フォレーの神話

 ミスティが探し出した黄鉄鉱おうてっこうは親指ほどのサイズだった。愚者ぐしゃの金を掘り当ててしまったとミスティは落胆したが、黄鉄鉱は私がこっそりと持ち帰る事にした。

 ミスティが竜の力に挑んだものだ、そのまま捨ててしまう気にはなれない。


(やっぱり、番の在る無しが竜の力に関係しているのかしら。番がいた母様は簡単に石を見つけていたものね)


 もうあきらめているが、私がミスティの特別ではないことが少し悔やまれる。

 

 ミスティがダグラスと連れ立って分家の滞在所や周辺の利便性を整えるのに奔走している間、私はフォレー家の老執事に付き添われて、レトと地元の美術館や画家のアトリエを訪ねることになった。


 今日は伝統的な織物の工房を訪ねている。

 私を出迎えた年老いた職人は、ロローンという弦楽器をとりだして、どっかりと古めかしい敷物に腰を下ろすと、房飾りを読みながら昔話になぞられた曲を演奏しはじめた。

 心に染みるようなロローンの長く伸びる音が、神秘的に室内に響く。

 私のコレクションにも一房あるが、これだけ長く大きな房飾りを見たのは初めてだ。

 サラサラと揺れる房飾りは、太古の神々がこの地に知恵と富をもたらした様子を伝えている。

 きっとこの国がカヤロナと呼ばれる前から、フォレーの民は信仰と共に健やかにくらしていたのだろう。

 目を閉じて弦から引き出される音に身を任せると、フォレー領で見た様々な風景が思い出される。

 

 フォレー領の滞在の日程は残り少ない。

 約束通りダグラスに連れられてフォレー領の観光にも出かけたし、もうすぐ帰り支度をしなければ。

 

 今回の旅で、ミスティのしようとしていることが分かってよかった。

 ミスティの名を冠した銅山は莫大な利益を生むだろう。それは国にも利益をもたらすものだ。

 言い出しっぺがミスティなのだから、ミスティがこの国からいなくなってしまった後も、銅山とともにミスティの名前は残る。退場の仕方としてはとても美しいものになるはずだ。

 本当なら経済的貢献者としてよりも、稀代の画家として名が残ったほうがよかったけれど、何もないよりはずっといい。

 ミスティが去っても私にはバロッキーとのつながりが残るのだ。ぼーっとしてはいられない。


 曲は後半になって、神話は神々が知恵の象徴である赤い星を空に打ち上げ、星座にする場面に移る。


(赤い星なんて、まるで紅玉祭の話みたいね。まぁ、竜の赤い星は恋人のことだから、この話とは違って神秘性からは遠いけど)

 

 ミスティとダグラスの密会を、誤解していた。

 ミスティが去った後、私をフォレー領に行かせる計画をたてていたのだと思っていたが、ダグラスがミスティに協力的なのには別の理由があった。

 それは、引き伸ばされているダグラスの婚約に関係する。

 フォレー領の税収は多くがゴーシュ家の持つ土地からやってくる。ゴーシュ家の協力なしにフォレー家は経済を維持できないでいる。フォレー家にはゴーシュ家との縁談を断れるだけの経済な余裕が必要なのだ。

 今は財政的な理由でヘラが優勢だけれど、銅山が動き始めれば、ダグラスがユーノを妻として迎える希望が出てくる。

 ヘラは、フォレー家を代表して王都での社交には不安の残る娘だと思う。王族に敬意を払えない娘を領主の妻とすればフォレー家は社交界での立場をなくす。

 二人は常にない速さで銅山開業に向けて動いている。ダグラスにとっても銅山の開業は急務だったのだ。

 

(ずっと気を張っていたようだけれど、帰路につけばレトも少しはゆっくり休めるかしら)

 

 私はロローンの荒々しい音を聞きながら、ずっと私についていてくれているレトをちらりと見た。神話は赤い星がどこかに奪われる場面で、職人はじけそうなほどに力強く弦を掻き鳴らしている。

 

 レトの警備にゆるみはない。

 レトはフォレー領に来てから少しピリピリしている。化粧品に混ざっていたシュシュラの出所が特定できずに、まだ探しているのだ。

 

 明日はもう帰る支度をしなければならない。疑惑の真相にはたどり着けなかったけれど、もうこれ以上何もないのならそれでもかまわないと思っている。

 誰かが一時の気の迷いで、間違ったことをしてしまった可能性もある。

 思っていた以上のことをしてしまうことはある。私にだってそうだった。

 今後、何もなければ今回のことは水に流してしまったっていいのだ。もう私に関わり合いにならないのなら、それでいい。


 神話は悲しそうな終盤の物語にさしかかり、神々が土の中に戻っていくところで、職人は演奏を終えた。

 

 


 *




 昼過ぎの客間は、涼しい風が吹いて眠気を誘う。

 ミスティが隣にいるなら寄りかかって昼寝をしてしまいたいぐらいだが、今日のミスティはダグラスのものだ。ミスティとダグラスは書類を持ち寄って真剣に話し込んでいる。

 そんなときに、メイドを押しのけてヘラが客間に入ってきた。


 この前の騒ぎから、ヘラとユーノは私の前に姿を現さなかった。遠くに姿が見えるが、私には近づいて来ないから、ダグラスかフォレー卿に接近を禁止されていたのかもしれない。


「クララベル様、私たち、ささやかながら茶会を用意致しましたの。ダグラスも後からきますから、一緒にお話しませんか? ユーノも参りますから」


 今日の態度は堂々としたものだ。ダグラスも黙認しているようだから、私たちが発つ前に二人でもてなしてくれる予定だったのだろう。礼儀正しく淑女の礼で私に伺いを立てる。


 ミスティとダグラスの話はまだ続きそうだ。面倒なことになったが、仕方がない。

 面倒な相手と時間をつぶすのは王女の日常ともいえる。私は機嫌よくうなずくと、ヘラが案内する中庭にレトとともに移動した。


 フォレー式の庭園は明るい色の花が贅沢に植えられている。

 秋や冬には温室から咲いている花を取り出して飾るのではなくて、寒い時期に咲く種類の花に植え替えるのだそうだ。

 花の香りが私を楽しませる。もてなしとしてこれ以上の会場はないだろう。

 

「クララベル様、お口になさらない物や、苦手なものはございませんか? 海のものもございますから、慣れない味かもしれませんが」

 

 待っていたユーノがテーブルに整えられた皿の向きを確認している。

 華やかな絵が描かれた茶器が私を迎える。私の本当の好みはさておき、彼女たちなりに王女の好みそうなものを色々と考えて準備してくれたようだ。

 

「特にないわ。素敵な茶器ね。あなたたちが用意してくれたの? 菓子も美しくて素敵。これは何のお菓子? こんなにふわふわ。見て! 風に揺れるほどよ」


 フォレー夫妻の落ち着いた伝統的もてなしとは違って、若者らしい色付きの菓子が皿に並べられている。今日は、ヘラも働いてテーブルを整えたようだ。ヘラの前にも色とりどりの菓子が並んでいる。

 

「ありがとうございます。どれもフォレー内の有名な菓子店から取り寄せたものです。お口に合うといいのですが」


 ユーノが深く腰を屈め、茶会の始まりを告げた。

 

 席に着くと、さっそくヘラが菓子を勧めてくる。

 竜になってから、毒見の必要ないくらいに鼻が利く。匂いのない毒ならわからないが、そうでもなければ事前に気が付くだろう。

 しかし、フォレー家の屋敷内のもてなしに毒見をつけるのもおかしなことだし、私はヘラが差し出した皿から藤色と桃色の菓子をつまんで口に入れた。飴菓子なのか焼き菓子なのか、ふわりとした食感が口の中でほどけるようにして溶ける。

 

「まぁ、口の中で一瞬で消えてしまったわ。斬新な菓子ね。それに、いい香り。腕の良い職人が考えたのね」

「お口に合えば幸いです」


 私が言うと、ヘラが自慢気に顎を上げる。職人を褒めただけで、ヘラを褒めたわけではないのだけれど。


「こちらもいかかがですか?」

 

 今度はユーノが青く透明なゼリー菓子をすすめてくる。

 向こう側が透けて見えそうなほどの透明感だ。上には菫の花びらの砂糖漬けと波を模した卵白の飾りがのっていて、いつまでも眺めていられる美しさだ。

 王都にもゼリー菓子がないわけではないが、こんな透明なものは初めてだ。

 未知のものを口にするのは少し怖いが、好奇心に負けて口に入れると、柑橘で味をつけた花のシロップの味がする。


「とてもさわやかな味ね。もしかして、これが海のもの?」

「はい。海藻を煮溶かしてつくるのです」

「フォレー領は、海にちなんだものがたくさん入ってくるのね」


 私が言うと、ユーノは微笑んで丁寧に答える。


「はい。シュロの港町との独自の交易があるからというのもありますが、この領に住むシュロ人が国の味を懐かしむためでしょう。異国風の味が伝わっているのです。この菓子も海を模しているのですよ」

「そう、これは海の青だったのね」

 

 水を表した菓子なのは知れたが、海のないカヤロナで海を固めたような菓子を口にするとは思わなかった。同じシュロ出身でもサリは海の味を懐かしむようなことはなかったから、きっと海からは遠いところの出身なのだろう。フォレー領はシュロ人の中でも海側の人々が多く移り住んできているようだ。


「クララベル様、これも召し上がってみて」

 

 ヘラが差し出したのは、クリームと粉砂糖がかかった焼き菓子だ。

 ヘラが手本を見せるように一つ手でつまんで口に入れる。私も真似をしてつまむと、あまりの柔らかさに少し欠けてしまった。


「姫様、このようにして一気に口に放り込むのですよ」


 落とさないように慎重に口に運んだが、クリームと粉砂糖で手も口も大変なことになった。


「ふふふ、こんなにもろいとは思わなかったわ。ねえ、そこのあなた、何か拭くものをお願い。私ったら子どもでもないのに粗相してしまったわ」

 

 近くにいたメイドに声をかけると、背の高いメイドは一礼すると一度奥に行き、皿に載せた手拭きを持ってくる。


「お待たせいたしました……」

 

 メイドが差し出した手拭きを取ろうとして、異変に気がついた。


(この香り……)

 

 表情には出さずに、振り向いてもう一度、菓子の方に手を伸ばす。


「あなた、ちょっとそこで待っていて、どうせだから、もう一ついただいてからにするわ」


 心臓がドキドキと脈打つ。

 いつかのようにミスティはそばにいない。自分でどうにかしなければ。

 

 

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