キーエス領へ

「道が悪くなってきたね」

「今までだってこんなものだったと思うわよ。軟弱ね」


 そうは言ってみたけれど、私だってお尻が痛い。この道はもう王都への帰路であるはずなのに、どんどん険しくなる。


「誰かさんと違って尻の肉が薄くてね。山まではまだ遠いのかな」


 相変わらずの憎まれ口に、ミスティの膝を蹴って抗議する。


 夫婦にはなったけれど、お互い変わることはあまりなかった。

 あるとすれば、疲れた時に靴を脱いでミスティの上に足を投げだしても、お互いに気にならなくなったくらいの変化だ。ミスティが傍にいて、逆に生活しやすくなったことも多い。

 例えば、仔犬の兄弟のように身を寄せ合って眠るのは悪くない。竜はもともと群れを作る生き物だったのだろうなと実感する。


「外でも見ていなさいよ、なかなかの風景よ」


 この会話も何回目かだ。馬車の中でミスティは大きく伸びをする。

 ミスティに軟弱ね、なんて言ったのに、私もほどほどに疲れてしまっていて、横にいるミスティの膝を枕にして昼寝することにした。


「ミスティは私の昼寝枕よ」

「贅沢だな、これ以上の高級枕、ないからな。あと、足が痺れたら落とすから」


 私が目を閉じると、馬でも世話するみたいに、荒く頭を撫でられる。それなのに、私の意識が遠のく頃には、ふわりとキスが落ちてくる。


(ミスティが私のことを身近な存在だと思っていることは確かよね……番いじゃないだけで)


 ミスティの気配に包まれて、私はうっとりと微睡んだ。




 私たちは領地を巡っている。

 王族が結婚後に領地を訪れ、領主のもてなしを受ける慣習が残るのは、かつては新しく王族に加わる者の顔を国民に知らしめる為だった。しかし、王族とは名ばかりで、単にカヤロナ家の直系であるだけの私たちには、領地訪問はハネムーンのようなものだ。


(同じことの繰り返しで、あまりロマンティックなハネムーンだとはいえないけど)


 ため息交じりに流れていく景色を眺める。

 せっかく見たことのない土地を訪れるのに、自由のない旅だった。

 

 竜を夫として迎えたことに貴族からの反発はなかったが、竜への偏見は貴族から遠い人々の間で根強く残っている。住民から思わぬ迫害を受けることも考えられるので、領主の屋敷に招かれても、領地を自由に歩き回ることはできない。

 混乱を避けるため、私たちが来ることを領民には知らせない領主もいたくらいだ。


 一日ほどの滞在が済むと、また次の領地へ向かう。

 馬車での移動ばかりで観光などはほとんどない。それでも、ミスティのスケッチブックには馬車から見えた風景や地方独特の生き物の素描が増えていた。


 

 主な領地の訪問は終わり、あとは王都へ帰るばかりだ。

 私たちは北西の領地と王都の途中にあるキーエス領に来ている。

 王都の西、キーエス領は山がちだ。カヤロナ国は半分くらいが高地で、その土地ごとに馬車を引かせる馬の特徴が違う。今は背の低い脚のがっしりとした馬が馬車を引いている。

 毛色がまだらで、ふさふさと揺れるたてがみに石のビーズや鈴を編み込んでいて、歩くと軽快な音が鳴る。ミスティのスケッチにも愛らしい姿が加わった。


 窓から見える段々畑には山羊が放たれていて、暖かくなって伸びてきた若芽を食んでいる。夏場は同じ畑で野菜や穀物を作るのだ。

 このあたりでは鉱物の他は、牧畜や毛織物が領民の収入の中心だ。更に、塩泉から山塩がとれる。

 海から遠いカヤロナが独立を保てたのはこの山から塩が取れたことが大きいと習った。

 これから向かうのはニルソン山だ。長くかかった領地巡回ももうすぐ終わる。行楽地であるニルソン山で長めの滞在日数がとられているということは、新婚らしくしてもいいということなのだろう。

 宿泊するのも領主の屋敷ではなく、カヤロナ家の別荘だ。

 キーエス卿への訪問挨拶を終えて、わたしたちにはやっと牧歌的な風景を楽しむ余裕が出てきていた。

 


 山までの道のりは遠い。

 ミスティは、私の顔の一部分だけを大きく描いて元の輪郭におさめるという馬鹿馬鹿しい遊びをしていたが、それにも飽きたようで、おしゃべりを始めた。

 最初は女官と騎士の恋の行方について熱心に話していたけれど、私がくだらないと言ったので渋々口を閉じた。代わりにこれから向かうニルソン山について習ったことを話し始めたら、俺が習ったことと少し違うと、講釈を垂れ始めた。


「竜が泉を掘り当てたのは知っているだろ?」

「泉って、ニルソン山の温泉のこと? カヤロナ家の先祖がそこで休息した時に掘り当てたって習ったわ。先祖が竜だって公言していないこと以外は間違ってないわね。それで、私が勉強したことと何が違うのよ」

