【俺は、クララベルがいるなら】
森の中に隠れるように設営されたマルスの拠点に移動して、手当てを受けている。
折れた左手以外は打ち身ばかりで、本当に傷は浅いようだ。
マルスの一味の医者が腕の治療のついでに、俺の目を覗き込んでいる。
目を摘み出しそうな雰囲気で、気が気ではない。
「あの医者に診せて大丈夫なのかしら……」
クララベルがそわそわとこちらを気にしている。
レトさんは、俺たちに気を遣ってくれているのか、わざとらしく離れた所でマルスと打ち合わせだ。
とらえた二人の尋問も終えたようで、馬車の積み荷にしてきたと言っていた。そろそろ時間通りにフォレー家からダグラスが出発する頃だ。
寝かされた簡易寝台に、クララベルがやってきた。
何を考えているのか、俺を見下ろして黙っている。ヨミヤの竜のせいで、色々バレてお互いに気まずいのだ。
「竜になったって、なんだよ」
「仕方ないじゃい。なっちゃったんだから」
「はぁ……本当に俺だけ知らなかったのか」
右手だけで頭を掻きまわす。クララベルが竜だなんて、これっぽっちも気が付かなかった。
「全部、やせ我慢だったのね」
「――別に」
痩せ我慢しすぎて、クララベルが番だと知った今でも憎まれ口しか出てこない。
クララベルが竜で、その番が俺だなんて、にわかには信じられない。願望のせいで都合のいい夢を見ているのかもしれない。
女性の竜が番以外に触れないなんて話も初めて聞いた。なんだ、その俺に都合の良すぎる話は? やっぱり夢か?
女性の竜といえば、アビゲイルおばさんだが、おばさんも見た目に竜らしいところはない。
確かに、おばさんが夫以外の誰か別の人といるところなんて見たことないし、おじさん以外にエスコートされているところも見たことがない。
ただのベタベタした竜らしさだと思っていたけれど、それだけじゃなかったのだろうか。
にやけそうになる顔に活を入れて、難しい顔を保っているのがやっとだというのに、クララベルが枕元でおかしなことを始めた。
クララベルはキョロキョロと周りを確認して、身を屈めると、俺のひたいに唇を当てる。
「ば……やめろって」
抑え込めるはずがない。馬鹿になっている竜の血が、素直に俺の目を光らせた。
クララベルは大げさに驚いて、口に手を当てて俺の目を覗きこむ。
「こんなキスでも光るってなによ? 今まで、何をしても光らなかったじゃない」
全くだ。どうせするなら唇にすればよかったのに。
物欲しい顔をしてしまう前にクララベルから顔を背ける。なんだか猛烈に腹立たしい。
「そんなの、俺が必死にコントロールしてきたからに決まってるだろ」
「我慢して、隠してきたっていうの? 私に馬鹿って言ったし、性格最悪って言ったあの時も?」
「ああ、そうだよ! ヒースに振られてガッカリしてた時も、サリとレトさんにギャンギャンやり込められていた時もな」
どんな時でもずっと好きだったという言葉を飲み込んだら、さらに目が熱を持つ。
「庭でお前に襲われた時は、死ぬかと思った」
「ばっかみたい!」
「そっちこそ俺のこと大嫌いだっただろ、どうなってるんだよ」
「それは……」
俺たちの言い合う声を聞きつけたマルスが、妙な形のステッキを振りながら近づいてくる。
「私の竜の骨折が、利き手ではなくてよかったです」
「あなたのじゃないったら!」
クララベルが俺とマルスの間に入って主張する。
これはあれか? クララベルの竜の血が、俺を独占しようとして、殺気立っている……?
