【俺の番の様子がおかしい】
「ふふふ、いいものを見せていただきました。ミスティ殿、あなたの絵の美しさは葛藤に由来します。カヤロナ王家をとりまく環境には芳醇な苦しみがございます。クララベル様がいらっしゃらないと、その感情の幅はでますまい。そうですね」
「うるさいよ」
マルスがニヤニヤと解釈を垂れる。どうでもいいから、二人きりにしてほしい。今、積年の想いが、どうにかなりそうなところなんだから。
「はぁ、やはり竜は私の物にはならないのでしょうか、残念ですね」
「王女殿下の命令なんでね。色々準備してもらった分は、絵で返すから、シュロに行く話はなかったことにしてもらえる? 今よりもっと高値で捌ける絵を描くよ」
マルスはステッキをくるくるとまわす。何かの骨のような材質だが、あんなに長い骨を持つ動物などいるだろうか? マルスは常に気味が悪い。
「こんなのは、大した投資ではございません。大立ち回りになりましたが、サリの筋書き通りになりましたね。襲撃は驚きましたが、私がここで番とやらの情報を公開する必要がなくて楽でした。それに、フォレー家の坊ちゃんからもあなたがシュロに行かないように説得してくれと頼まれていましてね。ねぇ、ラッセル殿」
「は?」
「レト?」
俺は思わず左腕を動かしてしまって、呻く。クララベルに顔を向けられても、レトさんは無表情で立ったままだ。
思い起こせば、サリが含みを持ったことを言っていた。
「お決めになったのはクララベル様ですから、私は、あくまでその意向に従うだけです」
どいつもこいつも、俺たちが互いに番だと知ってて、だまっていたのか?
「そうですよ。まったく、サリとの会合となると、いつもヒースさんが殺さんばかりの目で私を威嚇してきて、苦労させられました。この計画をやめても、何の支障もきたさないように整えてありますから、安心してください」
「……あいつ」
「大方サリの計画通りに収まりました。どちらにしても私の損にはなりません。銅山の開業が済むまでお二人を放っておくだなんて、サリも人が悪い。お二人ともお気の毒でしたね。それにしても、サリがあんな剛腕の商人だとは知りませんでした。婚約前に逃げられて、惜しかったですな」
サリが偉そうに俺を見下している姿が浮かぶ。無駄な足掻きだったと笑われても反論ができない。
腹は立つけど、もう、なんでもいいや。
だって、俺は今、ここに番を抱いているから。
クララベルと、ずっと一緒にいられる。
もう二度と嫌いだと言わないし、嫌いとも言われない。
こんな幸せがあるんだなと思うと、頭がぼーっとする。
「――姫様、私たちは代案後、いろいろと手配がございますので、一度席を外します。マルス殿。行きますよ」
「そうだね、私たちはとてもとても忙しいし」
二人はそそくさと退散する。
「れ、レト……ちょっと、待って」
なんだか腹立たしい企みがあったのはわかったけれど、とりあえず後回しだ。
俺はクララベルを離さない。
ダグラスが来るまで、まだ少し時間がある。
夕暮れに合わせて、俺の死体を発見することになっていた――と思ってたのは俺たちだけだったのかもしれないけれど。
クララベルは疲れた顔をしている。ずいぶん無理をさせてしまった。
「クララベル、少し休んだほうがいいよ。ほら、ここでいいから座って。たくさん走ったんだろ?」
体をずらして、ベッドに座る場所をつくってやる。それなのに、クララベルは一度収まった俺の腕から抜け出て、わざわざ別のところから椅子を持ってきて座った。そういえば口数も少ない。
ナイカはクララベルの母の死にかかわっている様子だった。急に知らされた母の死の真相に、動揺しているはずだ。
そうじゃなくても、俺たちは今、互いに頭の中がぐちゃぐちゃだ。
落ち着かせてやりたいのに、俺は体を起こすこともできないし。
さっきはしつこいぐらいにずっと俺の目を覗き込んでいたくせに、今は目も合わせない。落ち着きなく手を握ったり開いたりしている。
「あの、くどいようだけど……私に命が宿っているというのは、間違いないの?」
そうだ、その話もあったのだ。俺にとってはもうだいぶ前から知っていたことだが、クララベルは気が付いてなかったようだ。
