王女の命令
レトは私の背の方に離れて待機している。
異変を知らせるために、菓子に手をのばしながら、レトにそれとわかるように呼びかける。
「レト、何を怠けているの! こっちへ来てこの菓子をお食べなさい! 粉を口の周りにつけたら許さないから」
私は菓子を食べながら、わざと高飛車な言い方でレトを呼ぶ。
レトは異変を察したようで、すばやくやってくると私とメイドの間に立ち、何食わぬ顔をして菓子をつまんだ。
「もう! ほら、やっぱり顔についてしまうわ。食べづらい菓子ね。これじゃ、顔中を拭かなきゃならいわ。ねぇ、ちょっと、あなた、それは手拭き用の布よね。それじゃなくて、顔を拭く用に違うものを持ってきて」
私がメイドの方を向くと、メイドが手拭きの載った皿を掲げ、身をかがめて震えている。
「聞こえないの? それじゃなくて、別の物を持ってきてって言ったのよ」
この場で何か起こされてはヘラかユーノの責任になってしまう。捕まえるにしても、このメイドには一度この場から離れて欲しい。
我儘なお姫様なら、メイドにちょっと面倒な注文を付けてもおかしくない。
メイドが奥に引っ込んだところで、レトに捕まえてもらおう。
ところが、メイドはその場から動こうとしない。
「お、おそれながら、この手拭きも十分柔らかい布ですので……」
メイドは私の提案を受け入れず、頑なに皿に載った手拭きを掲げ続ける。
キュッと目を瞑り、明らかに様子がおかしい。
(困ったわね。ああ、この子、脅されているんだわ……)
このメイドは、誰かからそうするように強要されているのだ。
普通であれば、王女が命じたことではなくても、別のものを要求されれば、一度下がってから違うものを持って来るものだ。
自分の身の危険も顧みずに、震えながら手拭きを私に使わせようとしている。他に代わりがないのだ。
「姫様、どうなさったの? 何かメイドが失礼なことをしたかしら? まったく、フォレーの菓子が食べづらいなどと、言いがかりも甚だしいですわ。手が汚れたくらいでメイドに当たるなんて、高貴な方って自由でいいわね。ほら、あなたも、鈍臭いわね。お姫様がお怒りよ。言いつけ通りに早く別のものを持ってきなさいってば」
ヘラが私に嫌味を言いながら、メイドを攻撃し始める。
「ヘラ、いったい何をしているの。ダグラスに姫様に対する態度を改めるようにと、あれだけ言われたじゃない。ねぇ、あなたも姫様の言うことを聞いてちょうだい。どうしたっていうの?」
ユーノがヘラの袖を引いて小声でヘラを黙らせようとする。メイドにも小声で言っているけれど、私には筒抜けだ。
ヘラはユーノを突き飛ばして、メイドを睨みつける。
レトとヘラとユーノに挟まれて、メイドは更に怯えた。
「これを、姫様に……」
「もういいって言っているのよ」
ヘラがいらいらと言っても、メイドは頑なに下がろうとしない。
私にシュシュラの油を浸みこませた手拭きを届けることを遂行しないと、どうにかされてしまうのだろうか。
(メイドが主犯なのは間違いないけれど、メイドに指図した者がいるのよね。やはりヘラなのかしら、でもユーノだって絶対違うとはいいきれないわ。それともこの二人とはまた別なのかしら……)
私はこの場でどう振る舞うべきか、考えあぐねていた。
「ヘラ、あなた……なにかした?」
とりあえず、いちばん怪しいヘラに意味深に問いかけると、ヘラの様子が一変する。
「なんですの? 何をおっしゃっているのかさっぱり。もてなされた茶会で騒ぎを起こすなんて、私たちに何か恨みでもあるのですか? 昔から変わらず嫌な方ね」
ヘラの攻撃は、私に矛先を変える。
心が落ち着かないのか、しきりに髪へ手をやって撫でつけている。
(どうしよう。いかにも怪しいわ)
ヘラかユーノが黒幕なのだとしたら、この時を逃せば犯人を逃すことになってしまうかもしれない。
私が気が付いたと知れれば、証拠は隠滅されてしまうだろう。
そうしているうちに、一つの案が浮かんだ。
短絡的過ぎるとは思うが、これなら犯人をあぶり出せるかも知れない。
私は意を決して、偉そうに腕を組んで椅子の背もたれに背を預け、高く足を組む。かなり不作法なのは承知だが、しかたがない。
