ユーノの懇願
「二人だけでお話しすることは可能でしょうか」
数刻後、ダグラスとともに一度家に戻ったユーノは、封筒の中に入れた証拠の品を持参した。
私に手渡そうとはしないで、しっかりと握っている。
「ユーノ、姫様に対して交渉するような真似は……」
「ダグラス、これっきりにするから、どうか許して。どうしても、姫様にお話ししなければならないことがあるの。それで罰を受けるなら仕方がないことだから……」
ダグラスが心配そうにユーノを見るが、ユーノの決心は揺るがない。
ユーノの真剣な様子は気になるが、レトもミスティも、私を一人にしようとはしないだろう。
「レトを外して二人きりになることはできないわ」
「でしたら、騎士様に聞いていただいてもかまいません」
ユーノは証拠の納品書を握りしめて、目を伏せている。
ただ話を聞いてもらいたいだけで、封筒を渡さないつもりなのではないのだろうが、昏い目をしているのが気になる。
「いいわ。レト、人払いを」
皆が部屋から出て行って、ユーノはしばらくうつむいていたが、顔を上げると、何かをすっかり失ってしまったような途方に暮れた顔で私に訴えた。
「クララベル様、この証拠の品をお渡しする代わりに、お願いがあると申し上げました」
「ええ。それで、改まって、何が望み? 私の権力でどうにかできることって、それほど多くないの。私に出来ないことだったら、あきらめてね」
私は鷹揚にユーノに尋ねる。オリバーの妹が訪ねてきたときのことを思い出してしまって、気が重い。
本当に私は名ばかりの王女で、さっきは犯人を見つけるために大きなことを言ったが、フォレー家の結婚に口を出す権利なんてあるはずもないのだ。
我儘姫の演技が効いてしまっているのか、ユーノは私の足元に跪くと、神に祈るようなしぐさで手を組み合わせ、私を見上げながら望みを言った。
「姫様がダグラスをお召しになるようなことがあっても、どうかフォレー領にいるときだけは、私がダグラスの傍にいることをお許しいただけませんでしょうか。結婚など望みません。決して王都には顔を出しませんし、子も作りません。私は誠心誠意、ダグラスを支えて、フォレー領に骨を埋める覚悟でおります。ですから、クララベル様のいらっしゃらないときに、ダグラスを慰ることをお許しいただきたいのです。それだけが……それだけが、私の望みなのです……」
語尾が涙にぬれて不明瞭になりながらのユーノは訴えに、私はめまいがするほどの衝撃を受ける。
「え、え、えええええ?!」
淑女にあるまじき悲鳴を上げて、目を白黒させる。
想像したことのないような不道徳な話をされている。しかも、ユーノの話の中で悪役は私だ。
(不倫だわ、不倫の申し込みなんだわ。しかも身に覚えのない話?!)
「な、な、な、何を言っているの? 私には夫が、ミスティがいるのよ! それに、私、ダグラスとは何の関係もないわ。今までも、これからもよ!」
王女の威厳なんてかなぐり捨てて、手をぶんぶん振って否定する。
「それが建前だということは存じております。ミスティ様とは国王陛下に命じられた国の為の婚姻で、姫様は本当はダグラスと――」
そこで我慢の限界が来たのか、嗚咽を漏らして泣き出してしまう。
(なんなの、泣きたいのはこっちよ!)
「どうしてそうなるのよ。違うったら!」
レトの方を見ても、腕を組んで首をかしげるばかりで、助けてくれる気はないようだ。
「私、ミスティ様が初めてフォレーの屋敷へ来られた時に、聞いてしまったのです。ミスティ様が、ダグラスにクララベル様を譲る話をしているのを、っ、うっ……うっ、ううっ……」
「ちょっと、いやだ、泣かないで、ユーノ」
そのまま床に泣き崩れるユーノを抱き起して、私は湧き上がる怒りで震える。
「あ、あ、あの二人……」
私は自らドアを開けて廊下に出ると、大声で二人を呼んだ。
「ミスティ! ダグラスも! すぐに、ここへ来なさい!」
私はちょっとないくらいに腹を立てて、入室してきた二人を叱り飛ばす。
「ミスティ、どういうことなの! ラグラスに私を譲る話をしたってどういうこと? 冗談にしてもあんまりにも悪質だわ。この子、泣いてるじゃないの!」
二人とも気まずい顔をしている。
「だってさ……」
「だって、なによ! ダグラスだってダグラスよ、婚約者候補がいるっていうのに……なんて馬鹿なことを」
サリに指を折られそうになったのも忘れて、ダグラスに人差し指を突き付ける。
まさか、二人でこそこそと、そんなことを企んでいるとは思わなかったのだ。
「違うのです、クララベル様っ、ダグラスは、クララベル様のことを、お慕いしているのです……もうずっと前から、姫様を……っ、うっ……ぐっ……」
ユーノは自分が伝えようとしたことに自ら傷ついたのか、また嗚咽に戻ってしまう。
「え、ええ? そんなこと……」
今の私には、そんなことありえないと続けることは出来なかった。
善意や良識と受け止めてきたけれど、ダグラスの私への心の傾け方は、それだけではなかった。
番を持った女性の竜は、異性からの接触を不快な感覚として受け取る。しばらく暮らしてみて、周りの騎士や御者と比べて、ダグラスやオリバーに触れられた時の不快感は特別大きかったのがわかった。
何が別の異性と違うのか、うっすら思い至ってはいたのだ。
「ミスティがダグラスを巻き込んだのね」
ダグラスに突き付けた指先をミスティに向ける。
「俺だって必要に迫られてさ……」
「なによそれ。私をフォレー領にやることが、銅山の為に必要だったから?」