――だめだ。なんだそれ、可愛い。
クララベルの動きにいちいち心が浮き立って、落ち着かない。
マルスはクララベルの牽制を聞いて、胡散臭い仕草ではははと笑う。
「さあ、ミスティさん、どうなさいますか? フォレー家の一行が出立しました、こちらで用意した死体で帰るか、生身で帰るか今が決断の時ですよ」
番の幸せを祈り、異国の地で自由に絵を描く。そのつもりだったが、クララベルの番が俺だと聞いたら、自由の意味が違ってきてしまう。
俺が苦しむのはかまわないけれど、番と離れる苦しさをクララベルにあじわわせたくない。
(こいつ、意地っ張りだしな……一度言ったことを取り消すのは難しいんだろな)
クララベルは緊張した顔で俺の言葉を待つ。
「マルス、申し訳ないけど、今はまだシュロに行けない。今回のバロッキー以外の竜の騒ぎ、俺が説明しなきゃならないこともあるだろうから。それが片付いたら、改めて考えるよ。色々準備してくれた損害については、俺が補填する」
マルスはどう見てもわざと、片方の眉を吊り上げて心配そうな表情を作る。
「それで、後悔なさいませんか? 絶好の機会ですのに」
「今回はって言ったんだ――今後のことは、クララベルに委ねようと思う。姫様は今までどうしたって俺がこの国に留まることを良しとしなかったし。それに、俺は決定に必要な重要な事実を知らされていない夫でね」
俺はこんなに意地の悪い言い方が得意だっただろうか。
クララベルが竜で、俺を番だと思っていると知っていたら、こんなに拗れることは何もなかった。
クララベルが一言、いかないでというだけで全てがうまく行った。
「だって……そんなの、ずるい言い方だわ。そっちこそ番がいるって、言わなかったじゃない」
「竜の片思いなんて重いだけだ。竜じゃないお姫様にはわからないと思ってたから黙ってた。同情されて残っても辛いだけだし」
マルスは、口元を押さえて目を細めている。笑っているのだ。
「殿下がミスティ殿を手放す判断をされたのは、賢明なことでございます。カヤロナではミスティ殿の才能は日陰に置かれるでしょう。一度帰るなんて二度手間ですから、ミスティ様はこのまま死んでしまいましょう! バロッキー家の問題については生きてる者がどうにかすればいいのです」
「待って。で、でも、ミスティは番がいる竜なのよ。番と離れるのは、とてもたいへんなことなのよ! 本当に!」
どうやら俺を行かせたくないらしい。嬉しい。
欲を言えば、マルスじゃなくて俺に言えばいいのに、素直じゃない。
「別に。お前が行けって言うなら、行くし」
茶々を入れると、クララベルは慌てだした。
「それがやせ我慢だって言ってるのよ。私にだって、番と離れるのがどれだけ難しいことなのかわかるわ。夜も眠れないでしょ? 落ち着かないし、泣いてしまうでしょ? ミスティは平気なの?」
俺がいないと、クララベルがそうなってしまうと暗に言っているのだ。
どうしよう、こいつ、意識せずにしゃべっているけど、そんなの愛の告白と変わらない。
意地を張ってるくせに、無自覚に俺を求めるクララベルに内心身悶える。可愛い。
(俺がいないと、眠れないし、泣いちゃうとかーーうわぁ、だ、ダメだ……)
また目が光りそうになって、あわてて顔を覆う。こんな顔、マルスには見られたくない。
「……やせ我慢はどっちだよ? それで、俺はどうすればいいわけ?」
「恐れながら殿下、カヤロナにミスティ殿をひきとめることは、ミスティ殿の画家としての命を絶つことのように思えてなりませんが」
マルスは悪い笑みを浮かべて、クララベルが悩みそうなことを言う。絶対楽しんでやっているに違いない。
「違うのよ、それは、まったく違うの! 間違った認識だわ!」
「いえいえ、ご心配なさらずとも、私が責任をもってミスティ殿をお世話させていただきますから。全てお任せください」
マルスは悪ノリして、俺の頬を撫でる。
クララベルは何をどう言えばいいかわからず、子どものように足を踏み鳴らした。
「だから、ちがうんだってば!」
ついに立ち上がって、マルスと対峙する。
「マルスには悪いけれど、状況が全く変わってしまったの。ミスティは私と離れた後、あなたが望むような絵を描かないでしょう」
「ほう、それはどういったことで?」
クララベルは放っておけば、髪を搔きまわして煩悶しそうなくらいに追い詰められている。フルフルとこぶしを握って、自分を落ち着かせるように息を吐く。
