誕生日の絵
あれから日をおかず、王都に帰ることになった。
今日はバロッキーの屋敷に来ている。
私たちだけではない。父や兄も訪れると聞いて、驚いた。父も兄も公にバロッキーに行くとは言えないから、別々に隠れるようにしてやってくる。
私とミスティは早めに着いて、あれ以来、入ることのなかったミスティの部屋で皆の到着を待っている。
もう何も遠慮することはない。
まだ腕を痛がっているミスティをソファで休ませて、私は一人でミスティのアトリエに歩をすすめる。
売りに出したのか、以前よりも随分絵の数が減っていた。
竜の絵の前に立って、もう一度鑑賞してみる。
初めて見た時、この竜は閉じ込められて怒っているのだと感じたけれど、あの時、私はまだ竜ではなかった。
今なら、これが何を書いた絵なのか、理解できる。
これは番に浮かれている竜だ。
番が現れて、それを歓喜している。
「なんだ、これってヒースの絵だったのね」
絵画展を開くとしたら、この絵は一番明るい、太陽の光が当たるところに飾ってやろう。陽気な竜の性質が伝わるだろうから。
竜の絵が置かれているまたその奥に、暗幕があるのに気がついた。
「ここ、何かしら? 前にもあった?」
隠すように仕切られた暗幕を開けると、こちらから見えないようにして、描きかけの絵が置いてある。
ミスティはまだソファにいて、痛いとか疲れたとか言っているから、少しぐらい自由に見てまわってもかまわないはずだ。
「あら、これ――」
イーゼルの向こう側にまわって、私は絶句した。
赤く染まった夕日を背景に、見覚えのあるフォレー式の部屋が描かれている。
ミスティの視点で描かれているのは、夕陽で目を赤く光らせている私――いいえ、この夕日の光源が、私の顔を照らすはずがないし――。
だとしたら、これは――番いに目を光らせている、竜の絵?
「う、うそ……」
「あ、やば……ちょ、勝手に見るなよ!」
慌てて走り込んできたミスティが、私と絵の間に立つ。
「……ひょっとして」
アトリエを急いで見回す。区切られたアトリエのすみの、更に暗幕で区切られている所があやしい。
「だ、ちょっと、待てって!」
ミスティの打ち身はまだ癒えていない。私が小走りで暗幕の奥へ向かうのを、すぐには止められない。
私には暗くても関係がない。私の目は暗闇でもよく見えるのだから。
カーテンを開けると、何組かの瞳と目が合った。
「やだ……」
カーテンの中の暗がりには、たくさんの肖像画が置かれていた。
ありとあらゆる画風で、様々な角度で、何通りもの表情で、中には裸婦として描かれているものもある。
笑ったり泣いたり怒ったり、一つとして似た絵がないのに、どれも私だ。
「全部、私……」
「あーあ、みつかったか」
ミスティは、ばつがわるそうに頰を搔いた。
絵の中に、とんでもないものを見つけて、ミスティに向き直る。
「ちょっと! あの時の背中のデッサン、色がついてるわ! 抓った跡まで!」
素描は没収したはずなのに、キャンバスに描きおこされて、完成している。
「あの角度、結構好きで……」
「信じられない! 他にどれだけあるのよ」
私は片っ端から裏を向けて重ねてあるキャンパスをひっくり返す。
どれもこれも私だ。古いものもある。
イヴに叱られて泣いている絵もある。デフォルメされて幼子で描かれている。
中には真っ赤な衣装で、意地悪く笑う悪役みたいな絵まであった。
「信じられない……」
茶会の時の絵だろうか、胸元に移ったミスティの口紅が軽薄なタッチで描かれている小ぶりの絵を片手に持って、わなわなと震える。
ミスティは悪事がバレた子どものような顔で、私の様子をうかがっている。
「……捨てる?」
「そうしたいけど、無理よ! どれも傑作じゃないのっ!」
「だよな!」
恥ずかしいから捨てたいけれど、どれもいい絵なのだ。
「あああああ……もう、変態!」
「だって、描きたいものがずっと目の前にあるんだぜ。途中から触ってもよくなったし」
「極端すぎるし、さすがに気持ち悪いわよ。どれだけあるのよ?」
「それは、ほら、クララベルが俺に執着するのと同じくらいには」
ニヤリと嬉しそうに笑って、頬に音を立てて口付ける。
からかわれているのだとわかっているのに、体全部を握られたみたいになって、頬が熱を持つ。
番いだったとわかってから、ミスティと触れ合うのが苦手になった。
何をどう言えばいいかわからなくて固まっていると「そんな顔を赤くして睨まれてもなぁ」と抱き寄せられる。
「そういう話じゃないでしょ。こんな場面まで勝手に絵にされて……」
明らかに寝室内の絵まである。恥ずかしくて見ていられないのに、絵画としては目が離せない。
「そうだ、誕生日に渡せなかった絵、見る?」
ミスティは油紙に包んで封をしてある絵画の中から、一つを取り出し、包みを破り始めた。
中に入っていたのは額に入った風景画だ。裏返すと、キャンバスが二重になっているのが分かる。
私は偽装の額を取り外して、丁寧に風景画をめくる。
そこにはソファで膝を抱えた私が、微笑んでいた。
「私、こんな顔してた? 猿みたいって言ったくせに」
「願望が入っていたにしても、さすがにこの絵だけは手放す気になれなくて」
見つめる視線の先に、愛しい者がいるのだと誰が見てもわかるだろう。伝わらないはずがない。
「よく考えたら、こんな絵を残していったら、俺がどんなふうにクララベルを愛しているかなんて、筒抜けだったよな。そこまで考えてなかった」
「素直にこれを渡せばよかったのよ。これを渡されていたら、私、泣いて行かないでって縋ったかもしれないじゃない」
今までのような喧嘩口調の反撃はなかった。
ミスティは湖面のような目に赤く血を滾らせて、屈託なく私に微笑んだ。
豪奢な美貌に、心からの愛を込めて。
ここの所、私の知らないミスティばかりが現れる。
私の番は美しいだけではない。
軟派な態度の絵描きが、バロッキー家のあり方を変えてしまうような行動力を持っていると、誰が見てわかるだろうか。
ただ私が好きだというだけで、そうまでできてしまう強い想いに、むず痒いものを感じる。
恋と番とは違わないとミスティは言うけど、私にはまだ、これが恋なのか分からない。
ただ、今までの生意気なミスティも、竜丸出しのミスティも、こうやって穏やかに笑うミスティも、どのミスティも愛おしいと思う。
バロッキーは再び歴史の表に出る。私はまだ我儘姫から降りることはできないだろう。
「ねぇ、ミスティ、この国の慣例を滅ぼすのは、私かもしれない。あとは、サリとか」
実際、今の私にはバロッキーの後ろ盾がある。サンドライン家もフォレー家も、見ようによっては私の手駒だと言われるだろう。私が動き出すための権力としては充分な勢力だ。
「絵画展は王都の美術館にする。そこに竜の絵を飾るわ。誰もがあの絵をみるべきだわ。私の竜が描いた、浮かれた竜の絵を」
薄く、薄く、限りなく薄くなっていても、この国の国民は竜の血を引いている。自覚がないばかりで、圧倒的な美には抗えない。
カヤロナの民は、いつか竜を正しく知るだろう。
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