといいですね」とまとめたトムズに、シンガはただただ項垂れた。
母の死の真相を知り、兄は少し緊張が解けた顔をしている。長年の疑惑に答えが出たことで、兄の時間は進み始めたのかもしれない。
父は相変わらず恐ろしい顔をして、一点を見つめていた。
犯人がナイカだと分かったところで、父の状況は何も変わらないのだろう。ずっと自分を責め続けている。
トムズは、杖を握り、立ち上がると、朗々と響く声で宣言する。
「バロッキー家として、はっきり言えることは、バロッキーは復権を望んでいないということです。王権は永遠にカヤロナ家のもの、それでいい。バロッキーの中で別の意見があれば名乗り出てください――ああ、サリは結構」
「えっ、ですが、トムズさん……」
手をあげようとしていたサリが。不満げな声をあげた。
「これは竜を差別してきた政策とは別の話ですからね。今の状況についての不満は、後でそこにいるカヤロナの主に直接訴えなさい」
トムズの言い方は柔和なのに有無を言わせない。
サリは渋々座り直し、他の竜は静寂を守った。
静まりかえった広間に、衣擦れを響かせて、アビゲイル様が立ち上がる。
「よいか、皆の者、竜に必要なのは、番じゃ。番と平和に暮らせれば、なにも要らぬのだ。もはや、バロッキーとカヤロナの蜜月は過去のものであろう? 家同士の番の話も同じく過去のこと。ヨミヤよ、個人の不運をカヤロナにぶつけるでない」
アビゲイルは不機嫌そうに、腕を組む。アビゲイル様の竜の気が膨らんだせいで、肌が粟立った。
恐縮しきったシンガは、おろおろと立ったり座ったりしている。
「太古の竜よ、誤解しないで欲しい。ヨミヤの竜の中にカヤロナを狙い続ける一派がいたことは事実だ。でもそれが、ヨミヤの総意ではない」
「それはわかっておる。我はもう少し了見の狭い話をしておる! 我が心配しておるのは、そこの、妻を失って死にそうな顔をしている男と、母を亡くした不憫な子らのことじゃ」
アビゲイル様は独特の緑がかった黒髪を跳ね除け、父と兄を扇で指し示す。
公務の途中で忍んできたのだろう、父も兄も目立たない色の服を着ている。
名指しされて、父が視線をあげた。
「ルイ、お主も思い違いを改めなければならぬときがきたようじゃな。ミスティの番よ、ルイになにかいってやることがあるのだろう?」
そうだ、私はそのためにここに来たと言っても過言ではない。
父に母の話ができるとすれば、今しかない。
私はお守りにしていた母の銀の櫛の位置をなおして、父の前に出る。毒々しいドレスとは違う、淡い色を着ている。櫛に合わせて、ミスティが選んでくれたものだ。
いつもとは違う私の装いに、父は目を見開く。
「――ソフィア……いや、クララベル」
父の目には、亡霊を見たような動揺があった。
「私、本当に母様に似ているのね」
「そうだな、日に日に似てくると思っていたが、そういう装いをすれば、瓜二つだ」
父は苦しみの中に愛しさを滲ませて私を見る。
「父さまに、一つ伝言があって」
私は父の目を見つめ返す。父の菫色の目に動揺が浮かんだが、今日は聞いてもらわなければならない。
「母さまを苦しめているのは、父さまで間違いないわ。母さまは間違いなく苦しんでいらっしゃる」
私の言葉に、父はぐっと喉を詰まらせたようになり、片手で口元を覆う。唸るように、ソフィア、ソフィアと母の名を呼ぶ。
「そうだ、私が不甲斐ないばかりに……」
「そう。父さまがそういう顔をするたびに、母さまは泣いているの。父さまが笑わないからよ」
母の願いは番の幸せだったはずだ。それ以外にあり得ない。今の私は、正しく母の気持ちを想像できる。いつまでも父をこのままにしておいてはダメだ。
父は、力なく首を振る。
「いいや、違う。私が笑うことなどソフィアは望んでいない。ソフィアが苦しむのは、全て、ソフィアを一人にした私が、のうのうと生き永らえていることだ。ソフィアはあれほど深く家族を愛していたというのに。ソフィアの心を引き裂いていた」
「それは間違いです。母様の中には、父上の思っているような悲哀は無かった」
