ヒース・バロッキー

 年が明けて、私たちの結婚式が迫っている。

 もうしばらくすると、忙しくてバロッキーの屋敷に来る暇など無くなるだろう。

 そう思って訪問してみれば、客間で待たされることになるとは……。


 仕事始めで皆それぞれに忙しそうにしていて、ミスティまでいない。

 先ぶれは出していたというのに、サリですらちょっと顔を出してすぐにどこかに行ってしまった。

 ルミレスもいたが、あまり話したことがない。

 チャラチャラした王子様のような雰囲気のルミレスは娼館通いが激しいらしいので、なんとなくあまり話もしたくない。別の部屋を通りかかった時に床に這いつくばって何かぶつぶつ言っていたので、見ないふりをした。

 二年前に幼馴染だったエミリアと結婚したハウザーは、身重の妻の職場に頻繁に通っている。

 つわりがひどいと聞いて、お見舞いに果汁の菓子を持ってきたのだが、受け取ったハウザーはエミリアに届けてくると、出て行った。客の私には暇つぶしに何冊か本を置いていった。


 ――これだから竜の男たちは。


 力仕事に手伝いが必要だとレトが連れて行かれて、しばらく経つ。そろそろ本当に退屈になって、料理を任されている分家の者とでも話してこようかと立ち上がろうとした時、やっと誰かが客間にやってくる。


 入って来たのは、ヒースだった。

 もう昔のように手袋はしていない。ぬらりと黒光りする竜の爪もそのままだし、厳重に色眼鏡をかけることもなくなった。

 近頃では竜であることを隠さず出かけて、街の人たちを驚かすのを少し楽しんでいるくらいだ。


 ヒースは、春になると王都から離れての仕事が増えるので、現地滞在用の荷物を作っている。

 婚約者であるサリと一緒に行くのが嬉しいのか、鼻歌交じりに荷物の積み込みをしているのを窓から見ていた。

 ヒースの浮足立った感じは、浮わついている自分を見ているようで、非常に腹立たしい。


 ヒースは大きな体躯を少しのけぞらせて、竜の血が多く散る特徴的な目を見開き、驚いた顔をして扉の所に立ち塞がった。


「驚いた……竜の気配が多いと思ったら、クララベルなのか?」


 ほんとに驚いたのだろう、目だけでなく口まで開いている。ちょっと間抜けな顔だ。

 ヒースはサリと出会って、すっかり変わってしまった。

 王女である私の前で取り繕って紳士らしく澄ましているばかりだったヒースはもういない。

 驚いたり、喜んだり、ヒースが実は感情の豊かな忙しい男だったと知った時は驚いた。もちろん幻滅もした。


 ヒースは正式なバロッキー家の血を引く者ではない。

 他の兄弟とは違って、王都の片隅で生まれた。

 母親はしばらくヒースを手元に置いて育てたのだが、育てきれず、幼いヒースをバロッキーの屋敷の前に置き去りにした。二年前の私はそんなことも知らなかったのだ。

 竜の形質が所々に確認できるヒースは、竜としての感覚も人一倍敏感だ。


 ――なんて大きな竜。


 とてもではないが、私がヒースとつがって一緒にいられるわけがなかったのだ。

 竜の中でも特に竜らしさがあるというか、目覚めたばかりの私の感覚でもわかる嫌な存在感がある。

 アビゲイルと似た圧迫感とはまた違った重々しい気配だ。これに慣れるまでは苦労しそうだ。

 ヒースを夫として従えるなんて、竜であったならすぐに無理だとわかったのに。


「ヒース、のね?」

「クララベル、その気配はどういうことだ? カヤロナ家には竜はいないはずでは……」


 警戒しているのか、ヒースは目を凝らして何度も瞬きをする。


「なったの」


 それ以外に説明しようがない。


「なった? 竜にか? そんなことあるのか?」

「だって、仕方ないじゃない、なってしまったのだもの! 竜ってすごく面倒だわ」


 ヒースは目を白黒させている。

 自分で自覚するよりも、ヒースにそうだと指摘される方が堪える。


「ミスティは知っているのか?」

「どうしてそれを最初にきくのよ。関係ないじゃない」

「関係ないことがあるか。だって、ミスティは――」

「ミスティには知られたくないの! それとも、竜だったら、すぐにそうだと知れてしまっている?」

「……どうだろうな、ミスティはもう長いことクララベルの護衛をしているだろ? 俺のようには急激な変化を感じないかもしれない。竜だからといって、同じものを知覚するとは限らないんだ」