「竜の絵を見たのよね。あれは素晴らしいものだけど、ミスティはあの絵以上の絵を描くわ。明らかに他の絵と一線を画す傑作よ――それは、私の肖像画なのだけど……」
「ほほう、そんな絵があるのですね。それはぜひお目にかかりたい! でもシュロに移って、落ち着いて描いたらよいではないですか」
マルスは竜の絵を見に来た時に、俺の部屋で描きかけのクララベルの絵を見ている。しつこくこの絵が欲しいと言われたが、断った。しらじらしいことだ、この口ぶりでは、あれ以来ずっと肖像画を狙っていたのだ。
「ミスティだけでは生み出せないの。あの絵は、きっと、私がミスティの番だったから生まれた絵なのだから」
言って、クララベルの顔が朱に染まる。可愛い。体が自由なら今すぐ抱きしめたい。
「あのような絵は、ミスティが番と……つまり、私と一緒にいることでしか描けないものです。離れずに、一緒に歳を重ねて、私の隣で描く絵は、きっともっと素晴らしいものになると思うの」
全くその通りだ。
誕生日に描いた絵をクララベルに渡せなかったのは、我ながら国を揺るがしかねない傑作に仕上がってしまったからだ。
番ではないと嘘を繰り返してきたのに、あまりにも赤裸々にクララベルへの想いが知れてしまう。
望まれてクララベルの隣に居られるのだったら、なんでもする。
だから、俺を大嫌いだと何度も言った、その口から聞きたい。
「雄弁な演説でございますが、殿下、ですからね、殿下も一緒にいらしてはどうですか? 殿下を蔑ろにする王家にはもう見切りをつけては?」
「え……」
クララベルは一瞬とまって、目を見開いて俺を見た。
(そうか、クララベルを連れて、カロヤナを出る選択肢もあるのか)
それは甘美な逃避行にも思えた。
もう無理をして我儘な王女の仮面をかぶる必要もない。不自由はさせないし、一生俺がでろでろに甘やかして独占できる。
クララベルは目を見開いて、俺を見る。
俺が何を望むのか、考えているのだろう。
俺の幸せがどこにあるのか、何をしたいのか、どう振舞えば、それが手に入るのか。クララベルは、ずっとそればかりを考えてきたはずだ。
俺がクララベルの幸せがどこにあるかを、ずっと考えていたように。
俺はクララベルに手を伸ばす。
「俺はクララベルがいるなら、どこででも生きられるよ」
俺がそういうと、クララベルは決心したように頷いた。いや、そこは、俺の手を握れよ。
背を伸ばすと、マルスに挑むように、腕を広げて俺の前に出る。
「私は行きません。この国で、やることがあるの」
クララベルの王女らしい声音は凛と響く。
「私、竜の絵をこの国に飾るわ。竜の絵を、カヤロヤ家が掲げるのよ」
クララベルの宣言は、俺の想像を超えていた。
「クララベル、ちょっとまて。そんなんじゃなくなても、俺が大事だからそばに居るとか、そういうのでいいんだけど……」
「ちょっと黙ってて。私が、カヤロナの王女として命令するわ。ミスティ・バロッキーはシュロではなくて、カヤロナで絵を描くこと! 私が、責任を持ってミスティが自由に絵を描く環境をつくるわ。まだ時間はかかるとは思うんだけど、父様だって兄様だって動かしてみせる」
俺は思わず痛みも忘れて、突き動かされるようにして体を起こした。
クララベルは拳をかためて、演説のように声を張る。
「竜の絵が不吉だなんて誰にも言わせない。王都のど真ん中で、ミスティの絵だけで展覧会を開くの!」
「さすが殿下、ご立派です!」
マルスの適当な拍手と声援に応えることなく、クララベルは俺に体を向ける。
「ミスティが好きな絵を好きなだけ描ける国にする……だから……カヤロナにいて……あなたの絵は国民の心を動かすわ。バロッキーはカヤロナを守っていたのでしょ? 今度はカヤロナがバロッキーを守るから。お願い、ミスティ」
ぶつかるようにして、クララベルの小さな体が俺の腕の中にすっぽりと収まった。
ぎゅっとしがみついてくるこの小さな体には、ぎっしりと愛が詰まっている。
「やけに独裁的なセリフだよな」
「不満?」
「クララベルに俺を引き留めてもらいたいだけだったんだけど。まぁ、いいや」
「やっぱり、国の外に出たい?」
「まだ意地悪を言うのかよ。竜の絵で展覧会をするんだろ?」
「いいわ。約束する」
俺はいい気分で、自由にならない左手を呪いながら、クララベルを抱きしめた。
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