いい人生だった


 秋晴れの、雲ひとつない空の下、フォレー家に向けて馬車が走る。

 国境警備の騎士たちを労う公務が終わって、皆、行楽の雰囲気だ。振舞われた食事で少しだけねむい。

 

(さて、ここからは我儘な王女様の出番ね!)


 馬を休ませているレトに向かって、我儘な王女様は持っていた羽根の扇をつきつける。

 

「防人のはなしでは、国境の森にすごく綺麗な赤い羽の鳥がいるのですって。私、それが見たいわ!」

 

 警備の兵士やメイドたちの雰囲気がざわつく。また私が我儘を言い出したのだと慌てている。今日の仕事はもう終わりだと思っていただろうに、気の毒なことだ。


「ですが、国境の辺りは崖になっておりまして、危険です」

「いいじゃない、崖には近づかないし、見つからなかったら羽根だけでも拾って帰るわ。誰か文句があるの?」

「護衛の者たちが困ります」

「じゃあ、こうすればいいわ。私が我儘を言い始めて、止めきれなかった、私がすべて責任を取ると明言したっておっしゃい。それだったら誰にも咎められないわ」


 護衛の者たちは困った顔をしてレトの様子を窺う。レトはいつものように冷静に私を諌める。


「姫様、今回はフォレー様宛に、急ぎの書簡を預かっております。到達を遅らせるわけにはまいりません。遠い場所でもございませんから、明日にでも出直してまいりましょう」

「どうしてよ! 私、鳥が見たいのよ。ここからフォレー家までは目と鼻の先よ」


 書簡を届ける任務をおろそかにする様も護衛を無視した勝手な行動も、なかなかの我儘王女だ。ヘラを思い出して、ふくれっ面をするのも加えた。

 機嫌を悪くした私をなだめるように、ミスティが私の肩を抱く。

 

「レトさん、それでは私が代わりについていきましょう。姫様は私がお守りいたしますよ。ほんの少し風景を眺めたら、すぐに戻りますので。申し訳ありませんが、フォレー家の方々には姫様の我儘に付き合って遅れると伝えていただけますか? 遅くなりそうでしたら、ダグラス殿に迎えに来てもらえばいい」

 

 ミスティの口添えに、レトはため息をつく。


「仕方がありませんね。では私も残りましょう。あなたたちは先にフォレー家へ向かって、預かりものを渡してください。私が警備と御者を務めて姫様をお送りしますから、馬を乗り換えてもらえますか? 書簡は責任をもってフォレー家に届けてくれますね」

「承知いたしました。大丈夫です、レトさん。間違いなく届けますので」

 

 護衛の一人がうなずくと、他の者もクララベルの機嫌をこれ以上損ねる前にと、準備を始める。


「姫様がお帰りになる前に、風呂の用意を。休ませておいた私の馬が外に出たくているだろうから、鞍をつけておいてください。そう時間はかからないはずなので」

「わかりました。お気をつけて」

「そちらも」


 レトは皆に指示を与え、一行を先にフォレー家へ向かわせる。

 後に残った私とミスティとレトは作戦を開始する。



 

「さあ、ここまではうまくいったわよ。我儘であることがこんなに効果的だとはね。それとも私が軽んじられているだけかしら」

「姫様の気まぐれは、いつものことだと思っているのですよ」

「まぁいいわ。あとはミスティが上手に飛び降りるだけね」

 

 私は悪い王女の真似をしたまま、扇でミスティを小突く。


「飛び降りないよ、梯子で降りるだけ。それにしても、笑っちゃうくらいの我儘姫だな。久しぶりに見たけど、板についてる」

「だてに長いこと我儘な王女をしてきたわけじゃないわ。人はね、自分が責任を取らないとなれば、案外私の願いを聞いてくれるものなのよ」


 私たちは国境へ向けて歩き出す。

 降り積もった木の葉が土を肥やして、歩くのに骨が折れる。歩ける靴を履いていてよかった。

 着くまでは行楽と変わらない。明るい色に紅葉しはじめた森の木々を眺めながら歩く。


「みんな、これから俺が死ぬとは思ってないだろうな。そういえば、俺が死んで、レトさんが咎められたりしない?」

「私はあくまで姫様の守護ですので。ミスティさんが勝手に崖から落ちたことに対しての責はないでしょう」

「なんだよ、薄情だな」

「レトは父様の騎士だものね。父様の願いしかきかないわ」


 私が口をとがらせて言うと、レトは意外そうな顔をする。


「便宜上ルイズワルド様の直属となっていますが、姫様の騎士として願い出たのは私自身ですよ。姫様がおられなければ、私はまたアビゲイル様のもとに戻るでしょうし」


 レトの言葉に驚いて足を止める。そんなの初耳だ。


「そ、そうなの? でも、ラッセル家は」

「姫様の騎士になるための方便です。ラッセル家にはよくしてもらっていますが、今は夫もいますし。アビゲイル様が帰って来いとうるさいので、こっそりベリル家にも顔を出しています」