ここからは我儘な王女、クララベル・カヤロナの出番だ。
息を極限まで吸って、長々とため息をつく。
「ヘラ、ユーノ、あなたたち、私が何も言わなければ、とことん私を王女として扱わないつもりね。自分たちの立場が分からないって愚かだわ。毒見もつけずに菓子を差し出したり、気の利かないメイドを私につけたり。私の名前にカヤロナとつくのを忘れているみたい。いつまでもそういう態度なら、あなたたちの国に対する忠誠を試す必要がありそうね。身の証をたてたいのなら、そうね、その役に立たないメイドの代わりに、あなた方にメイドのまねごとをしてもらうとか……」
ほほほほと私は高笑いを上げる。
まぁ、王族として間違ったことは言っていない。
私は純粋な王家の一員で、本来なら王太子に並ぶ。しかし、立場上、目立った権力の使い方をすれば身が危険になるので、特に主張はしてこなかった。
本来は他の兄弟姉妹よりは敬われる存在のはずだ。
「愚かなメイドさんたち、まずはその手拭き、手ずからとって、私に丁寧に渡してもらおうかしら。この国の王女として、フォレー家の婦人候補への最初の命令よ」
苦肉の策だったが、私は一段声を低くして、王女の表情と声で二人に命じた。
権力を伴った物言いに、ヘラがびくりと身を震わす。
「フォレー家の婦人となるなら、国に忠誠を誓うことになるわ。あなたたち、ちっともわかっていないわね。この国にはまだ不敬罪が残っているのよ。王族に無礼を働き、反逆する者を、私の一存で投獄することが出来るってことを忘れているわ」
「え……」
ヘラは不敬罪の存在を知らなかったのだろう。びくりと身を弾ませる。
もちろんそういった法があっても、使いどころのない古い法律だ。不敬罪で投獄された者は近年ではほとんどいない。
(私が、もし本当に不敬罪で誰かを投獄するとしたら、真っ先にミスティを牢屋行きにするけれどね)
会って間もない頃、私を叩いたことはまだ水に流していない。
「国の王女である私に敬意を払えない者なら、排除すると言っているの。いい、よく聞いて。その決定はね、どれほど富があるかで許されるものではないのよ。私が気に入るか気に入らないか。フォレー家の婦人になるつもりなら、私が命じれば、メイドのように私に這いつくばることだってできるはずよね?」
今の私は間違いなく、ヘラの言う我儘姫に相違ない。とびきり意地悪そうな顔もしているはずだ。フォレー家の婦人になることを天秤にかけられ、勢いのあったヘラは一瞬で怯んだ。
ユーノは身を縮めて震えている。
「そ、そんな……」
「あら、いいのよ。フォレー家の結婚に意見する権限が、私にはないと幻想を抱いているならかまわないわ。でも、いいの? 私、気に入った方を次の婦人としてフォレー伯爵に進言するわ。つまりね、私に従える娘が次のフォレー夫人よ。さあ、誰が手拭きをとるの?」
ヘラはとても困った顔をした。手を伸ばそうとしてその手を自分で握りしめる。
それを見たユーノは、素早く立ち上がると、小走りでメイドの方へ向かう。
「はい。クララベル様、ただいまユーノが参ります」
必死な顔でユーノが皿の上に手を伸ばして、手拭きを取る寸前で、レトがユーノの手を押さえた。ユーノは寸前で止められて、困惑した表情で私とレトとを交互に見る。
「そう。ユーノ、ありがとう。今の働き、覚えておくわ。では、ヘラ、あなたね。あなたがこのメイドにやらせたの?」
私は意地悪姫役を放り出して、パンパンと手を打ち鳴らし、終幕を告げる。
レトはメイドから皿を取り上げると、その場に伏せさせた。
「クララベル様、いったい……」
ユーノは一連のことがさっぱり分からない様子で、魚のように瞬きもできずに途方に暮れている。レトはメイドの手と足に簡易の縄をかけ動けなくして、フォレー家の警備のものを呼び寄せる。
「一時はどうなることかと思いましたが……姫様、よくおわかりになりましたね。これがそうなのでしょうか?」
レトが皿に載った手拭きの匂いを嗅いでみるが、わからなかったようで、首を傾げている。