私が否定しても、父に私の言葉が届いた様子はない。
「ソフィアが苦しんでいなかったわけがない。害されたにしても、私の行いを憎みながら逝ったはずだ。あの時だって、あと少し私の帰りが早ければ――」
「父様こそ私の話を聞くべきよ! 母様が苦しんでいるのは、父さまが国の務めを果たしていたからじゃないのよ。母様が亡くなって、長いこと私を放って、暗い顔をして自分を責め続けていたことに対してよ」
「クララ……?」
父が一人で背負ってきた苦しみの一端を知ることができた。
愛するものを死に追いやったことをずっと背負うことで、自分を罰してきたのだ。
苦しみ続けることで、母との繋がりを永遠にしようとしているのかもしれない。痛みを刻み続けるほど、母を愛していたのだ。
「母様はね、父様がいつまでも自責の念に潰されそうになっているのを、苦々しく思っているわ。幸せになってはいけないと思い込んでいて、私を素直に可愛がらないことも」
父の握った拳に手を重ねる。
私の知っている手よりも小さく感じるのは、私が成長したからだけではないはずだ。
「母様は、竜だった」
父は菫色の目を見開く。
「やはり、ソフィアは……」
「公爵家でも異質だったはずよ」
「そんな気はしていたのだ。竜だったのに私に嫁がされ、番にも出会えず生きるのは辛かったはずだ。私がソフィアを妻に望んだばかりに」
「番はいたわ」
「そんなはずはない。私とソフィアは心が通ったことがない。慣例通り、妻を愛することはないと告げていた」
「いいえ、母様の番は父様よ」
父の顔が絶望に染まる。
「……竜は番が不貞を働けば、死んでしまうのだと――」
父は青い顔をして、黙り込んだ。
「いいえ、違うの。竜は愛の為に死ぬこともあるけど、愛のせいでは死なない。番に望まれれば、何が何でも生きるわ。もしうっかり死んでしまっても、番が泣いて暮らすのなんて望まない。母さまは自分のことが大好きな父さまに、私と兄さまと一緒に、たくさん笑うことを願っていた」
私の言葉が父に届いているとは思えない。父からは深い悲しみと絶望ばかりが感じられる。
「クララ、もう良いのだ。私がソフィアを死に追いやった事実は変わらない」
「だから、違うってば!」
「竜は番と心を通わせられなければ病んでしまうのだと聞いた。私は一度もソフィアに愛していると伝えることがなかった。ソフィアは心を病んでしまっていたのかもしれない。私は何ということを……」
父は頑固だ。
私は眉の間を狭くして、不躾な質問を用意した。
少し怒らせてでも、なんとかして伝えなくては。
「もしかして、父様は、別の夫人に心を移していたの? 浮気? ミスティがそんなことしたら、私だったら間違いなく病むわ」
「そんなことは誓ってない。昔も今も、ソフィアだけを愛している」
そんなの、知っている。
「なら、やっぱり母様は苦しんでなんかいなかったわ」
「今となっては全てが気休めだ。私は、ソフィアの怒りを背負って生きなければならないのだ」
前進しない会話に、そろそろ我慢がきかなくなってきた。
父様の解釈は的外れだ。母様が父様のことを誤解していた事なんてないのに。
「どうしてそうなるの! 母様は、良く寝て、よく食べて、健やかだった。父様が何も伝えなくても、母様は強い愛と信念があった。どんな困難があっても、番と添い遂げるつもりだったのよ。ナイカは許せないけど、母様が死んだのは、頭じゃなくて、お腹の子をかばったから。そこにあったのは、父様への怒りじゃない、私たちへの愛だけよ!」
父はやっと私を見た。
混乱と恐れと悲しみが渦を巻いている。
「なぜお前がそんなことを言える? 私はソフィアに、慣例により妻を愛することはできないと突き放した。ソフィアが幸せだったとお前が信じたいのはわかるが、これは私が負うべきものだ。私は許されるべきではないのだ!」
こんなに感情をむき出しにした父を初めてみる。兄は止めに入るべきかどうか、窺っている。
「父様、ちゃんと私の話を聞いて!」
