前夜
シュシュラのことが片付いて、もう、ミスティをこの国に引き留めておく理由がない。
結局、父に石を渡すのは延期になったまま、サリに準備が整ったと伝えた。
いつかとは思っていたけれど、あっけなくその日はやってくる。ミスティが死ぬ計画が実行される時が来た。
決行の日までは、フォレー領に逗留することになっている。
シュロとの国境はフォレー家から近い。国境を守る立場にあったフォレー領の領主は、領民を国境から遠く住まわせ、自らは国境に近いところに砦を築いた。ダグラスの堅実な性格も、そういった歴史と共に育ったからなのかもしれない。
何度も来ているフォレー家の客間は、もう慣れたものだ。
ヘラの件について、恒例のようにフォレー夫妻から丁寧な謝罪を受ける。
顔を合わせるたびに謝罪を受け続けているので、何度も平伏させてしまって心苦しいのだけれど……。
フォレー家に絡みつく悪いものを炙り出し、排除できたことの方が意義があったのだから、私は別にかまわないと思っているのに、そうもいかないらしい。
なにはともあれ、ゴーシュ家の他は、誰も罰せられなかったと聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。
*
ミスティは最後の日取りが決まってから、私と距離を置くようになった。
最後の夜だって、ただ抱きしめあって眠るだけだ。
甘えるようにぴったりと寄り添って、腰を抱くミスティの腕を軽くたたく。お別れの言葉はもう言ってあるから気が楽だ。
「明日の流れは大丈夫ね?」
「わかってるって。結婚したての妻にのぼせあがっている夫なら、うっかり崖に生えている花に手をのばしてもおかしくないだろ。モヤシだから足を滑らせるのも仕方ない。王女様は崖の下に落ちた夫のために、しっかり泣く準備をしておけよ」
そんな準備は必要ない。私は明日から番いを失った竜になるのだ。泣くのなんか簡単に決まってる。
「その間にマルスが代わりとなる『何か』をそこに置くのよね」
嫌な想像をしてしまって、互いになんとも言えない顔になる。
何度この話をしても、マルスがどうやってミスティの死体の代わりを調達したのかを考えて嫌な気分になる。
「レトさんが来るまでじっとしてろよ。俺はもう護衛じゃなくて死体なんだからな」
「わかってるわよ。何度も確認したし、レトが失敗するわけないの。さ、もう寝ましょう。明日は長いわよ」
私は大きなあくびをする。伝染したようで、ミスティもあくびをした。
「不思議と悲しくないな」
「寂しくはあるわよ」
「そうだな、寂しい、だな」
私がミスティの寂しさを感じ取れているのだ、ミスティにだって私が同じように寂しくおもっているのが筒抜けだ。
「ねぇ、聞いて。サリがね、商業用の絵は私が好きなようにしていいっていうの。私、それで展覧会を開くわね」
「いつの間に……そんな約束したのかよ」
「いいでしょ。竜の絵はないけれど、ミスティがいかに偉大な画家だったか、国民に知らしめる権利はあるわ。妻だし」
「死人に口なしだ。好きなようにすればいいよ」
見つめても、ミスティの赤毛のまつ毛が穏やかに瞬くばかりで、竜の血が沸き立ち光る様子は見られない。
「――国の外に出て、ミスティは番に出会うかしら?」
ミスティはどんな人を番に選ぶのだろう。
知りたい気もする。
絶対に知りたくない気もする。
「さぁ」
「もし、番に出会ってしまったら、もう手紙をよこさないで。前の妻とこっそり手紙のやり取りなんて、そんな野暮はしたくないわ」
「竜は番と出会えば、自然と番以外には目が行かなくなるものさ」
「ならいいけど。ヒースみたいに惚気られては、たまったものじゃないからよ」
「そっちこそ、意地を張ってないで、いい人ができたら逃がさないようにな」
「――できたらね」
私には無理なのだ。もう一生、私の心にはミスティしか住まないのだから。
なんだかやりきれなくて、ミスティの腕に飛び込めば、ミスティも同じ強さで私を抱きしめる。
「ねえ、ひとつ心配なことがあるんだけど――」
「なに?」
「――私の絵ってどうなったの?」
「絵?」
「誕生日に描いたのに、私にはくれなかった絵よ」
「ああ、あれか……」
ミスティは私の肖像画をもう一枚描いているはずだ。その出来上がりを私は確認していない。
せっかくモデルをしたのに、結局見せてもらえていなかったのだ。
「出来上がっているんでしょ?」
「まあね」
なんだか都合の悪そうな返事だ。絵を思い出すように視線が宙を行ったり来たりしている。暗くて見えないだろうと油断しているが、しまったな、と心の声が聞こえるようだ。
「ダグラスにやる約束をしてたんだけどさ、あれは俺が持っていく事にする。輸出する絵に二重にキャンバスを張って国外に出すんだ。国の検閲では額をはずせば価値が下がるから、そこまでは確認しないだろ?」
「国外に輸出する美術品の検閲には私も立ち会うから、私が見てしまうかもよ」
「あー、それは勘弁して」
誤魔化すように、私の肩に額をこすりつける。
「なんでよ、私だってみたいわ」
「あれは俺にくれよ。気に入ってるんだ。検閲でバレたら大騒ぎになるぞ」
「どうしてよ」
「わりと官能的な出来の王女様の肖像画だぞ。その場に誰もいないといいけどな」
二人だけのくつろいだ雰囲気で絵を描かせてしまったのだ。他の人の目に触れるのは確かに居心地が悪い。
「困ったものを描いてくれたわね……お願いだから絶対に他人に見せたりしないでよ」
「わかった、わかった。一人で楽しむよ。その代わりに、いつか、ババアになったクララベルの肖像画を描いて届けてやるから」
「どこかから見守ってくれるっていうのなら、元気に生きて行かなければならないわね。老婆の私の絵、楽しみにしているわ」
「ああ、絵画映えすように生きろよ」
「傲慢そうな表情で描いたら許さないわよ」
最期までこんなふうに笑って傍に居られるなんて思わなかった。
こんなお別れ、幸せすぎる末期だ。
感傷的になっていると、ミスティが不穏なことを言い始めた。
「まぁ、クララベルを描いた絵は、それだけじゃないんだけどな……」
「どういうこと?」
「裸婦は封をしてお前の所に送るように手配してあるから。俺の絵だからって、ありがたがってないで、はやく燃やした方がいいぞ」
「ええっ、冗談でしょ?」
「だって、ほら、見たら描くだろ……」
しんみりとした雰囲気がはじけ飛ぶ。
自分のあられもない絵がこの世に存在している事を知ってしまった。
自分の手で消し去るまでは安心できない。
「クララベルは、ちゃんとあの絵を燃やせるかな。なかなかいい出来だからなぁ」
ひひひと笑いながら、私の体の輪郭を視線がなぞっているのが分かる。感傷どころか、猛烈に腹が立ってきた。
「ばかぁ!」
私が背中を向けて寝たふりをしても、ミスティはいつまでも笑っていた。
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