「そう、なら少しは安心ね」


 ミスティに竜だとばれてしまったとしても、仕方ないとは思っている。ただ、ミスティがつがいであることは知られたくない。


「知らせないつもりか? もしかしてクララベル、番が……」

「その話はしないわ。とにかく、絶対にミスティには知られたくないの。二度と口を挟まないで」


 昔からの癖で、ヒースへの命令口調が抜けない。高圧的な言い方でヒースの口止めをしようとする。


「いや、しかし、そんな意地を張っている場合か? お前たち、もうすぐ結婚するんだろ? それに、ミスティはシュロに……」

「黙りなさい! 私がそれでいいといっているのよ。王女である私が決めたの」


 こういう言い方は昔の私のようだ。

 聞きなれた口調の私の癇癪かんしゃくを取り合わず、ヒースは思案するように腕を組む。


「わかった。ミスティに知られたくないと言うなら黙っていてもいい。まぁ、サリには言うがな」

「ええ?! なんでよ」


 もしかして、それはミスティに言うよりも状況が悪化したりしないだろうか。

 サリがそれみたことかと、蔑んだ顔で私を見るのが容易に想像できる。


「俺がサリに隠し事ができるとでも?」


 ヒースは腕を組んで当然だという顔で頷く。

 ヒースは情けないほどにサリを溺愛している。竜の男たちには珍しいことではない。

 竜は一つの愛に生きる。富も栄誉も権力も、番を愛する竜を縛り付けることなどできない。

 

 一つの愛に生きるだなんて、王族として一番ふさわしくない行動理念だ。ヒースのようになってしまったら、王女失格ね。

 しかし、私もそんな暑苦しい竜の一員になってしまったのだと思うと、複雑な気持ちになる。


「私、ヒースのようになってやしないわよね?」


 ……自信がない。


「どういう意味だ? サリには自分で口止めしてくるといい。俺は無理だ」


 ヒースはサリが絡むと全く融通が利かない。


「ええ、無理よねっ! ヒースには無理! 無理無理、竜には無理なのよね! わかるわよ!」


 いらいらと足を踏み鳴らすと、ヒースは、かみ殺しきれなかった笑い声をもらす。

 昔はこうやって笑うこともなかった。つんと澄まして、つまらなそうに私の話に相槌あいづちを打つだけで、今のように意見してくるなんてことはなかった。それを変えたのはサリだ。


「そうか、クララベルにも無理なのが分かるわけだな。そうだな――では、こういうのはどうだ?」


 ヒースが手を広げてこちらに向けると、黒い爪の残像が何もない空間に線を引く。


「クララベルにそうだとわかる番がいて、何か困っていることがあるのなら、先輩の竜として、少しくらい相談に乗れないこともないのだが?」


 ヒースは子どもの機嫌をとるような言い回しをする。


「――それは、そうね。まぁ、少し困っていることが、ないわけじゃないわ」


 偉そうで気に入らないが仕方がない。竜のことなど他の誰にも話せないし。こんなことをヒースに相談する日が来るとは思わなかった。


 ヒースが入れてくれるお茶がなぜ美味しいのか、今はよくわかる。鋭い感覚で生きていくのはたいへんだろうな、とも。

 私が番になるだなんて、軽々しく言ったことが悔やまれる。

 二年前の自分の行いを、これほど反省することになるとは思わなかった。反省を通り越して黒歴史になりそうだ。

 


 番を持つ竜に、一つだけ訊いてみたいことがあった。


「……ヒースはサリと死別するとなったら、どうする?」

「まぁ、狂うか、死ぬか」


 軽く即答された内容は大変物騒なものだった。


「重い! 重すぎるわ! 何よ、絶望的じゃない。質問をかえるわ。しばらくサリと会えないとなったら、ヒースはどうなるの?」


 ヒースはよく鍛えられた体をソファに沈ませて、顎をひねる。想像するのも嫌そうなのは、気のせいではないだろう。


「会えないのなら、会える場所まで移動するかな……遠距離は嫌だ。三週間……いや、二週間が限度か? それでも仕事でやむなくという場合なら少しは我慢がきくようになってきた。俺はサリから離れるつもりもない。サリから嫌われても……狂うか、死ぬかだな」