 ミスティもよくわからない顔をしている。


「レトさんは、アビィ叔母さんのなんなのさ?」


 今更わいた疑問をレトにぶつけながら、国境を目指す。

 天気も気候も申し分ない一日だ。




 少し開けたところの先が崖になっている。

 目印の木の所に来ると、二本の木の幹に結わえられた縄梯子が用意されていた。マルスが夜のうちに準備させたものらしい。縄は頑丈で強度に問題はなさそうだ。


 私たちを国境まで連れて来てから、レトは見回りに行く。この季節は猟師も山に入るから、目撃者を作らないようにしなければならない。


「けっこうな高さだな。これを使って降りるにしても、高すぎない?」

「レトと落ちる練習をしていたじゃない」

「あれは落ちる練習で、降りる練習じゃないんだってば」


 ミスティは荷物から手袋や脛当てを出して、装備する。


「しっかり手袋をはめたわね。ねぇ、本当にジェームズに言っておかなくてよかったの?」

「大丈夫。止められても止められなくても同じだから。母さんにはよく言っておいて。サリと一緒にめちゃくちゃ叱られると思うけど」


 偽装したところで、竜にはミスティの死体ではないと、すぐにばれてしまうだろう。

 死体と対面する前にサリにバロッキー家に説明してもらう予定だ。それにしても、イヴにこのことを告げるのは気が重い。


「サリと一緒なら心強いわ。イヴはすごく怒ると思うけど。本当はミスティが叱られなければいけないのよ」

「サリが母さんに勝てると思ったら大間違いだからな。あいつだって母さんに怒られれば立ち直るまでにかなり時間がかかるんだから」

「う……嘘でしょ」


 二人でものすごく叱られると思うと、げんなりする。けれど、私たちはそれくらい無茶なことをしようとしているのだ。


「竜の誰かが来れば、すぐにミスティじゃないことが分かると思うけど、念のため他の者が調べたりしないよう大騒ぎをすればいいのよね」

「最後の大仕事ってやつだよな」


 私はミスティに握手を求めて、手を差しだす。


「長年の協力に感謝するわ。いろいろと不自由だったでしょ」


 ミスティは、私の手を力強く握り返して、ぶんぶんと振る。


「ずっと家にこもって絵だけを描いているよりは、絵描きとして肥やしになったと思うよ。国中を旅行したし。いい人生だった」

「私も楽しかったわ」

「それじゃな」

「ええ、頑張って」

 

 軽く頬にキスをされて、私も同じように返す。

 ミスティの新しい人生が始まろうとしている。


 崖から下を見てみれば、国境を表す朱塗りの杭が並んでいた。あとは降りるばかりだ。


「レト、遅いわね。約束の時間になってしまうわ」

「レトさんなりに気遣いなんじゃない? 近くにいる感じはする。せっかくだから、もう一回キスぐらいしとく?」

「もういいわよ、早く行って」

 

 私はしっしとミスティを追い立てる。

 ここで失敗しては、これからの計画に響く。

 

「崖には絶対に近づくなよ。いいか、レトさんが来るのを待って、気をつけて帰るんだぞ。それと、王都に帰る馬車はしっかり休憩を入れてもらえよ。足元には十分注意して。木の根に躓くからな。それに、この山、日陰は涼しすぎる。風が冷たくなる前に帰れ。それと――」


 ミスティは足元を確かめながら、ゆっくりと縄梯子を降りていく。

 あまりにも普通で、まるでここでさようならじゃないみたいだ。

 

「わかってるわよ。何よ、過保護ね」

「俺が過保護に言う意味が、そのうち分かるよ。おまえたちこそ頑張れよ」


 軽口をたたきながらミスティは更に遠ざかる。


「ちょっと待って、忘れ物があるわよ。一度戻ってきて」

「え? なんだよ、締まらないな」


 しぶしぶ崖から顔を出したミスティの赤毛の頭を捉えると、梯子を掴んではなせないミスティに口付けた。


「はい、もう何もないわよ。行って」


 パタパタと手を振れば、ミスティが腹を下したような顔をしている。


「お前な……あ――」


 鳥が一声鳴いて空に飛び立つ。あれは、話に聞いた、赤く長い尾をした美しい鳥だ。

 

「――あ」

 

 私たちは同時に同じ方向を見た。何かの気配がする。すごくよくない気配だ。

 

「誰か……いる、わ」


 どうして気が付かなかったのだろう。みるみる気配が膨れ上がる。

 荒々しい獣に似た気配だ。

 身構えていれば、気配の方から矢が飛んできた。明らかに私の方に向かって矢が飛ぶ。


「え? 矢?」


 かすかな音を立てて、次から次へと矢が飛んでくる。かろうじて、矢の流れを目で追って避ける。


「ベル、伏せて!」


 急いで崖から這い上がってきたミスティが、私に覆いかぶさった。

 すると、矢の攻撃はぴたりとやむ。

 代わりに茂みからこちらに近づいてくる気配がする。人ではない、知らない竜のものだ。

 

 茂みから現れた黒づくめの男は、長い銀の髪をかき上げて、こちらを睨みつけていた。

 間違いなく竜だ。彫刻のように正確に左右対称に配置された美しい瞳は緑色なのに、虹彩を彩る血の赤さが膨らんで真っ赤に燃えている。

 

 竜は矢をつがえたまま、こちらに近づいてくる。

 煌々と目を赤く光らせて、少し口の端をあげたところから、尖った犬歯がのぞいている。


「誰?」

「知らない奴だ、竜だよな?」


 ミスティが亡命するのを妨害しに来たのだろうか? 私はミスティを崖のほうに押しやる。


「ミスティ、早く逃げて」

「いいえ、ここから落ちるのはミスティさんではありませんよ」


 銀の竜は口の端を引き上げて、笑みの表情を作る。

 

「ミスティ・バロッキーさん、初めてお会いいたします。私はヨミヤの竜、ナイカと申します」

 


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