私は自分の秘密を伝えずには終われないのだと、覚悟した。
――怖い。
カヤロナ家に政策として竜を招くはずが、カヤロナの後継にすでに竜がいたとなれば、国が乱れるかもしれない。
言わないつもりだった。私の存在がカヤロナ家を危うくするかもしれないのに。
私の恐れを感じ取ったのか、ミスティがパタパタと足音を立てて私の隣に来る。
黙ったまま、私と父の手の上に、被せるように右手を載せる。
「なによ」
「助けが必要かとおもって……」
「だ、大丈夫だったら」
「あ、そう?」
そんなことをいう癖に、そこから動こうとはしない。
私は大きく息を吸う。
「どうして私がこんなことを言うのか、と聞いたわね、父様。それはね――」
語尾が縮んでしまって、もう一度大きく息を吸う。
励ますように、ミスティの手が重さを増す。
「――私も、母様と同じ、竜だから」
「クララベル?」
「なんだって?」
父も兄も驚いた顔をしている。
驚かせて申し訳ないけれど、ここでそれが分からないのは父と兄だけだ。
「だから断言できるの。父様がどれほど母様に心を傾けていたのか、母様には筒抜けだったわ。私ね、竜になってから、ミスティのことが手に取るようにわかるの」
「……」
よほど驚いたのだろう、父は動きを止めた。
「父さまは因習で母さまに愛していると伝えられなかったかもしれないけれど、母様は全て知っていたのよ。国の務めが、苦しみだったのも知っていた」
「まさか……」
「母様は番に愛されて、いつもご機嫌だった。兄さまと私が遠慮しちゃうくらいに、父様と母様は熱烈な番だったとおもうわ」
そうだ、察しのいい兄は紅玉祭で、いつも早くから私を連れ出した。あれは、きっと父と母の時間を作っていたのだ。
「父様の愛は分かりづらいのよ。私、こんなことを言えるのはもう最後だと、思い切って言うわ。私ね、ずっと寂しかった。母様がいなくて寂しいのに、父さまも兄さまもずっと遠くにいて。愛しているなら、もっとわかりやすく言ってくれたらよかった。竜になる前に知りたかった」
父の指に血が通うのが分かる。氷が溶けたみたいな熱を感じて、頬がゆるむ。
「気遣われて、心配されて、優しい思いで見守られて、懐かしそうに母様と重ねて……そんなの、私が竜にならなかったら、死ぬまでしらずにいたじゃない」
「クララ……」
「父さまの愛は、母さまに余す所なく届いていたわ。いい、父様、目に見える愛っていうのをね、見せてあげるわ」
私は磨きなおして輝きを取り戻した銀の箱を取り出す。あれから、石と一緒にバロッキーの工房で磨き上げてもらったのだ。
箱を恭しく開くと、母が拾い上げた菫青石を父の手の上に置く。鈍色の膜が磨き落とされて宝石の輝きを纏っている。
さすが竜だ。母様は番の瞳の色と全く同じ輝きの石を瞬時に見抜いた。
「母様はこれを風化した白い土の中から迷うことなく拾いあげたわ。父様のことを、私の紅玉なのと、私にこっそり教えてくれた――紅玉って言うのはね、竜の番のことなの。それからね嬉しそうに私を抱き上げて、くるくると回ったわ。母様はとても幸せだった。想像じゃない、紛れもない事実だわ。母様は今も、大好きな父様が幸せであるように願っている」
手のひらの上で輝く菫青石に涙が落ちる。
父は私を引き寄せると、大切に抱きしめた。
久しぶりの父からの抱擁だった。
「クララベル……ソフィア……」
母を失ってしまった私たちの悲しみは、癒えることはない。でも、ほんの少し暗雲の向こうに光が差したのが分かった。
父と母は、本当に仲の良い番だった。
「父さま、感傷に長く浸っていることはできないの。私は来年には竜の子を産むでしょう。今までの政策を静観している場合ではなくなりますよ。少しでも孫が住みやすい国にしなければなりませんからね」
「そうか……」
「可愛い孫を抱きたいでしょう?私とミスティの子よ。可愛くないはずがないわ」
父は涙目で、笑みを浮かべた。
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