 どんどん絶望的な回答がヒースからもたらされる。


「聞いてて気分が悪いわ。もう何かの病のようね」

「俺が一番重症だから、ルミレスやハウザーはもう少し融通が利くはずだ。アルノはほどほどに重症か」

「ルミレスにも番がいるの? さっき見たけど、ハウザーも重症よ。それに、アルノも?――アビゲイル様は竜の気配が強かったわ。そのせいなのかしら?」

「いや、性格だろ? アルノは、かなりの心配性なんだ」

「孔雀の娘に……? ああ、聞いて損したわ……竜は馬鹿ばかりね」


 ミスティが去った後にバロッキー家と再び縁談が持ち上がったらどうしようと思っていたが、杞憂だったようだ。

 足をくみ上げて竜の執着をあざ笑うと、ヒースは何が面白いのか嬉しそうに笑う。


「クララベルは、その馬鹿共の仲間入りをしてしまったわけだ」


 そうだ、私もこの馬鹿の仲間になってしまったのだった。

 虚勢を張るのも虚しくて、がっくりと肩を落とす。


「最近は慣れてきて……暗闇でも少し見えるし、耳もよくなったわ。誰が誰か、はっきりわかるわけじゃないけど……城にいても、竜が来た気配くらいなら分かるの」

大方おおかた、ミスティだけが特にわかるんだろ?」

「なっ……そんでそんなことが分かるのよ? 竜はそんなことまでわかってしまうの?」

「いや、それは竜じゃなくても――ああ、じゃぁ、やっぱりそうなのか、難儀な事だな。もう意地を張るのはやめたらどうだ?」


 言わなくても、私がミスティに対してどう感じているのか筒抜けのようだ。感覚の鋭い竜にはいずれ知れることだとは思っていたが、やっぱり知られたくなかった!


「嫌よ! だって、ミスティは私を番だと思ってないわ。どんなに近い所にいても、ミスティの目は私に反応して光ったりしないのよ!」


 初めてそれを口に出してみて、自分の言葉に傷ついて泣きそうになる。


(なにこれ、すごく悲しい……)


 番に選ばれないということは、こんなに絶望的なことだったのだろうか。


「それはミスティに確かめないとわからないが……でも、クララベルはミスティを特別に想っているんだろ?」

「だからなによ! 私がミスティの番じゃないことなんて、一緒にいる私が一番わかってるわ!」

「そうだろうか……短気を起こすのはよくないぞ」


 おろおろと宥めようとするのがわかるが、今はとにかく気に障る。


「私だって竜になりたくてなったわけじゃないわ! ヒースだってそうでしょ? 番とか要らないのよ!」

「いや、要るだろ」


 私が泣きそうな声で言えば、間を置かず否定される。

 その答えに迷いはない。


「もう、これだから竜は! どうしよう、わたし、もしかして二年前のあの時にはすでにミスティを選んでいたのかしら……」

「その可能性は高いな。あの時、クララベルは明らかにミスティへの当たり方だけおかしかった」

「わかっていたなら、婚約が決まる前にとめてほしかったのに」

「まぁ、ミスティを番だと思うなら、結婚後も国に残る様に口説き落とせばいいだろう?」

「……無理よ」


 それは何度も考えた。しかし、これにはもう答えが出ている。

 私は急に落ち着いて、ヒースが入れたお茶を一口飲む。


 いつだって、どれだけ舞い上がっていたって、結局王女としての私が勝つのだ。


「そんなこと、できないわ。私、ミスティの絵をこの国に留め置けない」


 ヒースは何かを言いかけて、思い直したのか、一度口を閉じた。困ったように笑ってから、落ち着いた声でまた話し始める。


「サリは、きっと二人の問題だからといって口を挟まないはずだが、俺個人としては、ミスティだって、この国にいる選択ができると思うんだ」

「駄目よ。駄目なの」


「サリは……バロッキーが普通に街に出られるようにしたいと言う。時間はかかっても、ミスティだっていつかこの国で竜の絵を飾れる日が来るかもしれない」

「それは国の――カヤロナ家の責任よ。バロッキーばかりに任せておけない。バロッキー側に努力や我慢させて時を待つのは、違うと思うの」


 私は王女として、ミスティのためにまだできることがある。ミスティの画家としての可能性は、この国を出ることで広がるはずだ。


「ミスティがそう言ったのか?」

「言ってないけど、これから時代が変わるからといって、画家としてのミスティにそれを待たせたりすることはできないの。何より私が世界で一番、ミスティの才能を世に知らしめたいのだから。つまらない枷になるつもりはないわ」


 ヒースは目を細めて同情的な顔を見せる。別に同情されたくなんかない。私は私の出来ることをしたいようにするだけだ。


「クララベルは間違いなく竜だな。番に対して相当頭がいかれている。そういう思考回路は、まるで俺だ」 

「ヒースと同じだなんて、絶対に嫌!」


 私は番を失った竜になる。

 それはきっと竜にとって、世界が終わるような大変なことなのだろう。

 今はサリにデレデレとまとわりつくヒースでも、きっとこんな絶望的な気持ちになったことがあったはずだ。


「なんだかんだで、俺もジェームズさんも、気が付かないうちにクララベルをバロッキーの末の娘だと認識していたのかもしれないな。まぁ、サリもそう思っていると思うけれど」

「あ、ありがたいけど、ありがたくないわ……特にサリに子ども扱いされるのは屈辱よ」


 私が口を尖らせてそう言うと、ヒースは噴き出して笑う。


「わかった、わかった。とにかく、ミスティには知られたくないとクララベルが言っていたことは伝えるよ」

「やっぱりそこは、言わないわけにはいかないの?」


 聞き分けの無い私に、ヒースは何かを思いついたようで、にやりと笑う。


「クララベル、ミスティに隠し事をするときは、どんな気持ちになるんだ?」


 私はその問いに、赤面して下を向くことしかできなかった。

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