「まるでキーエス領の観光の目玉みたいに扱われているけどさ、ニルソン山はキーエス家に譲渡されていない。今もバロッキーの物なんだ」

「そうなの? キーエス家のものでないにしても、領主に近い地主の土地かと思っていたわ」

「たくさん分家を通しているから、本当の所有者は分からないようになっているけどね。山だけじゃなくてそのまわりもバロッキーの土地さ。キーエス領にはバロッキーの分家が多く入り込んでいて鉱物や塩でも収益を上げるし税収も良いいから、特に問題とはされていないんだろうな」


 ニルソン山にバロッキーの山があって、ヒースがそこで鉱物の発掘をするのは知っていた。山だけではなくて温泉地もバロッキーの所有地だったとは初耳だ。


「実際、キーエス領って領主の持っている土地はほんの少しで、多くの人々は知らずにバロッキーの土地の上で生活してるんだよ。まぁ、権利だなんだとバロッキーも特に主張しないけどね」


 カヤロナ国を支える資金はバロッキー抜きには成り立たない。それはバロッキーが人よりも宝を見つけ出す力があるからだ。竜の目を持たない者は、たとえ目の前に価値のある物が存在しても、その価値を見出せない。


「バロッキーの持っている土地を集めたら、領地一つくらいにはなりそうね」

「そうかもね。細かく分けてるから、分からくなっているけど。全部バロッキー名義だとバレたら、バロッキー家は安寧には暮らせないだろうね。国が転覆するほどの富を持っている家を王家が敵とみなさないとは限らない」

「それをどうにかするのが、私たちの結婚なんでしょ」


 私が竜になってしまったことも一因だが、色々あったので、迫害する王家、踏みにじられるだけのバロッキーというイメージは薄くなってきている。ありがたいことに、バロッキーは私が持つ罪悪感を上回るしたたかさを持っている。

 今は、土地の保有を許す過程で、バロッキー家とカヤロナ家の間にはどんな密約があったのだろうと疑うことができる。

 私の目はずいぶん見えるようになったけれど、それでも過去のことについては、ほとんど節穴のようなものだ。

 

「やっぱり、バロッキーはいつでも国を取り戻せたのね」

「まあ、国が欲しければそうしただろうけどね。竜はそんなことよりも湯に浸かって休暇を楽しむ方を選んだんだろ」

「独り占めしようとすればできたのよね。自分の土地なんだもの」

「そう。それに竜は温泉から塩を取ることも伝えた」

「それも竜なの?」


 キーエス領には独特の塩の精製方法が伝わっており、塩が手に入りづらい時期に他の領に塩を流通させ、侵略者を拒んだという逸話が残っている。


「この国には岩塩の鉱脈があるわけじゃない。たとえあっても、雨が多いし、利用するのは無理だと思う。その代わりにニルソンには塩泉があった。塩分が含まれる泉は割といろいろな所にあるけど、たいてい色々な混ざり物があるから塩を取り出すことは難しい。精製して山塩にするには技術が必要なんだ。古代のバロッキーはそれを知っていて、この国に惜しげも無く伝えた。それがあまり大きくないこの国が他国からの侵略を免れた本当の理由だよ」

「外交で塩を切り札にされなかったってことよね」

「希少な宝石も採れたから、それと交換に別の国から塩を買うこともできた」

「ふーん、竜って、変よね。カヤロナ国を助ける義理なんてないはずなのに。それで何か得なことがあったのかしら」


 遠くからでも別荘の屋根が見える。

 カヤロナ家の別荘は木製で年代を感じる佇まいだ。屋根の修繕や塗装はこまめにされているようで、傷んだ様子はちっともない。白い壁が美しい建物だ。

 兄が結婚したのが数年前なので、それに伴って手入れをしたのだろう。記憶の中の別荘より少し新しく見えるくらいだ。


「カヤロナ家の別荘か。よくもまぁ、バロッキーの土地にこんなでっかい別荘を建てたもんだよな」


 領主に用意された宿とは違う所に泊まるのは久しぶりだ。それに、バロッキーの土地だと思うと開放感が違う。


「バロッキーもそれをよく許したわよね。ここ、手入れが行き届いているけれど、すごく古くからあるのよ」


 よく見ると、屋敷は左右対称に作られていて、建築材も何から何まで王都の屋敷とは違う。バロッキー家の屋敷に雰囲気に似ているような気がする。

 この建物も、もしかしたら竜が建てたものなのかもしれない。

 

「ああ、座りすぎてお尻が痛くなっちゃった」


 馬車から降りて腰を伸ばすと、山のすがすがしい空気が肺に入る。木漏れ日の差す穏やかな雰囲気に頬が緩んだ。


「新婚らしく抱きあげて部屋に入ってやろうか?」

「やだ、余計なことしないでよ」


 そんなことを小声でやり取りしているうちに、女官がやってきた。

 ミスティがよく騎士との交際について相談に乗っている女官だ。これから始まる新婚らしいふるまいを期待しているのだろう、鼻息荒く私たちを見ている。


「……やる?」

「よろこんで……まぁ、やっとハネムーンらしくなるな」


 笑いを噛み殺すことに必死なミスティに抱き上げられて、私は別荘に降り立った。

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