竜の証明
「この別荘に来るの、大きくなってからは初めてよ。小さい時に来たけれど、あまり記憶が無いわ」
「俺もニルソンには来ないかな。ヒースやノーウェルはしょっちゅう来てるから、お土産はもらう。焼き菓子が美味いんだ」
この国に海はない。行楽と言えば登山か温水浴だ。
段になった白く粉吹く岩棚に腰かけて、つるつると流れる温水に足を浸して体を温める。地熱で温まった岩に寝転がったりもする。
さっき通ってきた温水の湧く段々畑のような岩場には既視感があった。
忘れてしまったと思っていたけれど、本当は覚えていることも少しある。
母が亡くなる少し前の出来事だと思う。断片的な記憶には、どこを切り取っても家族の笑顔があった。
「レト、皆を自由にしてあげて。女官も騎士もしばらく自由時間よ。領地をめぐる間、皆、我慢強かったわね。温泉街に出れば土産物屋や露店もあるのでしょ? 仕事を忘れて羽を伸ばしてきて。警備の者も交代して外にでたらいいわ」
私が告げると、歓声とまではいかないけれど、それぞれが活気づくのが分かる。
こういう細かな情動は、竜になる前にははっきりと認識できなかったものだ。
城の生活はつまらないものだと思って来たけれど、私の周りには思ったより多くの者がいたのだと気が付いた。
誰もが冷たいのだと思っていたけれどそうでもない。一人一人が悩んだり喜んだりしているのを肌で感じるのは少々面倒な事だったが、慣れてきた今は少しむず痒い。
(皆、私が嫌いではなかったのね)
別荘に足を踏み入れると、建物の内部にも見覚えがある。
あの頃は子どもだったから、今見ると全てがひとまわり小さく感じる。けれど、あの日、確かに私はここに来ていた。
(あの彫刻の台座に兄様が登って、父様に叱られていたわ)
そんな二人を目を細めて見ていた母を思い出して、立ち止まる。
「なに?」
ミスティが私の顔を覗き込む。
きっと私の動揺なんて、竜には筒抜けなのだ。
「違うの。少し母様を思い出しただけ。昔、家族で来たことがあったから」
「ふーん、そう」
「私、国外に嫁ぐことになると思っていたし、またここに来られるとは思いもしなかったわ」
「なるほどね」
整理のつかない気持ちに丁度いい相槌をうって、ミスティは私の腰に手をまわす。
エスコートされながら別荘の管理者の後について部屋に向かう。
オレンジ色の明るい色のドアを開けると、見覚えのある鏡台が置いてあった。
父と母と兄と私――急速に記憶が呼び起こされる。
幼い私と母の部屋はここだった。兄は一人部屋がいいと言ったのに、風の音が怖くて、夜になってから父の部屋に逃げ込んだのだ。
『ルイズワルドがこの世に存在することを祝って――』
母は式典の台詞を真似て、私を抱き上げるとくるくると回った。
母の幻影を見たようで瞬きをして、懐かしい面影を部屋の中に探す。
「どうした?」
「あのね、昔ここに来たことがあって……」
目の奥が熱い。
急にいろいろなことを思い出して、眩暈がするほどだ。
「大丈夫か?」
ミスティにぎゅっとしがみつくと、また別の情景が浮かんだ。
真夏の木陰を母と二人で歩いた。
(あの時、歩いていて、急に母さまは足を止めて、白い土から何かをつまみ出して――)
それを木漏れ日に透かす。
(――それなら全て、辻褄が合うわ)
「ちょっと、ミスティ。私ね、思い出したことがあるの。ここから見える庭があるでしょ。あの木の根元、ああ、あんなに大きな木になっちゃったのね。見つかるかしら」
荷を解く間もなく、ミスティを引っ張って庭に出る。
皆は、私たちが戯れているのだと思うのか、気にもせずに各々の体を休めたり、食事の手配をしたりしている。
「昔、母さまとここに来た時に、白い
記憶の樺は大きく育ち。若い葉を広げている。
「確かこのあたりだと思うんだけど……」
「違うな、もう少し右寄りだと思う。少し金気がある」
確信が持てずに木の根元をぐるぐる回ると、ミスティが確信を持った声で一点を指をさす。
ミスティが指し示す方を見ると、見覚えのある葉が揺れていた。
「そうよ、あの尖った葉が茂っている! あの木の葉の形見覚えがあるの。あんまり育ちすぎてわからなかったわ」