「そうね。その手拭きから匂いがするわ。私、王女よね? なんだか、犬か何かになったみたい」
ヘラは企みの主犯だと名指しされたのがわかったのか、今度は言い訳をはじめた。
ユーノはいったい何が起きているのか、まだわからないようでオロオロしている。
「姫様、そのメイドが何かしたのですね! 手拭きはメイドが用意したものです。そのメイドがやったんだわ」
「そうね。そして、あなたが、命じたのね」
私が断定すると、ヘラは演技ががった顔で髪を振り乱して否定する。
「いいえ、いいえ、違います! めっそうもございません。私は何もしてないし、そんなメイド知りません」
不敬罪の存在を知ったヘラは、変に丁寧になった語尾で、どうにか逃げようとしている。
そうしていると、騒ぎを聞きつけてミスティが小走りでやってきた。事情のわからないダグラスは、険しい顔をしてついてくる。
「なんの騒ぎだ?」
ダグラスはヘラとユーノに尋ねるが、どちらも気まずそうに口を閉じて動かない。
「――お許しください。お許しください……」
静まり返る中庭に、地に伏してすすり泣くメイドの声ばかりが響いている。
「……この匂い、シュシュラか?」
すぐに気がついたミスティは、私を引きずるように皆から遠ざけて、無事を確認する。
シュシュラの匂いを嗅いだ時は、気が付いているのが自分だけだった。どうにかしなければと気を張っていたので、状況を理解してくれたミスティがすごく心強い。
「手拭きから匂いがしたのだけれど、私は触ってないわ。レトがもっているのがそれよ。どうやらヘラが何かしたみたい」
「あれはヘラの仕業だったのか……」
ミスティが私を引き寄せて、さらにヘラから遠ざかる。
「いいえ、私は何も……本当です。そのメイドが勝手にやったのです。目をかけてやっていたのに、姫様になんてことを……」
そんなメイド知らないといった口で、ちぐはぐなことを言うヘラはおかしな行動をとりはじめた。伏して泣いているメイドに、テーブルの菓子を取って投げつけた。
その前にユーノが飛び出して、メイドをかばう。
「やめて、ヘラ! それより、シュシュラって、あなた、やっぱり――」
事情が分かってきたのか、ミスティがシュシュラと口にしたころからユーノの表情が険しい。
「何よ、ユーノ、そのメイドをかばうの? あやしいわ……そうだわ、そのメイドに指示したのはきっとユーノよ! ユーノが私を陥れようとしたの。本当に、あさましい女だわ」
ユーノが何か話し始める前に、ヘラは大きな声でユーノを罵り始めた。
「ユーノ、何か事情を知っているかい?」
ダグラスが説明を求めるが、ユーノは口を閉ざしたまま何も言おうとしない。
「ほら見なさい、なにか後ろ暗いところがあるのよ。だから黙っているのだわ」
今度はユーノに罪を着せようとしている。ヘラの行動は、めちゃくちゃだ。
「いいえ、ユーノはそれがなんなのか今の今まで知らなかったわ。私が命じた時に、手拭きに手を伸ばしたのはユーノだけ。ヘラはそれがシュシュラの染み込んだ手拭きだと知っていたから、手に取れなかったのよね。不敬罪で捕まるかもしれないっていうのに、私の命令に従えなかったのはそういうことだわ」
「へ、屁理屈です。まだ、どこもかぶれてないじゃない」
「シュシュラは特別な物よ。絵も描かないあなたが、どうしてシュシュラの効能を知っているの? それも自供のように聞こえるわ。レトも今の聞いたわね」
「はい、確かに。ダグラス様、今ここで起きていたことを報告いたします。姫様は、ヘラ様の差し出した菓子を食べた後、手拭きが必要になりました。シュシュラの染みた手拭きを持ってきたメイドは、ひどくおびえていました。ユーノ嬢は姫様の命令通り手拭きをとろうとしましたが、ヘラ嬢は命令に逆らってまで、手拭きに触れるのを嫌がった。これが私が見た一連の内容です」
レトが簡潔に告げると、ダグラスは「なんてことだ」と額の汗を拭った。
「ぐっ……何よ、ばかばかしい」
ヘラはいつものように、この場から立ち去ろうとしたが、レトに阻まれる。
「今回は退場すること、まかりなりません。王女を害そうとした罪、軽いものではありませんよ」
「な、なんですって。私はフォレー家にたくさん献金しているゴーシュ家の者よ。不敬罪だかなんだかしらないけれど、パパが交渉してくれるわ」
「存じております。しかし、ここはカヤロナ国、カヤロナの法を順守する国です。不敬罪も反逆罪も重い罪でございます。金銭で解決できるものではございません。言い逃れをしようとなさってもゴーシュ家の為にはなりませんでしょう」
レトの毅然とした説明に、ヘラは不機嫌になる。
「なによ、姫の付き人風情にそんなことを決める権限はないわ」
「誤解なさっては困ります。私は姫の守護者でもありますが、実のところ、陛下から大きな権限を借り受ける王の騎士でございます」
そう言ってレトは剣の鞘についた布の覆いを取ると、刻まれた王の紋章を見せる。
普通ならばそこに騎士の紋章が刻まれているはずだ。潜入捜査が多いから鞘に覆いをしているのだと思っていたが、そんな秘密が隠されていたとは知らなかった。
「私の目は陛下の目です。私が見たものは全て陛下にお伝えすることになっております。私がたった一人で姫様の守護につく意味をお分かりになりませんか?」
レトの特異な存在はあまり語られない。レトは役職に付いていないにもかかわらず、団内で何かあれば必ず部署を超えて解決に駆け付ける。父を、こっそり竜の住処に連れて行くために馬車を手配するのもレトだ。
レトは国の騎士ではなく、私の騎士でもなく、父様の直属だったのだ。
「荷物にシュシュラを仕込んだのもあなたね」
私は、少なからず衝撃を受けたけれど、目の前の事件に集中しようとする。
「そんなわけありませんわ。だいたい、どうやって国へ納める品を私が細工できるとおっしゃるのですか? 化粧品は何重にも検品されるのでしょ?」
「ええと……そうね。どうしましょう。私、まだ何も言ってないんだけれど……」
また追及に手間がかかることを想定していたのだが、あまりにも不用心に自白に相当することを暴露してしまったヘラに驚いた。
レトの方を見ると、レトも困ったように笑みをうかべている。
「ヘラ、私まだシュシュラが何だという話も、細工されていた品物が化粧品だという話も、何も言っていないわよ。あなた、何から何まで自白してしまっていいの?」
「ええっ! 違うわ、私じゃないわよ。なによ、私に意地悪しようとしているのね! ひどい我儘姫だわ! きらい! だいっきらい!」
指摘されて、逃げ場を失ったヘラは、ついに癇癪をおこした。
足も手もバタバタさせながら怒っている。ダグラスは屋敷の警備の者たちに指示を出すと、暴れるヘラを両脇から取り押さえさせる。
「あの……クララベル様。わたしの家に、ヘラの行ったことの証拠がございます」
「どういうこと?」
「ヘラが取り寄せたシュシュラの納品書がございます。ヘラは
「それを持ち帰ったの?」
「ヘラは絵も描かないのに、よくわからない油だけを画材として取り寄せていて。気になって納品書を持ち帰って、なんなのか調べてみたのです……あの時の油が、こんなことに――」
「それだって偽物よ! ユーノが偽造したんだわ。なんだったら、ユーノが取り寄せたんじゃないの?」
「ヘラ嬢、お静かに願います。しかしそれは実際に見て見ないことには判断のしようがございません。ダグラス様、この件は、王宮で起きた事件とも関連がある可能性があるのです。私が預かってもよろしいでしょうか」
「陛下の御心のままに。ユーノはこちらへ。父に話をするときに何があったか説明してくれないか。それから証拠の品を取りに行こう。ラッセル殿、私も同行して不正の無いように致します」
ダグラスがユーノを近くに呼ぶと、ユーノは逆に一歩下がった。
思いつめた顔で唇を噛んでいる。
ユーノは決心したように私の方を強い視線で見ると、初めて聞くような堂々とした声で私に告げる。
「恐れながら姫様、証拠の品を渡す代わりに、一つお願いがございます。それを聞いてくださるのなら、証拠の品をお渡しいたします」
ユーノの瞳には強い意志と悲壮な影が潜んでした。
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