私が銅山に関わり続けることは、王家とバロッキーとの切れない関係を維持するためには良い策かもしれない。
だが、きっとそれだけではない、ミスティなりの考えがあるのは分かっているのに、どうしても意地の悪い責め方しかできない。私が尖れば尖るほど、ミスティだって同じ刺々しさで返してくるのに。
「
ミスティは不機嫌そうに言い捨てる。
なるほど。ミスティは、恩を売ったサンドライン家に嫁ぐなら初婚でなくとも角が立たないだろうと、私が思い付きで話したのを気にしていたのだ。
「何が悪いのよ。先のことはミスティには関係ないってずっと言ってるじゃない。自分でどうとでもできるわ」
「出来そうにないから、こんなことになってるんだよ! 少しは周りにいる人の気持ちを汲めって。おまえが本当に自分の幸せのために生きられるようなヤツだったら、周りは何の心配もしないんだよ。人に心配かけているのが分からないのかよ」
「心配してなんて言ってないわ!」
「そう言うと思ったから俺だって言わなかった。陛下の命令なら何でもいいんだろ。仲の悪い竜とだって命令通りに結婚したくらいだもんな。この話がうまくいけば、フォレー家への牽制として、国王のオジサンが姫様をダグラスに嫁がせるだろうって見込みだった。お望み通りの王が決める結婚だ。文句言うなよなっ!」
ミスティが言いたいことは理解できるが、愛憎がぐちゃぐちゃになった感情で、なんと返していいのか分からない。
欺かれたことより、ミスティから本当に突き放されようとしている現実に、竜の血が暴れそうになっている。
「いけしゃぁしゃぁと……だからって、こんなのないわ! 誰が幸せになるっていうの? あらら、あら、まぁ、私? 私の為だったの。本当にありがとう、ほほほ……って言うと思う? はっ、とんでもない勘違いね」
憎たらしい態度で私を見下ろすミスティに、同じくらい嫌な態度で皮肉を返すが、だんだん悲しくなってきてしまう。これ以上ミスティと話したら、絶対に泣いてしまう。
腕を組んで開き直るミスティと、言い争いを続けるのを我慢して、ダグラスの方を振り返る。
私とミスティの喧嘩に驚いたのか、ユーノは泣き止んで、ダグラスは少し頬を引き攣らせていた。常のように激しい言い争いを始めた私達は、二人には別人のように見えただろう。
「……ちょっと、ダグラスに話があるの。ユーノもそこにいてもいいわ」
大騒ぎをしていて使用人たちが集まってきてはたいへんだ。それでなくとも、フォレー夫妻を面倒ごとに巻き込んでいるのだから。
「ミスティは今すぐ出て行って! 顔も見たくないわ。部屋で私に叩かれる練習でもしておくことね。不敬罪で投獄するなら間違いなくミスティよ! 勝手なことばかりして」
「ああ、そうかよ。反省文でも書いてりゃいいんだろ、王女殿下」
ミスティは不機嫌そうに部屋から出て行った。
あとに残された私は、ユーノから証拠の品を受け取ると、レトに手渡した。証拠の品となるかどうかを確認するといって、レトは席を外す。
レトの秘密も知ってしまった。レトはただの騎士ではなかった。
私の様子をすべて父様に伝える役目として私の傍にいたのだ。
ずっと前から……。
*
「それで、ユーノは、私とダグラスがそのような関係だと思っていたのね」
ミスティが出て行って、少し頭の冷えた私は、椅子に腰を落ち着けて、ため息をついた。
「思うだけではありません。ダグラスは昔から姫様を好いておりました」
「ダグラスが私を好きだなんて……」
私はそれを、誤解だと笑い飛ばすことが出来ない。
私の中の竜は、ダグラスの気持ちに敏感に反応して、拒絶したのだから。
ダグラスは私を望んでいた。その事実が辛く重い。
「ユーノ、この話には、たくさんの誤解があるわ」
私には、次のフォレー婦人となるユーノを、このままにしておくわけにはいかない。
誤解を解いて、ダグラスとの仲を修復してもらわなければ。
私が何か言う前にダグラスが静かに笑った。
「いや、誤解ではないこともある。クララベル様、私はずっとクララベル様を好いていた。それは事実だ。ユーノも知っている」
ダグラスはずいぶん落ち着いている。そこに感じる熱量は、いつも通り穏やかなものだ。
ダグラスの人柄は、いつも私に安心を与えてくれていた。
「私、誰かに愛を告げられたのは、初めてだわ」
驚いて、はにかんで笑う。
王女として生きてきて、異性から愛を伝えられるようなことがなかった。幼馴染のダグラスからの告白は、優しい気持ちを運んできた。しかし、そのむず痒さは、すぐに苦いものに変わる。
ダグラスの気持ちに同じだけ真摯に向き合いたい。そう思えば思うほど、顔が強張る。
「ありがとう。その気持ちに報いるために……何か、王女として力添えが必要なら、なんでも協力するわ。あまり良い提案だとは思えないけれど、ミスティが去った後に、私を妻にと望むならそれでもかまわない」
私は喉を詰まらせたようになって、目の前の心優しい幼馴染を見つめる。
今までのダグラスとの思い出を辿る。同年代の者たちが集まる場で、ダグラスは他の若者たちに比べてずっと穏やかだった。ダンスの相手としてエスコートに応じたこともある。冗談を言い合ったり、秘密にしていた絵を見せたこともあった。ミスティの絵について話したのもダグラスだけだ。
ダグラスに不快にされたことはない。どれもこれも、穏やかな楽しいことばかりだ。
「でも――」
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