「ああ、間違いない。まだごく小さいけど、クララベルとは別の気配がある」
「そ、そうなのね……なんだか最近、やけに眠いし、疲れやすいと思っていたのよね。私、竜なのに――わからないものね」
「公務は減らしてもらえよ」
「……でも、まだ、実感がないわ」
クララベルが下腹に手を当てて首を傾げる。ふとクララベルの緊張が緩んで、頬に笑みが浮かぶのが見えた。
――ああ、どちらも無事でよかった。
締め付けられるような甘い痛みが胸に広がる。
「竜になったのって、目が見えなくなってからだろ? アビィおばさんちに行ったときか。それじゃ、いろいろ、筒抜け……だったよな」
今となってはカッコ悪いやせ我慢ばかりだ。
俺の浅ましい気持ちなんて、全て伝わってしまっていた。
「そうでもないわ。まさかそんな前からミスティが私のこと好きだったとは知らなかったもの」
いつもひどいことを言って、頑なに番じゃないと否定してきたのだ。大嫌いだと言ったのも一度や二度ではない。
「俺は、バロッキーと国の姫様、どうせ長くは一緒にいられないと最初からわかってた。だから仲良くならないようにしてたんだ――全く無駄で、どんどん離れがたくなったけど」
「ひどいわ。竜は一目で番を選ぶってきいてたから、やっぱりミスティの番は私じゃないんだって、がっかりしてたのに」
「がっかり、したのか……」
その時のクララベルを思うと、胸が締め付けられる。泣かせてしまっただろうか。見逃した泣き顔を思うと変に高揚する。
「がっかりしたわ。それなのに、私が竜でミスティが番だったって言ったら、変にややこしくなるじゃない?」
「う……そりゃ、そうか」
とんでもなく拗れていた俺たちの歪な関係が見えてきた。互いに無駄な努力をしていた。
「あのさ、とりあえず、もう少し、近くに来て」
この微妙な距離は堪える。なんだってそんな遠い所に座るんだ?
「え、今はちょっと、無理よ……」
クララベルはのけぞるようにして、さらに体を遠ざけた。ひどい。
「なんでだよ!……っ痛!」
絶望的な気持ちになって肩を浮かせたら、折った左腕が痛んだ。せっかく互いに番だとわかったのに、クララベルが遠い。
「だって、なんだか無理なのよ! 外の空気を吸って、出直してくるから」
「え、クララベル? なんで……まって……」
ドレスの膝あたりを落ち着きなく掴んで、立ち去ろうとしている。置いていかれてしまうと思って、慌てて手を伸ばす。
(――つ、つらい)
俺は相当に情けない顔をしていたと思う。
クララベルはそんな俺に気がついて、両手で顔を覆うと、しどろもどろになりながら、俺に説明する。
「私、ミスティがカヤロナに残ることを、勢いだけで、何も考えないで決めちゃったのよ。ヨミヤとバロッキーとカヤロナの事とか、母様のこととか、頭のなかがぐちゃぐちゃで。ミスティの安全とか、全然考えてなかった。本当にこれでよかったのか、わからないの。カヤロナに残ればミスティに危険があることは、わかっていたのに――私利私欲で……」
「なんだ、そんなこと――」
嫌われていたり、幻滅されていたのではないのだとわかり、ほっとする。
「――それに、ミスティの番が、私だなんて。どうしていいか、まだわからなくて……」
見る間にクララベルの耳が朱に染まっていく。
番の気配の中から、わかるようになった竜の気配が膨らむ。
「クララベル――うぐっ……」
「やだ、大丈夫?」
傍に行きたくて動いたら、体中が軋んだ。クララベルは痛みで呻く俺に走り寄る。
「軽傷だって言われたけど、腕が折れているのよ。じっとしていて。何かできることはある?」
「じゃぁ、ここに来て」
「ええ?」
もう何の歯止めも効かなかった。
駄々洩れのようになった感情で、クララベルを請う。
「キスができないから、ここに来て」
「冗談、でしょ?」
「冗談に見える? 俺、相当切羽詰まってるんだけど」
俺は血が暴れるままに目を光らせた。
外から、虫が湧いたから、虫除けを持って来いと誰かが叫ぶ声が聞こえた。
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