私が素手で土を掘ろうとするので、ミスティが止めて、庭師から小さなスコップを借りてきてくれた。
掘り進めると、スコップの先が、かちりと何かに当たる音がした。急いで傷つけないように土を払いのけると、黒く変色した銀の箱が顔を出す。
「……これ」
「宝石箱か?」
すっかり黒くなった箱を取り出して彫刻に詰まった土を払う。記憶の中では銀色だったはずだ。
「本当なら次の休暇に来て、掘り起こす約束だったのよ。まぁ、その約束は永遠に果たされることはなかったのだけれど」
開けてみると、埃をかぶった石が一粒おさめられている。
「これ、何かしら。何かの原石?」
ミスティは石を受け取ると、重さや色を慣れた手つきで観察する。
「ああ、きっと
ミスティが噴水の水につけて曇りをとると、埃が流れて、石本来の色が日の光で輝きだす。
暗い青かと思っていたら、少し紫がかって見える。
「
母は、白くもろくなった石が積み重なる土くれから、まるでそこにあるのが分かっていたかのように、一粒の石を拾い上げた。
ヒースがやって見せるように、母は土くれから宝石を嗅ぎ当てたのだ。
(母様も、竜だった……)
箱の中には父の目の色をした宝石が大切にしまわれていた。
母はこれを二人の秘密にしようと言ったのだ。
『今は私のものだけど、私が必要なくなったら、あなたにあげるわ。まぁ、私が生きているうちはそんなことにはならないでしょうけど。クララ、このことはお父様には内緒よ』
母は無邪気に笑った。
母は竜の力を持っていた。持っていたけれどそうと分からないように生活していたのだ。
必要なくなったら私に石を譲ると言っていた。でもこれは貰えない。相応しい持ち主がいるのだから。
それに、竜になってしまった今ではその色の僅かな違いもよくわかる。私にふさわしい石ではない。
あの時、もっと宝石を探さないのかと尋ねたら、母は興味がないと言って、箱を埋めてしまった。
『あなたも、いつかわかるわ』
そう言った母の心が今ならわかる気がする。
母は宝石を土に埋め戻した。
宝石を探せることは、母にとって何の価値もないことだった。
大きな宝石よりも父の瞳を見上げることの方が彼女を楽しませたのだから。
*
母が死んだ理由を考えていた。
事故死だと言われていたけれど、誰もそうだと思っていない。
国王が複数の妻の所に通わねばならないことに耐えきれなかった母が、自ら命を投げ出したのだと皆が噂した。幼い私の耳にもそれは届いて、私たちを残して逝ってしまったしまったのだと思うと、とても悲しかった。
私はすぐにそれを深く考えるのを止めた。考えても答えを出せるはずの母はもう戻ってこないのだから。
(番がいる竜である母様が、嫉妬で自らの命を絶ったりするかしら)
竜の番への執着を知らなかったら、母が辛い境遇で命を絶ったということを信じたかもしれない。しかし、今は、本当に事故死だったのではないかと思うのだ。
私はミスティの番が私じゃなくても生きていられると思う。
ミスティが別に愛する人ができたとして、きっと私はどうにかしてそれを飲み込むだろう。
竜にとって番の幸せこそが生きる糧だというのには納得できる。竜の愛は奪うことではない。
だからこそ、この世に相手が存在する限り、自ら生を投げ出したりするだろうかと疑問に思うのだ。
輝ける星がこの世界で瞬き続けるとわかっているだけで幸せなのだから。
露店を見て回る気持ちではなくなってしまって、母が残した菫色の石を眺めて午前中を過ごしていた。
交代で街へ出る供の者たちはそろそろ王都に戻れることもあり、思い思いに温泉街を満喫している。レトも行っていいのよと言ったのに、ずっと私が目に入るところに居てくれる。
甘くしたヤギの乳のお茶を飲んでいると、露店を見に行ったミスティが帰ってきた。
私が座っていた隣に座ると、喉が渇いたのか、私の飲んでいたお茶を取り上げて一気に呷る。
「何か面白いものがみつかった?」
「面白いの定義によるな」
目を眇めて、私の髪を撫でる。
傍から見たら暑苦しい新婚に見えるにちがいない。
「クララベルには、これをやろう」
「変な物じゃないでしょうね」
「いいから手を出して」
握っていた何かを、私の手の平に置くと、いたずらが成功したように笑う。
「これは?」
手の平に乗せられていたのは子どもの拳ほどの薄青い色の石だった。
「俺の目の色と同じだろ?」
「ええ……そうね」
ミスティから装飾品を貰ったことがない。
バロッキー家から何か装飾品が送られる時は、ジェームズが手配しているようだし、ミスティが何かくれる時は少し意地の悪いプレゼントが多いのだ。
母の父への愛を垣間見た後だったこともあり、私は嬉しくて手のひらに乗せられた石をしげしげと眺める。
「なんの石? どこから拾って来たの? ああ、少し曇っているかしら。これも洗ったらどうにかなる?」
街には水路が張り巡らされている。私が休んでいた東屋のほとりにも飾り彫りの噴水があり、泉の水が噴き出している。私はその水で宝石を濡らして色を確かめようとした。
「あ、ちょ、待って」
ミスティが止める間もなく、ぬるい水に宝石を浸すと、石が水を吸う小さな音が聞こえる。
聞こえただけでなくて、石の端に亀裂が走り、小さなかけらが落ちた。
慌てて水から揚げて服の袖で水を拭くが、すでに鋭角だった切り口が丸くなってしまっている。
「え……溶けちゃう……角がなくなっちゃったわ」
「……そうだな」
ミスティが変な顔をしているが、私はそれどころではない。
「どうして? この池の水がよく無かったのかしら?」
せっかくミスティが何かをくれる気になったのに、取り返しのつかないことをしてしまったと、すっかり萎れてしまう。
それを見て、ミスティが笑いだした。
息も吸えないくらいに笑っていて、顔が真っ赤だ。
「っ……ふっ……おまえ! はっ……だって、それ、舐めてみろよ」
「え? 舐めるの?」
恐る恐る石を舐めてみると、びりりと強い味がする。
「……し、塩辛いわ」
「ふっ……だって、それ、岩塩だし……っ」
「ええ? 岩塩、って塩?! でも、青いわよ?」
「っくっ……は、ははは、この辺の塩じゃない。コパール産の輸入品だ。土産物屋に飾ってあったのを譲ってもらったんだ……あー、だめだ、面白過ぎる……ふっ、ははっ」
私は手の中のびしょ濡れの石をもう一度ぺろりと舐めてみる。涙の味よりずっと濃い塩味に鼻の奥がつんとする。
こんなのってない。
私が半泣きなのを見て、ミスティはゲラゲラと笑いだす。
「ひどいわ!」
「なんだよ、溶けない宝石が欲しかったのか?」
体を半分に折って笑っていたミスティは、やっと笑いがおさまったようで、うっすらと汗をかいた額を私の肩に押し当ててくる。
「……だって、ミスティの色だったし、綺麗だったから……」
驚きすぎて、うっかり本音を漏らしてしまうと、ミスティは困ったような顔をする。
「馬鹿だな。俺の目の色の宝石なんか持っていたら、後添えに嫌がられるぞ。食える石くらいでちょうどいいだろ」
「だって、溶けちゃうものだなんて……」
私はしおしおと一回り小さくなった塩の塊を見る。
「ふっ……なんだよ、その顔……はっ、はは」
ミスティは我慢ならないようでまた吹き出すと、絞め殺すくらいの勢いで私を抱きしめて背中をバンバン叩く。
よっぽどおかしかったのか呼吸が整わないくらいに笑いながら「ばか」とか「への字」とか言ってる。
「なんでそんなに笑うのよ! 塩なら、塩だって言ってくれればよかったのに!」
「ああ、可笑しかった。パンを水で洗って溶かした子どもみたいな顔だった……あ、だめだ、思い出したら……ふっ、くくく……」
「まだ笑うの?! もう、ミスティの馬鹿! 大嫌い!」
ミスティは笑いながら私に口付ける。
「塩辛いな。可哀そうなお姫様、せっかくだし、大嫌いな俺と街を見に行かない?」
「雰囲気も何もないわね」
「国務に雰囲気なんて必要ないだろ?」
「そうよね、国務だものね」
私は怒りに任せて立ち上がって、少し溶けた岩塩をレトに預けると、憎たらしい夫の手を取って街に向かって歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます